エッセイ2008年7月

89.ツーリストの夏。
(7月7日更新)
ガソリン代が益々上がる一方である。ついに防衛策として、ロメイン、ツェア、ジュアン、サミュエル等ガテノー以南に住むメンバーが共同で家を借り、ウエイクフィールドに引っ越す事にしたと言う。私も誘われたが、チェルシーは隣町だし(それでも自宅から職場まで20キロは離れているが)まるっきり寮生活みたいに職場の仲間と毎日顔を合わせるのも新鮮味が無いので断った。「まあ、あんまりガス代が上がるようなら、職場の方を変えるよ。あははは」と冗談でごまかしたが、Nakiは住むところより仕事場を変える方向で考えているらしいと真面目にひそひそフランス語で話している(何語に関わらず、自分の事を話されていると、小声ですら解るから不思議だ)人間がいるのには苦笑した。どうも私がジョルジュの下に走るのではないかと言う噂が立っているようだ。
それはともかく、上記のメンバー以外はパディがシェフ就任と同時にこの町に越してきた事は以前書いた通りだし、中堅幹部も見習いも殆どウエイクフィールド周辺に住んでおり、私が一番遠いと言う事になりそうだ。寧ろ冬の道路事情を考えるとウエイクフィールドに住んだ方が楽だとは言える。しかし、そうなるとまるで山小屋生活のようにこの小さな町に隠遁生活を強いられるような気がする。今でも忙しく、気がつくと1月以上オタワにすら行かない程なのだから。大体このウエイクフィールドは機関車(今は休止しているが)で来るようなお客様の中に「ウエイクフィールドって実際に人が住んでいるんですね」などと真顔で聞いてくる方もいらっしゃるくらいの町。要するにヘリテージ・カナダ(日本で言えば江戸村、明治村の類)もどきのテーマパークだと思われていたりする浮世離れした場所だ。
こんな状況の中、例年より忙しいのはいささか異常ではある。今週辺りから少し企業会員が減るが、ツーリストは増えている。結局機関車より、車で来るお客様が多いと言う事だ。例えばオタワ周辺の様な近場(オタワに遊びに来ている観光客も含め)からなら、遠いリゾート地よりは日帰り距離のウエイクフィールドに泊まれば、ガソリン代も節約できると考える人もいる様子だ。正直今年この状況は予測していなかった。週末には結婚式も多い。今週末も久々に私が仕切って結婚式をブッフェではなく、コース メニューでやる予定なので、その準備も進めなければ。オーベルジュの要である料理の評判を聞き、期待して来てくれるお客様が増えて来たのは嬉しい事ではある。新任のメートル・ドテルであるマルクは流石にどっしりとしたベテランで仕事が出来そうだ。前任のジュリは降格されても辞めた訳では無く、先週も一端お客様に出した皿を持ち帰ってきて、ドンッと私の前に突き返し、「注文は岩魚だっていうのに何よ、これは!」とか言うので、見ると正に岩魚の皿。「何って岩魚でしょ?」「だって赤身の魚じゃないの。鮭でしょうが、これは」との反応にまた呆れてしまった。岩魚は無論赤身であるが、素材への知識の無さはこの際置いておこう。しかしそもそも彼女がこの店に来てから、2年ほどの間、内容は変わっても岩魚は常にメニューに載っているのに今まで気がつかないと言う事実に驚愕したのだ。率直に言って、レストランの顔であるメートル・ドテルを下りてくれて助かったと言わざるを得ない。余程体制をしっかりしておかなければこの夏を乗り越えられそうもないのだから。

90.色々あると言っても・・・(大使、失礼しました)
(7月15日更新)
先週パディに呼ばれ、「もう調理場はNakiが回している方がいいと思うんだ。私は在庫管理、人の管理、品質管理とかに徹するよ」と今更ながらに言われた。改めて宣言するまでも無く、彼は今までも殆ど自分が包丁だの鍋だの持つ事は殆ど無かったし、逆に言えばこれからだって、必要に迫られれば(私やロメインがいない時とか)調理場に立たざるを得ないだろうから特に何が変わるわけでもなく、基本方針と言う事だろう。私としてはこれは有難い事で、現場監督のような立場の方が未だしも向いているし、パディが病欠していた間の山の様なデスクワークを思えば、彼がそれを一手に引き受けてくれれば言う事は無い。北米のホテル系の料理人にはシェフを経て支配人、総支配人に進む人も多く、うちの事実上の総支配人(名目上の総支配人はオーナーになっているので)であるステファンも他所でスーシェフを経験している。パディもそういう方向に行ける人材だと思う。逆に本性料理人であるジョルジュの様なシェフはカフェ・アンリーブルジェを去った時は「これからは調理学校の指導教授としてやっていくよ」と言い、このル・ムーランを去った時は「もうシェフはいいよ。飲食業のコンサルタントとして生きていく」とか言っていたが、何れも私は信じていなかった。そして案の定カフェ・アンリー・ブルジェの後はすぐこのル・ムーラン。ル・ムーランを去った後も同様に殆ど間をおかず今の博物館グループ総料理長に収まっている。ある人が「料理人と言う仕事は麻薬の様なものだ」と言ったが、私にもその感覚はよく解る。要は2種類の料理人があり、後者はやはりホテル系より街場の料理人に多い。
先週から企業会員のグループが減り、ツーリストが多くなったと書いたが、去年までと違うのは企業会員もゼロでは無いと言う点で現に今日、明日も40人クラスのグループが一件入っている。ツーリストの季節に40人クラスともなれば泊まれる部屋は全く無いので、会議を挟んで朝食、昼食、夕食まで食べてからオタワに帰り、また明日の朝食には戻ってこられてこの繰り返しなのだから大変だ。因みにこのグループは珍しく官公庁ではなく、オタワ大学の教授陣である。
必然的に今日もブッフェだが、私は昨日は休んだの(ただでもここ数ヶ月残業率100パーセントだけに月に3回は休むようにしているの)で、冷製の準備は昨日のうちに準備しておくよう指示し、温製の肉料理、魚料理等は私が朝一で用意したが、火曜日は大口の食材の配達が5件も入っている。そっちの方はそれこそパディが今日は8時に来て全部チェックすると言う話だったが、この所彼は10時前に出勤する事が無かったし、一応私がチェックできるように時間配分しておいたら、案の上8時少し過ぎた辺りから特に大きな3件、野菜業者Orleans、総合食品会社Sysco、もう一つの野菜業者Hector Larivéeが殆ど同じタイミングで到着。どの会社も巨大なコンテナ・トラックで来るので一件ずつしか調理場の裏口にアクセス出来ず、ずらっと並んで順番を待っていると言う有様だ。そもそも最後のHector Larivéeに至ってはモントリオールから来るので、普段は早くて11時、午後になることも多いというのに、こんな時に限ってタイミング悪く早く来たのだ。この3件目をチェックしている9時半位にようやくパディが来たのでバトンタッチして料理に戻ったが、忙しい朝だった。しかも今朝は他にも問題があった。

今朝出勤すると朝食係のドゥェインが「さっき6時丁度くらいにG(仮名)の奥さんから電話がありまして、彼は病気で今朝来られないそうです」と言う。「今朝だって?彼は今日は午後のシフトだぞ。何で朝の6時に電話がかかってくるんだ。そもそも自分で電話できない程具合悪いって言うのか?」「さあ、私に言われても」といった会話を経て、暫くしてから間接的に警察からの連絡で「Gが逮捕された」と言う。「タ、タイホ?いったい彼は何をやったんですか?」と聞くと、それは解らないと言う話だ。私も長年この世界にいるが、部下が(いや上司にせよ、同僚にせよ)逮捕されたなんて話は初めてだ。ニヤミスは結構あった。大体がやくざな世界だ。以前薬をやっていたなんて人間がイギリス、カナダで私の下に付いたこともあったし、短気で喧嘩っ早い人間も多いので、暴力沙汰寸前と言うような事もあったりした。「調理場でサイバー犯罪?」なんていう事件だってそうとう珍しかったが、あれだって所詮内輪の事に過ぎない。
もっともその後順次入ってきた情報によると、別に重大犯罪を犯したわけではなく、ちょっとした行き違いで訴えられたといったケースの様で、そのうち本人からパディに連絡があり、暫くパディが身元保証人になると言う事で、明日は仕事にも出て来ると言う。全く色々なことがあるものだ。

ようやく昼のブッフェ、ア・ラカルトが片付き、後はバー、ラウンジのおつまみメニューだけとなったので、ジェレマイアに任せ、明日のブッフェのメニュー作りを始めた。とりあえずこれは作っておかなければ、皆何を準備して良いかも解らないだろうし。始めてすぐバーマンのアンドレが2階から呼びに来て、「日本人のお客がおつまみメニューにメンチカツだの八幡巻きだの載ってるからって質問してくるんで、話したらシェフに会いたいってさ」と言うので、2階のテラス席に挨拶に行った。どこかで見た顔だなと思ったが、ちょっと思い出せず、話しているうちに「ところでお客様はどちらから?」とお聞きしたら「え?ああ私はオタワで大使をやっていまして」との返事。何処かで見た筈である。何と西田大使御夫妻ではないか。またしても恥をかいた(苦笑)。こういう調子で浮世離れしているから、モントリオールでの会議でだんまりを決め込んだのも理解してもらえるのではなかろうか。本来なら「閣下」とか呼ばなければならない所なのかもしれないが、御夫妻ともいかにも外交に長けた気さくな方々で、「是非一緒に写真を」とまで言われた。ケベック州日系料理人協会の事を御報告するチャンスかもと思ったが、プライベートで寛いでおられるようなので無粋な話は止めて置いた。後日お詫びを兼ねてお報せした方が自然だろう。日本大使は2代前か、3代前かの方がフジェールに来られて御挨拶したが、フジェールの優秀なサーヴィスマンはさりげなく相手の素性を確かめておいてくれたので、その時は恥をかかずに済んだものだった。うちのサービス陣の中でも特にバー、ラウンジのスタッフは不安があり、分けても主任のアンドレはジュリと並んで問題を起こすワースト1なので、そんな事は期待できない。2人とも私より年上のベテランなのだが。もっとも自国の大使に気付かない私が一番間が抜けている。大使、奥様、失礼いたしました。
今日は久しぶりに更新しようと昨日から決めていたが、およそ今日1日だけで書く事に事欠かない・・・と言うか、いくらなんでも色々あり過ぎだ。

91.調理場の温度は上がり・・・
(7月29日更新)
中々更新出来ないままに7月ももうほぼ終わりだ。夏なのだからそれなりに暑いが、基本的に冷夏で過ごし易いのは正直助かる。とは言え調理場の気温は相変わらず高い。温度が急上昇して火災報知機が誤作動する事数回。先日はついに止まらず、消防車が出動する騒ぎになった。何度もこれで誤作動を起こしているのだから原因は明らかなのだが、消防車が来て「はい、そうですか」で帰るわけにも行かないらしく、営業中全部の熱源を一端停めて仔細にチェックする物々しさだったがこれは止むを得ない。もっとも火災報知機が消防署に、盗難警報が警察に直結しているこちらのシステムは凄い。日本ならせいぜい民間の警備会社に繋がっている程度ではないだろうか。先日もフジェールで朝一で鍵を開けて入ったは良いが警報機の解除をし忘れて鳴り出して慌てた。大抵掃除の女性が私より早く出勤しているので、去年の暮れの泥棒騒ぎ以来自分で鍵を開けて入るのが初めてで警報機も実際には未だ使った事がなかったので仕方が無い。まあ朝の7時ちょっと前くらいだからレストランに明らかに誰か出勤している時間と見て、警察も即出動はして来ず電話を架けてきたので事情を説明したらすぐに解ってくれた。よくある事なのだろう。
例によって今日は更新しようと決めていたが、前回ほど特別な事は今日はなかった。前回書いたGは結局あれから皆にも迷惑をかけたと言う事で謹慎していたが、2週間ぶりに復帰してきた。私としては彼を信じているし帰ってきたのは大歓迎だ。フランス料理は特に共同作業が多いから、背中を見せられる信頼が無ければチームは組めないのだ。
先週を堺に企業会員から完全にツーリストに移行し、ブッフェからア・ラ・カルトに的を絞れるようにはなったが、実際にはブッフェをやっていた時以上の人数が毎日入り、レストラン・メニューとバー、ラウンジのおつまみメニューがどんどん消費されていくので、かえってブッフェと平行してやっていた時より仕込みが追いつかない状態だ。結局あれから人数も増えず、パディは調理場に入らずなのだから、私自身がソーシェをやり、ミザンプラスも中心となってやらざるを得ない。どうせこうなると思っていたし、自分の性に合っているので文句はないのだが。

92.新ストーブの導入
(7月31日更新)
ほぼ1年近く前から計画してきた調理機器のリノベーションがついに今日実現した。今日は私の誕生日でもあるのでちょっとした誕生日プレゼントと言う感じだ。何しろここ数年(つまり私がこのホテルに来た頃からずっと)ストーブ、オーブン、グリルはトラブル続きで、修理を呼んでもまた数日後には壊れるという繰り返しだった。ただ壊れるだけなら対処のしようもあるが、オーブンは何度も営業中に火を噴いたし、グリルも明らかにガス漏れの傾向があり、危険だったのだ。築170年近い建物とは言え、ホテルとしてオープンして10年と経っていない訳だが、本のところで中古の調理機器で始めたからそうとう古い物と言える。私とロメインはサラマンドル(上火だけの開放型オーブン)を導入したかったので、色々検討していたが、換気扇の位置の低さ等、最初の設計に無理があった為、これは諦めざるを得なかった。オープンして数年、オーベルジュを名乗りながらも料理の評判が芳しくなく暇であったのでこれで十分事足りた訳だ。しかし3年前にジョルジュ・ローリエ シェフが就任して以来評価を上げ、ついに今の忙しさを見るようになった今はバーナーが6個しかなく、火力も弱いストーブでは到底対応出来ない。新しいストーブはバーナーが10個あり、更に脇にフォン(出汁)用の大型の火口がある。長時間かけてじっくり出汁を取るフランス料理の宿命から今まで殆ど常に1個のバーナーにはフォンが乗っていたので現実には11個あるのと同じ事だから大分仕事が楽になる。
ただし今日はその為に朝食(これもこの時季はほぼ毎日ア・ラ・カルトなので)を出し終えた後昼の営業時間中はメインキッチンを使えず、調理は基本的にパティスリー内で、グリルは外にバーベキュー台を設置して一人専従で担当させ、バーベキューだけで火が通らない物はパティスリーのオーブンに移すという方針でやった。パティスリーのオーブンと言ってもコンビクション・オーブン等は全てメインキッチンの方にある。パティスリーには家庭用の電気ストーブ(4つの電気バーナーにオーブンが付いている物)があるのみ。これだって1年足らず前にようやく導入したものだ。ストーブも当然十分な火力がある訳では無いので、私の車に積んであるキャンプ用ではあるが大型で火力の強いバーナーをパティスリーに持ち込んだ。これは火力が強いのは良いが、パティスリーの換気では十分出ない為、相当煙が立ち込める。何しろ今週は月曜から昨日の水曜までそうとう忙しかったのでこの体制には不安があった。昨日など昼の予約は8名しか入っていなかったのに、実際には50名を越えた。因みにこの人数はダイニングのみで、バー、ラウンジは別だ。ダイニングだけで50名を越えると最初から解っていればブッフェをやる所だ。
で、今日である。幸運と言うべきなのか、今日は天気もそう悪くないのにも関わらず、この夏初めてと言って良い暇な日だった。緊張してバーベキュー台前に立っていたジュアンはやる事が無く、様子を見に行ったら日向ぼっこをしている様な有様だ。昨日などはグリルを使うメニューが圧倒的に多かったが、今日は元々少ないお客様が、この状況に合わせてオーブンで作れるものを選んだ私のお勧めメニューとかを頼んだので彼の出番が全然無かったのだ。パティスリー内でも私の脇には一番経験の浅い見習いのアレクサンドルがいるのみで、彼に前菜とデザートの両方を担当してもらったが、それで十分事足りた。結局バー、ラウンジのオーダーも少なく、仕込みは今日は無理と踏んで、昨日ジェレマイア、グレーグと共に十二分にやっておいたので今日は仕事を早く切上げる事ができた。もう3ヶ月以上残業率100パーセントだったので、1時間早く仕事を終えるという事は実際には普段より2〜4時間も早く終わった事になる。この意味でも誕生日スペシャルといった感じだ。お陰で今月最後の更新をこうして思いがけずゆっくりやる事が出来たのである。それにしても無理やりメインキッチンを引越しさせたようなパティスリーは雑然とした東南アジアの屋台の様ではあった。ちょっと参考までに写真をアップしておこう。パティスリーは割と広いので写真はその3分の1位ではあるが。