154.現状は・・・。

(11月1日更新)

とうとうストライキは解決しないまま2回目の月替わりを迎えた。正直言って想定外だ。いよいよ仕事が減ってきて恐ろしく静かな週末を迎えた。今日は日曜日だが、殆ど明日の昼間の為の仕込みのみの為に出勤した。会場は文明博物館でも戦争博物館でもなく、全然別の博物館。カナダ学会評議会(とでも訳すべきなのか“Conseil des academies canadiennes”)がクライアントで、メインはサンドウィッチと言う軽食ブッフェである。バンケで忙しい時ならカフェテリアかレストランのメンバーが扱う様な仕事だが、この際にはこうした仕事でもあるだけましとしなければなるまい。明日もそれを送り出した後は同じような規模も小さいケータリングもどきの仕事があるのみだ。
しかも私1人ではなく、もう1人ムサが手伝ってくれたので、てんで楽だった。ムサはバンケ所属の1キュイジニエ、つまり私やデーブの部下と言う事だが私より年上で、また特別よく働く人なのでメインのサンドウイッチは彼に任せ、私はシェフお任せのスープ及びサラダ、デザートの盛り合わせとフルーツの盛り合わせ等を担当した。サンドウイッチはお任せではなく、内容が細かく決まっていたので、残りのこうした部分でバンケのスーシェフが担当したらしいと分かる程度の仕事をしなければ意味が無い。しかし、人数も30人足らずのグループだから、あっという間にその件は終り、後は日曜ブランチを手伝うくらいしかなかった。
ついこの間までの息をつく暇も無い忙しさとはえらい違いである。ストライキの人達も行動を制限された所為もあるのか、大分疲れてきている様に見える。それはそうだろう。9月からずっと毎日立ち続け、気温も確実に冬型になってきているのだから。
まあそんな風だから現状報告をテーマにしてはあまり書くことがないが、今月も1日更新にしたかったし、月初めは取りあえず日記的でもこういう話題から始めた方が分かりやすいだろうと思ったまでである。


155.料理データの為の試作。

(11月3日更新)

今日火曜日のブッフェは温製料理がメインだったし、1人で準備したので、昨日はまあその準備で一応の仕事になった。今日は休みだったが、明日あさっては私1人で現在バンケで出しているメインコースの料理を10種類あまり、付け合せなど全て試作し、個々の野菜、Feculent(澱粉質のつけ合わせ、ジャガイモのシャトーや同グラタン、ライスピラフ等*参考「皿の構成」)肉、魚など全てについて、主に例の万能調理機を使って時間、温度設定その他のデータを算出する事になっている。明日付け合せ、あさって肉、魚、ソース等を仕上げる予定だ。無理やり仕事を捻出している感もあるが、確かにこれはこれで時間の十分にある今の様な時しか出来ない事だ。ジョルジュとしては私とデーブでこれを担当し、そのデータを機械にプログラミングする事で、誰が作っても同じ結果になる事を目指したい考えの様だ。この機械Rationalにはそういう機能もある。まさに調理用コンピューターと言う感じだ。元々ドイツの会社の機械だが各国語で入力する事も出来、日本語にする事も可能なほどだ。ただしデーブはこの機に乗じて事実上休暇中の様なので、結局私が1人で全部作る事になった。こういう主旨だから当然スーシェフ以外の人に手伝って貰う訳にはいかない。細部に渡るまで自分で作り、データを一覧表にする必要がある。1皿に5種類の野菜と1種類のFeculentを作るとなると、付け合せだけで6回調理する訳で、確かに付け合せに1日、メインに1日かかる様な仕事だ。勿論どんな優れた機械でも、肉、魚、野菜等自体が何時も同じ状態と言う事は有り得ないから、完全なプログラミングなど出来ない。しかし、一応の基準は作れるだろう。
 11月ともなればストライキがなくとも大分暇にはなる筈だ。従って実際の所どの位影響を受けているのか正確な所は分からない。何しろ前のホテルではマネージャーを兼務していたが、ここではスーシェフと言っても組織も大きく、マネージメントには一切タッチしていないからだ。面接を受けた時、私が「今のホテル(当時)ではどんどん暇になってきて、いかに忙しくするかに腐心して、その事で忙しい様な状況です」と言うと、ジョルジュが「ここでは、それを考えるのは私たちの仕事ではないんだ。担当者達が取ってきた大量の仕事をいかに捌くかを一緒に考えてくれれば良い」と言っていたが、こういう状況では、ある程度先の予定を掌握しておきたいところだ。
まあしかし、今やれる仕事をやっておいて忙しさに備えると言うポジティブな姿勢には賛成だ。その仕事の為に給料を払う余裕が未だこの会社には十分あると言う事でもあるのだから。


156.ベルリンの壁崩壊から20年。

(11月8日更新)

木曜の肉類のデータ取りは思った以上に時間がかかった。普通なら1種類か2種類、それも一気に料理出来る機械だが、こういう主旨なので、1つ1つ順番に作っていかなければならないから当然だ。ソースなどを平行して作ったり、後半に詰め物をする七面鳥、子羊などをまわす事で、詰め物を作ったりする事で、機械に入っている間の待ち時間を使ったが、最後の大物(丸ごとローストする様な物、その後、鶏の胸肉や牛フィレのステーキなどはあっという間に終わるので)を機械に入れた後、暫くしたらついにやる事も無く、ひたすら待つ状態だった。
 水曜、木曜をこのデータ収集に費やし、金曜は休んで、土曜、日曜はレストランのブランチを手伝った。サラダだけで15種類も作るので結構仕込みには手間がかかったが、本番はお客様の前でオムレツやクレープを焼いたり、肉のカービング(勿論先日データ収集の為に焼いた肉類を転用)を行なうといった、前のホテルも含め、大抵のホテルなどでやっているブランチと同じ作業しかなかった。デーブや他のメンバーが潔く?休んでいる状況下で、よく週休2日に留めて仕事を作ったものとは言える。
 ストライキな人達?もいよいよ焦ってきたのか、6日金曜日に地元出身の国会議員でもある外務大臣キャノン氏の事務所に詰めかけ、調停役を引き受けてくれるまで居座るとか主張して物議を醸している様だ。しかし来年3月のG8をここガティノー市で開催すると同キャノン外相が発表したのが正にこの日。外相はそれどころではないのではないのではないか。この所ガティノー、及びオタワの失業率も上昇している。我々だって人事では無い。420名のストライキは小規模ではないが、世間の注目を十分に浴びている訳ではないようだ。相変わらず営業中の博物館前のデモ隊は音楽をかけて踊ったりしているのが日本人の私には理解に苦しむ。
 毎回こんな話題ばかりになっている。たまには全く違う事を書こう。明日の9日でベルリンの壁崩壊から20年が経つ。20年前当時私はドイツ(当時は西ドイツ)に住んでいたから、現場にいたと言っても良いだろう。カナダから一旦日本に帰国した私は1989年の春、天安門事件で揺れている頃、西ドイツ(当時)に渡った。この年はソ連(当時)のゴルバチョフ氏の台頭から、ヨーロッパにも激震が走っていた。東欧各国では次々と革命が起こり、共産政権が倒れていった。ポーランド、ハンガリーに始まり、チェコスロヴァキア(当時)、ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊やこのベルリンの壁崩壊など全て1989年に起きたのだから驚く。渡独して1年も経たないのに周りの環境は一変した。後にポーランド人やルーマニア人とも共に厨房で働く機会があり、当時の話をよくしたが、世界はあの年を境に激変した事は間違いないだろう。
 数年後の湾岸戦争勃発後も私の住んでいた町から1〜2時間の範囲で数件のテロが起きたし、イギリスに移ってからもIRAのテロで乗っていた列車がストップした事もあった。カナダに戻って来てからは例のアメリカ同時多発テロ、ニューヨークと言っても飛行機なら1時間の距離、次に狙われる可能性のある場所として、アメリカ隣国の首都オタワが挙げられたのも当然だった。私が滞在した国々は平和な国ばかりだった筈だが、実際には何処も危険と隣り合わせ、日本も含め、今や世界に安全な国など無いのかもしれない。
 壁崩壊の数ヵ月後、私はベルリンを訪れた。既に壁は殆ど全て無くなっていたが、壁のあった場所は歴然としていた。東欧の優等生と言われた経済力を誇った東ドイツだったが、世界屈指の経済大国だった西ドイツとの差は大きく、東側だった場所と西側だった場所の建物から道路まで全てが別風景。突然仕切りが取り除かれた両都市(東西ベルリン市)はまるで雨の降っている場所と晴れている場所の境目に立ったようだった。それぞれが反対側から見ると芝居のセットみたいに思われた。これから先あんな不思議な光景を目にする事はあるまい。俗にチェックポイントチャーリーと言われた国境検問所の傍の博物館でトランクの底に隠れて越えようとした人達の改造車など見た時は胸が詰った。この胸の詰る思いはアムステルダムのアンネ・フランクの隠れ家や、ダッハウのユダヤ人収容所でも感じたが、それを思い出すと、何だかんだ言っても、高級食材でフランス料理を作っていられる生活の有り難さを感じる。
 ちょっと重い話になった。ヨーロッパにいた頃の能天気な写真1枚と、フジェールでルーマニア人のニコライと撮った写真を添えておこう。因みにニック(ニコライの愛称)とスタッフパーティに出た時、故ジェイク・ウオーレン氏は「そう言えば、チャウシェスクに食事に招待された時に・・・」なんて話をしていたっけ。さすが元駐米、駐英大使。まったくあの人は大物だった。


157.日本の食材は何処から・・・。

(11月12日更新)

10月28日、つまりほんの2週間程前にオープンしたばかりのスーパーマーケットT&Tに行ってみた。T&Tより大きな表示で「大統華超級市場」と言う中国語の大看板が立っている事で分かるようにアジアの商品に重点を置いている。その種のスーパーマーケットチェーンとしてはカナダ最大らしい。元々は1993年にバンクーバー周辺から誕生し、現在はトロントなどにも展開している。系列としては大手のスーパーマーケットチェーン、ロブロー(Loblaw)の1部で、同社が台湾のコングロマリットと提携して作られたと聞く。
 オタワ店はオープン前から話題になっていたので、暇なこの時期に行ってみる事にした訳だ。アジアの食材と言うより、中国の食材を求めるなら、かなり頼りになる存在かもしれない。他の中国系の店の殆どがそうである様に日本の食材も相当数置かれているが、店の規模からすれば少ないと思われる。日本人の多いバンクーバー辺りでは格段に日本の食材が多いらしいが、バンクーバーやトロントでは日本食材専門の店がダウンタウン(無論郊外にも)に多々あるのだから、有難みは少ないのではなかろうか。もっともオタワ店ですら、お惣菜売り場の一角に寿司コーナーがあった。寿司、否Sushiは今や普通のスーパーマーケットにさえ売っている(品質はともかく)ぐらいカナダ人の生活に溶け込んでいるから、凡そアジアを名乗ってSushiが充実していなければ話にならないと言う所か。
 場所的には殆どオタワ空港のちょっと手前と言う所で、私の自宅からは遠い。ただあの辺りはオタワ駐在の日本人家族が多く住んでいると聞いた事があるから、近所に住む日本人にとっては便利なのではないだろうか。スーパーマーケットだから肉や魚介類、野菜なども当然揃っている。オタワなので魚介類は充実しているとは言い難いが、一応手に入るし、肉なども牛の薄切りなどアジア人のニーズに合わせたものが求めやすい。野菜も大根とかが普通に売っているから、店に入ると、何となく日本の地方の大型スーパーに入った様な懐かしさもある。
 ただ日本食材を探すのなら現在最も確実なのは郊外(と言っても私の所からは、T&Tより余程近い)のWin-Taiマーケットと言う中国系の店だろう。ここなら日本の食材で必要なものはまず殆ど手に入ると考えて良い。サマーセット通り(オタワのチャイナタウン)の食品店数件でもT&Tで売っている様な物は大抵手に入る。決して日本人の多くないオタワだが、国際化のお陰でこうして日本の食材が手軽に入手出来る時代になったのは有り難い。
 「現在」と書いたが、かつてはサマーセット通りに日本人経営の日本食材専門店があった。非常に小さな店で、殆ど何時もご夫人が1人で切り盛りしていたと記憶しているが、私がトロントにいた頃1986年・・否1987年だったか旅行でオタワを訪れた時には既に存在していた覚えがあるので、相当昔からあったと思う。1996年ににヨーロッパを去ってこの地に戻ってきた時も未だあった。フジェール時代チャーリーを連れて行って私の顔を立てて大幅に値引きしてもらった事もある。そのお店が無くなった後、つい数年前までダウンタウンの老舗和食レストラン水車ガーデンの1階でカエデと言う名の日本食材専門店が存在していたが、それも閉店。ただし、それ等の店で手に入ったものは、くどい様だが、Win-Taiで大概見つける事が出来る。日本の米の銘柄を複数から選んで・・などと言う事が出来るのは今やオタワ周辺ではここだけだろう。日本の米と言ってもカリフォルニア米な訳だが、一昔前の知識しか持たない人は驚く程現在流通しているカリフォルニア米のレベルは高い。年配の方はカリフォルニア米と聞いて所謂フットボール型の長粒種を思い浮かべられるかもしれない。私がドイツに移住したての頃、未だそれが主流で、和食の店でも長粒米で普通に御飯が供されたり、寿司が握られたりしていた。初めて見ると強烈な違和感があっても、次第に慣れるから人間は面白い。しかし、何時の間にか短粒種が普及する様になっていった。ただ私がヨーロッパを引き払う頃まで最高品種の日本風米とされたKと言う品種は現在も存在し、中国系の店の殆どで手に入るのはこれだが、今食べると今1つという印象だ。より美味しい米がどんどん出て来て、贅沢に舌が馴染んできたのかもしれない。今手に入る米は銘柄だけ取ってもササニシキ、アキタコマチ、ひとめぼれなどの高級種を日本の精米機で仕上げたもの。このレベルの米が日本に輸出される様になったら、価格面も考えて日本農業の危機になるかもしれないと感じるくらいだ。
 確かに便利な時代になった。トロントやバンクーバーの様な日本人も多い大都会は言うまでも無いが、オタワ程度でも手に入らない食材は殆ど無い。日本人などまるでいない地域でもインターネットで食材を取り寄せる事は可能だ。
 食材は手に入っても、料理する時に相変わらず気を付けなければいけないのは日本との条件の違いだ。日本人がやっている和食の店でも100パーセント日本から輸入した物だけで料理を作る事はまずないだろう。現地の油を使えば天婦羅の揚がり方も違う。ヨーロッパでは水の違いにも泣かされた。これは前にも書いたかもしれないが、小豆を煮ようと一晩水に漬けてもまるで戻っていなかった事もある。硬水の性質を理解していなかった為だ。こういった事は枚挙に暇が無い。だが、我々和食以外を専門とする者にしてみれば、そういう違いを逆に利用して面白いものが出来たりする。その為には現地の食材と日本の食材双方に十分な知識が必要ではあるが。


158.静かなブランチからようやく本来の仕事へ。

(11月15日更新)

今週末も日曜のブランチの為に出勤した。今回は手伝いではなく、昨日の仕込みの段階から今日の本番まで私を中心にバンケのメンバーで担当し、レストランの調理場スタッフは今週末は休みを取ってもらった。まあ、今レストラン担当スーシェフのポジションは空席になっていて責任者がいないから他所の部署担当のスーシェフがしゃしゃり出ても何処からも文句は出ない。しかし、今日のブランチは暇だった。朝10時からの営業だが開店して40分の間1人のお客様も来ないという酷さだ。否1組来たと思ったら「ははは、実は我々もう他所で食事してきてしまってね。こんな豪華なブランチなんだね。ここは。ちょっと見学していって良いですか?来週食べに来ますから」とか言って一回りして帰る始末。普通日曜のブランチは開店と同時に数組は入ってくる。ウエイクフィールドの様にホテルなら泊まっている人がいるから当然だが、田舎にあるレストランのフジェールでさえ、8時と言う早い時間にオープンしても既に外で待っている人がいたものだ。品数もヒルトンホテル辺りと同様で内容も充実していて、そのままディナーとしてもおかしくない肉料理、魚料理も選べて24カナダドル程度だから非常にリーゾナブルだとは思う。勿論朝食的メニューにしたり、サラダだけで15種類もある事は前回書いた通り。日本の事情と比べればデザートだけでもお得なデザートバー感覚かもしれない。しかし、都会の悲しさで駐車場代なんかもいれれば高くついてしまう。勿論都会と言うからにはダウンタウンから景色の良い道を通って歩いてくる事だって可能なのだが、今日は天気も悪かった。窓からの風景も本来中々なのだが、天気の悪さはこっちにも当然影響する。
 立て続けに写真がリンクされているが、これこそ開店後40分もお客様がゼロだった証拠だ(苦笑)。開店前は忙しくて写真など撮っていられる訳が無い。そもそもバンケの同僚であるムサ(名前と写真で中東系なのが分かると思うがレバノンの人)が「シェフ、カメラ持ってる?」と聞くので「携帯に付いているけど」と応えると、「じゃあ、一緒に撮ってよ」と言うのでツーショットで撮って、ついでに何枚か前出の写真も撮ったのだった。いかにもやる事が無くて暇と言う感じだ(笑)。
忙しければばたばたする日曜ブランチだが、何だかのどかな1日になってしまった。実際ただでも日曜のブランチは、少なくともお客様にとってほっとする時間なのだから、これはこれで良い。混んでいないから2時間以上のんびりする方もいるし、レストランに子連れでどうどうと入れるのもブランチぐらいだ。私の膝下しかない身長の女の子が両手で彼女の顔の倍もある皿をささげ持って、“Bonjour Chef!Crêpe nature s'il vous plaÎt.”(今日はシェフ!何にも入れないクレープ作ってください)と顔を赤らめて頼む姿など本当に可愛らしい。彼女はその小さな身体で3回もクレープを頼みに来た。彼女の弟らしき更に小さな男の子は1回(それも自分で言えずにお母さんが代理で)来たきりだが、余程クレープがお気に召したらしい。こんな微笑ましい風景に出会いたくて私はこの仕事を続けているのかもしれない。
 しかし今週は火曜日に350名のバンケ+小バンケが1件入っているので、明日はその準備。ようやく本来の仕事に戻れる。実際今週、来週辺りからまた忙しくなってくるようだ。否そうでなければ困るのだが。


159.今年も解禁。

(11月19日更新)

11月の第3木曜日に「今年も解禁」と書けば、言わずと知れたボジョレー・ヌーボーである。今年は期待感があったので、絶対購入するつもりであった。どうにか数本買えたが、銘柄は2種類のみ。何しろカナダでは基本的に公営の酒屋でしか酒類は販売しておらず、ケベック州でこれを一手に引き受けているのはSAQ(Societe des Alcools du Quebec)で、勿論それぞれの店舗の規模で多少ラインナップが変わるが、元が同じ組織(よくA店の店員さんがB店に手伝いに行ったりしているのに出会う事もあるし)なのだから、基本的には同じ様な品物しかない。今日は休みだったし、一応2件廻ったが、1件目は既にヌーボー自体売り切れ。2件目でモメサンとジョルジュ・デュブッフを見つけたのみだ。感想は未だ飲んでないので書けないが、今年は100年に1度の当たり年・・・だそうだ。もっともボジョレー・ヌーボーの毎年の宣伝文句を聞いていると、3年に1回位は「10年に1度の当たり年」が来るし、2003年も100年に1度の当たり年とか言う同じ台詞を聞いた(苦笑)。それでも100年に1度とまで評したのは記憶している限りここ20年くらいの間でその2003年のみだったと思うので、少なくとも過去10〜20年の間で1,2を争う当たり年とは言えるかもしれない。楽しみである。それに2種類のみとは言え、ポピュラーなモメサン(ヌーボーでなくとも普段からよく飲んでいる)と、ボジョレーの帝王とまで言われるジョルジュ・デュブッフならまあ外れではないだろう。今日か明日には開けてみたい。
 去年のモメサンはペットボトルだったが、今年は普通のボトルに戻った。ペットボトルの登場は去年からだったと思うが、日本に輸出されるヌーボーも今年はペットボトルが多く、生産者が伝統に反し、劣化も早いとしてこれに抗議していると聞く。まあヌーボーを寝かせて飲む人はあまりいないだろうから、劣化速度はそう気にしなくても良い様な気もする。そもそも日本はボジョレー・ヌーボーの最大輸出国。「ワインは熟成されなければ意味が無い。ヌーボーを有り難がって飲むのは日本人くらいだ!」と言う人(この人も日本人)もあったが、まさか生産者がアジアに輸出する目的で作っている訳では無いのだから、それは言い過ぎだろう。熟成したワインは確かに美味しいけど、ヌーボーはヌーボーで美味しい。ワインの様な嗜好品に「こうでなければ駄目だ」みたいな考えを押し付ける方が余程不自然だと思う。
 私はソムリエではないので、「この料理にはこのワイン」と断じる程の知識はない。しかし逆にワインを飲んで、「このワインにはこんな料理を合わせたい・・」と言う事は当然考える。私は自宅で晩酌はまずしない。その代わりほぼ毎晩寝る前にワインを飲むが、9割方おつまみは食べない。多少空腹状態でワインを飲むと、「今これを飲みながら食べたい料理は・・」とか浮かんでくるからだ。まるで鵜飼いの鵜だ(笑)。ボジョレー・ヌーボーは軽いのでどんな料理でも大概合うと言われる。それはそうだとは思うが、だからこそ何が1番なのか考えると難しい。解禁日の季節が1つの鍵かもしれない。当然日本とケベックではこの時季気候が大きくずれるから違った料理になるだろう。今時「魚料理には白ワイン」とか言う古い知識の人も少ないだろうが、軽いワインだけに魚料理でもしっかりしたものに会わせ易いのも魅力だ。逆に肉だったら、あまり印象の強い料理だとワインの味がかすんでしまいそうだから少しさっぱりとした味付けか・・。まあ、こんな事は私ごときのエッセイを読むまでもなく、あちこちに情報があふれていそうだ。勿論これは大雑把な話で、個々のワインに何が合うかは飲んでみなければ分からない。ジョルジュ・デュブッフ、モメサン共順に味わって考えるのは楽しみだ。
 もう随分前の事だが、SAQも長いストライキをした事があった。確か3ヶ月くらい続いたと思う。幸いケベック州は他の多くの州と違い、安価なワインとビールはスーパーマーケットやコンビニで買えるのと、私の住んでいる地域はオンタリオ州との境目だから、オンタリオのLCBO(Liquor Control Board of Ontario)まで越境して買いに行く事も可能だった。しかしモントリオールや、更に遠いケベック市などのレストランはさぞ難儀をした事だろう。
 まったくこちらのストライキの長さには驚くばかりだ。去年はオタワのOCトランスポと言うバス会社が2ヶ月近くストをやった。オタワの公共交通機関はこのOCトランスポただ1つ。まさか東京、大阪の様な大都会は引き合いに出さないが、日本の地方都市で、全ての公共交通機関が一斉にストライキに入った場合を想像していただければ分かりやすい。自前の車や、乗せてくれる人が近くにいなければ、タクシーか、後は自転車にでも乗るしかないのだ。
 そういう高度な公共性から見ると、いくらカナダの顔の1つと言える博物館でも、博物館など行かなくても生活に支障は無いのだから、世間の感心が低い。しかし、ようやくカナダ労働相が仲裁役を派遣する事になり、明日の金曜日に交渉が再開される。確かに労働相こそこの場面に相応しいだろう。外相に頼みに行く筋ではない。願わくば明日でストライキ終了となって欲しいものだ。既に2ヶ月を超えているのだから。
 火曜の350名のパーティは土壇場になって400名に膨れ上がり、相当な苦労を強いられた。先月の大幅減少も無駄が出ると言う意味で大変だったが、さあ始まると言う時に50名も増えては流石に困る。20名分程度は何時も余計に作っているが。今回ベジタリアンは揚げ出しをフュージョン風にアレンジしたが、流石にこれも売り切れた。私がグランドホールで現場指揮を取り、副総料理長のマイケルが機械操作の為厨房に留まったが、例によって無線で「400名に膨れ上がった模様」と連絡するとマイケルは絶句して答えが返ってこなかった。当然だろう。逆なら私も絶句する。
 明日の金曜は航空博物館から依頼が来ているのでそちらのパーティの為に出勤。相変わらずシーズン中と逆に週末のパーティが無いので、土、日はまた日曜ブランチを引き受けてと、私はどうにかまともなスケジュールで働いている。しかし、デーブは顔を出さぬまま結局失業手当の申請をしたと言う。確かにこの状況下で2人同じポジションでは、無理やり仕事を作る事すら不可能だったかもしれないが・・・。
 何れにせよこのストライキのつけは大きい。例え明日解決したとしても。


160.水商売とは言え・・。

(11月23日更新)

結局今もってストライキは終了していない。しかし交渉決裂と言うニュースもないから、今回は水面下で交渉は持続していると言う事か。相変わらず「420名ストライキ中」の看板が掲げられているが、脱落者が出ないのも日本と事情が違う。日本ならとっくに第2組合だの第3組合だのが出来て、1部の人が裏切って職場復帰している頃かも(苦笑)。
 それにしても急にまた忙しくなってきた。先々週など週休3日も取ったが、うって変わって今週は休み無しになりそうだ。月曜から土曜まで毎日予約が入っている。特に忙しいのは水曜日で200名のグループと150名のグループと2組入っており、それぞれが例によってアミューズブーシュ付きのカクテルパーティからスタートするから準備するアイテムが非常に多い。明日は小さな昼間のパーティが2つしか入っていないから、本来なら今日が私の休みの日になる所だったが、今日から水曜の準備をしなければ間に合わない・・いやそれどころか実を言えば昨日もブランチは開店までの準備をやって後をレストランのメンバーに託した後仕込みを始めていたのだ。月曜はカフェテリアの終了も早く、仕舞いには皆帰して私1人残って仕込みを続けた始末だ。この水曜はともかく、後は小規模なパーティばかりなのにこんなに忙しいのは、やはり何と言ってもデーブがいない事が大きい。2人で手分けしていた状況ならどうと言う事のない程度の忙しさだ。デーブの他にも前に書いた私の旧友の甥セバスチャンも新しい仕事を始めて辞めたし(これはストライキとは関係ないが)、他にも何人か辞めた。しかも暇な時期に自分で余計に仕事を増やしたりしたから、一気に忙しくなった訳だ。全くこの職業は極端に上がったり下がったりだが、特にこの職場ではその差が大きい。
 せっかく最近更新頻度をブログ並に上げる様努力しているので、今月の最初の更新同様日記的に書いておく事にした。次回はまた何か興味深いエッセイにしたいが。


161.宴会担当副料理長なのだから・・・。

(11月27日更新)

 その後交渉は決裂し、ストライキ継続中だ。こんな書き出し自体がもうマンネリ化してきたと言っても良い。今回の条件にはストライキ中の従業員の96パーセントがNOと言ったらしいが、逆に言えば4パーセントは、もうその条件で良いから復帰したいと言う意味なのではなかろうか。話し合いそのものは継続している様だから、近々解決の希望はあるが。
 しかし、前回書いた様に私個人のスケジュールは完全に元に戻った・・・と言うより、更に忙しいくらいだ。水曜は自然博物館の150名と、グランドホールの200名の2組が入っていたのでセバスチャンも新しい仕事が終わった後(つまり、こっちもメインコースを出し始めた頃だったが)手伝いに来てくれたし、きょう子さんも来てくれた。彼女が来たのも1ヵ月半ぶりくらいじゃないだろうか。次回もまた1ヶ月くらい先かも(苦笑)。
 昨日はこれまた久しぶりに戦争博物館の会議室の1つで40名強のパーティが入っていたので、ルイと、普段は文明博物館のレストラン「カフェ・ド・ミュゼ」で働いているジャン‐セバスチャン通称JSがドライバーを兼ねてと言う2人を連れて行ってきた。戦争博物館の厨房から会議室まで若干距離があるので、隣にある同じ規模の会議室が空いていた為、そこで仕上げると言う形を取った。しかし床が完全に絨毯なので、メインコースをそこで盛り付けるのは躊躇われた。そこで、メインは厨房で(メインはローストビーフだったので、尚更切った時に血や肉汁がこぼれる可能性もあり)盛り付け、蓋をして積み重ね2つの移動式温蔵庫で現場に運んだ。現場では取り出して、ソースをかけ、飾り付けて皿を綺麗にするだけにした訳だ。もっとも、ローストビーフを焼く時などは、戦争博物館厨房の旧式オーブンの方が、未だに私には馴染みやすい。時々開けて確かめ、自分の感覚でミディアムレアに仕上げる方が安心出来るのだ。最新機械は中央の温度が設定通りに仕上がるのだから、自分の感覚で焼くのと実は結果はまるで一緒の出来上がりなのだが、どうも機械を信用し切れないのはやはり古いのか(笑)。何れにせよこのパーティは成功を収め、お客様からは「是非またお願いしたい」と言うお言葉を頂いた。
 今日は明日の70名弱のパーティ(会場はカフェ・ド・ミュゼ)のミザーンプラスのみだったので、夕方には終わった。明日もそうだが、100名以下のパーティでは総料理長だの、副総料理長だの出る幕は無く、デーブのいない今基本的に全て私の仕事になるから、これが入っている限り、今週の様に休みゼロで、朝から晩までのシフトも増えそうな気配だ。元々そのポジションの為にここに移籍したのだから止むを得ないし、寧ろ今の状況で2人同じポジションでは自分は何の為に来たのかと自問する事になっただろう。
 何だか今回も日記的になってしまった。今月の目標(少しエッセイらしくすると言う)からすると、ずれてしまっているがやはり半分ブログみたいでも良いのかもしれないとも思う。エッセイらしい話はたまに書けば良いだろう。


162.文明博物館だし。

(11月29日更新)

 昨晩の70名弱(最終的に68名)の小規模な結婚式も成功を収め、新郎新婦始め参列者全員に喜んでいただけた。特に今回は先月90人前作って一つも売れなかったと言う例のベジタリアンの定番の1つ(エッセイ150参照)を(おそらくあれ以来初めて)16人前作って丁度完売した事は嬉しかった。しかも、最初にサーブされたお客様がかつら剥きのズッキーニと天に乗せた軽く火を通したトマト コンカッセに包まれて中身の見えないプレゼンテーションに感嘆し、それを見た人が我も我もと頼んで完売したのだから料理人冥利に尽きる。色の組み合わせの良い料理は味の組み合わせもぴったりと言う事が意外に多く、この料理も緑のズッキーニの中に隠れているグリル野菜の盛り合わせとリゾットが廻りに流したトマトのブイヨンと合う様になっている。私1人ではなくジョルジュと2人で意見を出し合って作った料理だ。ついでにアミューズもバラエティ豊かにと頼まれて、寿司を握ったりベトナム式生春巻きを作ったりもした。
 勿論肉料理の牛フィレの方も喜ばれたが、こっちは例の機械によって自動的に絶妙な焼き加減になっているから私の腕とは関係ない(笑)。もっとも、流石にこの機械にも慣れて来た。いや慣れなければ困る。ここではこれを使いこなせないと仕事にならない。最小の人数で500人前、1000人前の料理を一気に出すには普通の設備では対応出来ないのだから。
 実際休みゼロの今週に続き、来る週も忙しく、月、火は昼間の小さなパーティが1〜2件ずつ。水曜は何も入っていないが、木曜は150名と20名の2件。金曜は452名、土曜は650名がそれぞれ1件づつ入っている。この人数ではまさに、Rational(この機械のメーカー名)2台をフル活用しなければ困難だ。勿論単に大人数の料理を完成させるだけでなく、豚の丸焼きからチャーハンまで、或は単なる蒸し器や乾燥機としても何でもこなすスーパーマシンだ。プログラム可能な言語も日本語を含め数10はある。
 便利なものは便利なものとして利用しつつ、機械ではカバーし切れない料理人の経験とセンスが必要となる部分に力を注ぐ事を考えるのが今の私の仕事の様だ。文明は文明で受け入れないと・・・何しろ文明博物館で仕事しているくらいだ(苦笑)から。