エッセイ2007年12月

56.師走、お客様からのクレーム、新メニューへ。
(12月7日更新)
先月は結局11月13日が最終更新になり、12月も既に1週間を過ぎてしまった。去年の暖冬とは打って変わり、今年は11月から雪もがんがん降っており、もう3週間近く毎日のように雪。去年などは年が明けるまで殆ど降らなかったと言うのに。気温も既にマイナス20度を越える日もある。マイナス20度はこの辺りではそう寒い方に入らない(マイナス40度近くまで下がる事もあるので)が、この時季としては相当気温が低い方だ。
数日前にお客様からクレームのメールをいただいた。土曜の夜、私がいない時の事なのでいったいどういう状況だったのか客観的には分からないが、概ねの内容としては、*15分遅れて着いたにも関わらず、未だ席が用意されておらず2階のバーで待つように言われた。*もう一組のカップル共々2階のバーで待つように言われ、20分待っても音沙汰なし。*もう一組のカップルが、様子を見てくると1階のダイニングに行ったきり戻ってこないので、しばらくしてこちらも様子を見ようと妻を置いて一人で降りてみると、待っているように言っていたメートル・ドテル自身が「早く降りてきてくれれば良かった」などとしらっとして言うので、そうとう頭にきたものの妻を呼びに行き、席に着いた。*やたらと声の大きなグループがいたので、そのグループから一番遠い滝の傍の席を選んだが(席を選べる程余裕があり、待つ必要はそもそもなかった)、それでもグループの声が大きすぎて、こちらの会話に不自由した。*前菜の後、メインコースが一向に出てこないので、件のメートル・ドテルに聞くと、シェフがオーダーの紙を無くしたのだと言われた。*その後すぐ持ってきたメインコースは冷めていて、明らかにシェフが伝票を無くしたのではなく、出来上がっていたのを何時までもウエイターが放っておいたのだと分かった・・・等のものである。
非常にシリアスな抗議で、前に来た時(前メートル・ドテルの頃)は非常に素晴らしい時を持てたのに、もう2度と行く気がしなくなってしまったのが残念であると結んであった。しかもこのお客様はカナダの国会議員である。否VIPだからどうだと言う事ではなく、御本人も書いているように職業柄毎晩のように一流レストランで食べ歩いていて、決して普段クレームのメールをわざわざ出すような事は無い立場の人であるという点が問題なのだ。確かにこの状況なら怒らないほうがどうかしている。残念ながら現在のメートル・ドテルについて、「彼女に限ってそんなサーヴィスをする事は有り得ない」と自信を持って言う事が出来ない。本音エッセイだからあえて書くが、寧ろ「またか・・・」と言う感想だ。それ程過去に何度もお客さんを怒らせているからだ。ジョルジュがいた頃は一ウエイトレスで、一ウエイトレスとしても相当問題あるサーヴィスぶりだったのだが、ジョルジュが呼んだメートルであったエリックがしばらくジョルジュのポジションであった飲食部統括責任者(現在このポジションは空席)を引き継ぎ、春にはジョルジュの後を追いかけるようにして辞めてしまったので、急遽メートルに昇格した。30年この仕事をやっていると言う事だが、正直、どこでどういう仕事をして来たのか疑問だ。これ以上書くと悪口のようになるし、身内の恥なので書かない。ウエイター、ウエイトレスの中には優秀な人材も何人かいるのだが、何はともあれ今回のクレームは重い。
やはりサーヴィス部門で何度も賞を受賞しているル・フジェールのサーヴィス チームはその点凄いと言わざるを得ない。勿論我々調理場サイドも色々改善策を練る必要がある。
ル・フジェールのサーヴィスと言えば、今回の冬の新メニューではメニューに合わせたワインを例の女性ソムリエ世界一にして全カナダ ナンバー1ソムリエのヴェロニクがアドバイザーとなって選んでくれることになった。夜の新メニューは既に先週からスタートしたが、昼のメニューはクリスマス後まで大延期と言う事になりそうだ。それと言うのも、これと平行して、予約が30人以下の時はブッフェを廃止し、昼のコースメニュー(メインは魚料理か、肉料理のうち一品)を作ろうということになったからだ。私のほうとしては全てのメニューは出来ているのだが、それこそサーヴィスの方に浸透させるのにも時間がかかるし、何よりコンピューターにも全て入力しなければならないからだ。今や首都圏の一定程度の規模のレストランは全てそうだと思うが、オーダーは全てコンピューターに入力し、調理場のプリンターからプリントアウトする。税務署への申告等もこれが根拠になるから、いい加減な入力は出来ない。全くテクノロジーは何処まで我々の様な本来無縁な世界に入り込んでくるのだろう。私自身は固定給だから一度も使った事はないが、今年の頭から時給で働く従業員(全従業員の9割)は指紋認証装置付きのタイムカードを使っている。やり過ぎではないのか?しかも未だ完成度が低いのかしばしば誤動作を起こし、修正できるパスワードを持つのはマネージャー クラスのみである所から、全然関係ないハウスキーパーとかの人達から、「Naki、何回やっても退社出来ないのよ、何とかして」とかいう笑い話のような事を言われたりする。逆に言うと、パスワードを持っていれば、指紋など何の関係も無く、出勤、退社を勝手に入力可能だという事。馬鹿馬鹿しいと思うのは私だけだろうか。カフェ・アンリー・ブルジェもオーダーこそコンピューターだったが、タイムカードは昔ながらの時計つき機械にバチーンと入れるクラッシックタイプだった。もうあんなのは姿を消していくのかもしれないが、あちらの方が余程便利だった気がする。
57.吹雪と、業者と、水の話。
(12月16日更新)

朝から凄い吹雪だった。所謂ブリザードであるが、時として雷鳴が轟く、雪と雷と言う稀有な組み合わせだった。オンタリオ東部、ケベック西部は全てこんな状態だったらしい。つまりトロントもモントリオールもだ。ニュースで北極出身者が、故郷に帰った様な錯覚に陥ったとかコメントしていた位だ。通算12〜13年カナダに住んでいるが、これほど1日に雪が降ったのは記憶に無い。車を停めて2時間ほどして窓から覗くと白い塊になっていて、タイヤは完全に埋まっているようだった。私の車は車高の高い4WDだから、普通のセダンなら半分以上は埋まっている所だ。くどいようだが、ほんの2時間ばかり経っての事である。今年の冬は15年ぶりの厳しさだそうで、気温も低い。普通雪の日はかえってあったかい事が多いがブリザードともなれば話は別だ。この分なら早晩マイナス40度の世界に突入しそうである。
幸い今日は日曜日、指呼の距離にあるル・フジェールが職場だったが、このほんの数キロすら視界を遮られ、遠くに感じられる程だった。勿論お客様も来ないだろうと思われたが、20名以上の団体が2組も予約を入れており、どちらも人数は減っていたものの、ちゃんと来られたのには驚かされた。人間前々から予定が決まっていれば(当然それぞれが記念日)、多少・・・以上の危険を冒してレストランに食事に来るものだろうか。因みにこの2グループ以外の小さなテーブルは全てキャンセルになったが、これはまあ当然だろう。もっとも近所に住んでいるのだろうが、予約なしのお客様はぽつぽつとはいらっしゃった。
新しいメニューとブッフェに代わるコースメニューの打ち合わせでこの所総料理長等と打ち合わせが続いているが、何と言っても仕入れをコントロールするのが一番難しい。地元ウエイクフィールドのバッファロー牧場と契約を結べたのは福音だが、どこの業者でも扱う牛肉などは、値段を競合させて選ぶのが難しい。品質が同じなら安い方を選べばいいという単純な問題ではないからだ。これは日本やヨーロッパでも変わらなかったが、レストランと食材業者はお互いの信頼関係で成り立っている訳で、牛肉は多少高くても、他の商品でいつも安くていいものを回してもらっていたり、無理を聞いてもらったりしているものをそう簡単に乗り換えられる訳が無い。パディやロメインと結構侃侃諤諤の議論の末、これはあそこに頼もうとか、ここに頼もうとか結論を出している。勿論最終決定権は総料理長たるパディにあるが、全部黙って聞いていると言うわけにもいかないのが現状だ。そんな中、飲食部幹部の統合会議で、例の日本の魚などを扱うTrue World Foodさんと年が明けたら取引を行う提案もし、一応皆の了解を得た。向こうもこちらの会社のクレジットチェックを行ってから取引を開始しなければならない訳だから早くに動く必要があるため、あえてこの時期に反対が出る事を覚悟で提案したわけだ。いくら仕入れを抑えると言っても、魅力的な食材がなければお客様は来ないし、この地域が魚に弱い事は皆にも分かっているので、何とか納得してくれたようだ。実際にいつから取引できるか、あるいは継続できるか、未だ分からないが、私としては協会の事もあるし、カツオなども空輸しているTrue World Foodさんと契約して、日本の食材を紹介してみたい野心もある。Juni御用達?の食材と言うのも興味があるし。今度のベジタリアンのメニューには、野菜と豆腐の揚げ出し何ていうのも入れる予定になっている。これは大根卸しまで添えて100パーセントひねり無しの和食風(強いて言えば御飯ではなく、パンと一緒に食べる事、ワインと一緒に食べる事を考慮したつけ汁にアレンジはあるが)で出すつもりだ。
モントリオールのJuniなどは、有名シェフの店だけに和食デビューをしたい現地のお客様が引きも切らないだろうが、私の所やおそらく、La Museの鈴木シェフの所もそうだと思うが、今まで和食を食べた事が無いばかりか、これからも食べるつもりが全く無いと言うお客様もいらっしゃる。和食と聞いて、「生魚はどうも・・・」という反応を示す方は今でも大勢存在するのだ。そういうお客様に日本食にも色々あるというのを是非紹介してみたいと思う。
Juniと言えば、モントリオールのお店に伺った時、ノルウエーのVOSSという水を御馳走になった。世界でも稀な純粋でフィルターされていないナチュラル・ウオーターだが、元カルヴァン・クラインのクリエーティブ・ディレクターがデザインしたとかいうボトルがまず眼を引く。こんな事を書いていると、いかにも私が水まで研究している通の様に聞こえるかもしれないが、雑誌で読んだ知識に過ぎない(笑)。グルメ・ドラマ辺りなら「鍵は水か・・」てな台詞が出てきそうだが、フランス料理では基本的に水は加熱し、沸騰させて使うのでそれ程味が水によって決まる事はない。カルキなどの匂いも沸騰した時点で消えるし、私も低温で野菜の出汁を取る時くらいしか、ミネラル・ウオーターは使わない。しかし、硬水と軟水の違いはあまりにも歴然だ。ヨーロッパの殆どの国では水道水が思いっきり鉄分の詰まった硬水だった。ドイツ日本館で働き始めた頃、小豆で餡を作るため、先輩の指示で一晩水に浸けたが、翌日見ると全く変化していない。かの先輩は笑って「どうだ、分かったか。これがヨーロッパの水だ」と言われた。分かっていてわざと私に体験させようとしたわけだ。硬い水では豆一つ戻らないのかと唖然とした。もっとも硬水は悪い事ばかりではない。硬い肉でも驚く程短い時間で柔らかくなるし、野菜を煮ると糖度が増したりもした。ドイツでは飲料水用のミネラル・ウオーターでも1800度という硬度を持つものもあった。因みに前述のVOSSは硬度が11度程の超軟水だ。日本のミネラル・ウオーターでも70〜80度程だったと思うので、相当柔らかい。ヨーロッパ中何処でも水が硬いと言う訳でもないのだ。フランス料理と言えども水にこだわって、究極の味を探求しているシェフも多いと思うが、郷に入っては郷に従えの例えもあるし、食材ばかりでなく水も土地の物を使えればそれはそれで理想的ではないだろうか。
58.ル・フジェール悲喜こもごも。
(12月31日更新)
昨日は日曜日、例によってフジェールで働く日だったが朝預かっている鍵で開けようとしても開かず、途方にくれていたら、ジェニファーがやってきて「御免なさい。Nakiに報せるのが遅れて・・・」と言うので一体何事かと思ったが、何とクリスマスイブの日に泥棒が入り、用心の為に急遽鍵を変えたという。休み前で事務所の夜間保管用金庫に相当額の現金が入っていたのをごっそりやられたそうだ。不幸中の幸いで、事務所だけを目当てに入っており、現金以外の被害は唯一チャーリーの家に伝わる宝石を置いておいたのが盗まれたのみだそうだが、チャーリーの家はイギリスの旧名家で、先祖代々装飾目的ではなく家宝として伝えられてきた物だと言うから、寧ろこの方がショックが大きいのは想像に難くない。
実の所、フジェールに泥棒が入るのはこれが初めてでは無い。私の覚えているだけで3度目ではないかと思う。小火騒ぎも2度程あったし、オープンして15年ほどの間、無名のレストランがカナダ屈指の名レストランに成長するまでの間体験してきた事件はとてもここには書ききれない。ただ今回のケースで一番チャーリーやジェニファー・・・勿論私にとってもショックだったのは、大型の機材搬入などに使う地下の隠れた場所にある特別通用門から進入して、まっしぐらに2階の事務所を目指している事や、クリスマス3日間の休み前に夜間保管金庫に高額の現金が入っている事など、内部事情に相当詳しい人間の犯行であり、チャーリーは「はっきり言って元従業員の可能性が強い」と言う。そういう情報を買ってはプロの泥棒に売ると言うあきれたビジネスもあると聞いた事があるから、これもそうかも知れないが、いずれにしても内部情報を漏らした人間は存在するのだろう。フジェールも大所帯になった今はいろんな従業員が出入りするようになった。余りにも不愉快な想像だが。そもそもこんな森の中にあるような人口6500人ばかりの町にこんな犯罪が起きる事自体嫌な時代になったと言う感想はぬぐえない。
しかし、フジェールがビックになった影響は勿論ポジティブな結果の方が大きい。ほんの2ヶ月ほど前に出版されたばかりのフジェールのレシピ本も、何と2007年のカナダのCook Bookナンバーワンに選ばれ、Cook Bookのオスカー賞と言われるGourmand World Cook Book Awardに来年カナダ代表として進出する事になったし、今や首都圏のレストラン紹介記事でこの店を取り上げないのは考えられない程だ。パート夫妻は1986年に初めて小さいながら自分達の店をトロントに作り、その直後に私が働き始めたのだが、当時は夫妻と私の3人だけの調理場であった。その頃からの2人の夢が実現したと言っていいだろう。
一昨日Little Innの重田まり子さんから電話を貰い、フジェールのスーシェフJinが5年ほど前にLittle Innで働いていたと聞いた。Jinは日曜日が休みだし、私は日曜日しかフジェールに行かないので、滅多に顔を合わせないのだが、昨日はたまたま彼が大晦日の飾りつけ用に氷細工を作りに来ていたので(彼は野菜彫刻や氷細工の達人で数々の賞に輝いている。写真参照)、Little Innの話を聞くと、照れくさそうに奥さんと知り合ったり、色々な思い出のあるホテルだと言う。それにしてもこれまた不思議な縁である。何しろカナダは大きいのだ。Little Innのあるオンタリオ州BayfieldとLes Fougèresのあるケベック州Chelseaとでは600キロ程は離れている筈だし、しかもどちらも都会ではない小さな町なのだから。
今日は大晦日、今年一年を総括すると、世の中「縁」によって動いている事を改めて実感したのがこの2007年だったと言う気がする。