エッセイ2008年6月


84.微妙な時季。
(6月5日更新)
流石に6月も数日経つと、もう寒いような日は無い。日中は蒸し暑い日も多いが朝晩は涼しい。この位なのは夏に生まれた割りに暑いのが苦手な私にはあり難い。とは言え、例えば野菜の収穫の時季などもずれ込むし、異常な気象が食物連鎖からワインまでどう影響してくるか私程度の知識では到底予測がつかない。いや今時は1年中大抵の野菜、果物が収穫可能だが、姿形は同じでもやはり旬に無農薬栽培の畑で出来たのを自分で収穫させてもらった時の味は格別だ。
結局前回書いた蒸気機関車は8月には今のオーナーのまま走らせる目処がついたという噂だが、未だどうなるか解らない。うちのホテルは前述したように全く影響を受けておらず、むしろ例年より忙しいくらいだが、観光地はやはり共存共栄を図らないと町全体が沈んでしまう。噂通り8月復旧となれば、少なくとも紅葉列車は十分に準備が整うだろうから、そうなって欲しい所だ。これは無論町の為や商売的な理由ではなく、観光で訪れるお客様にとって紅葉を愛でながらゆったりと走るこの観光列車こそが最大の楽しみである筈だからだ。この紅葉列車の記事は昨年「日加タイムス」さんにも取り上げていただいたが、日本からのお客様にも是非もっと利用していただきたい所だ。日本でメープル街道と呼ばれている路線の中で、歩くような速度で眺められる蒸気機関車の旅が楽しめるのはここだけだろうし。
例年より忙しいと書いたが、いつもなら企業会員をそろそろ制限して観光のお客様にホテルを開放する時期なのに、ここ数週間(この先数週間の予定を見ても)月曜から土曜までびっしり企業会員の団体予約で埋まっており、ほぼ毎日ア・ラ・カルト・メニューと平行してブッフェ・メニューを出しているので去年辺りとは比べ物にならない忙しさだ。ガソリンの高騰が留まる事を知らないようなこの時期に有難い事だが、企業会員の8割が今や官公庁、政府関係のお客様なのが世相を反映していると言えよう。ブッフェとア・ラ・カルトを平行してやるのは、しかし食材の無駄を出さない様にする為には有効だ。同じ食材を使って昼夜のア・ラ・カルトの在庫を使うにはお勧めに転用するだけでは到底使い切れない。何しろ余りそうな材料があると皆が私の所へ持って来るのだ。この手の仕事は割と得意だからそれはそれで良いのだが、パディまでも不良在庫やら無駄になりそうな材料やらピックアップして計算し、実際に使う方法はNakiの仕事とばかりに毎日持って来るので、一気に大量に消費できるブッフェが一番楽な使い方という訳だ。そういう意味ではむしろ一期一会の観光のお客様を相手にア・ラ・カルト プラスお勧めのみにシフトした場合、より難しい事になりそうだ。

85.サーヴィス業とは。
(6月10日更新)
暑い。春をすっ飛ばしていきなり夏が来たようだ。特にこの3日程は熱帯夜で夜中を過ぎても気温が下がらない。しかし去年は5月から暑くなり始め、10月くらいまで殆ど気温が下がった日の無い猛暑だったが、今年は6月も大分過ぎてからの事で明日辺りにはまた少し気温も下がるようだ。
会社のパソコンで調べると、この夏は企業会員の会議を制御しきれず、8月の2週間程を除いて予約が見事に埋まっている。去年は夏中観光のお客様のみにしぼり、その代わりほぼ毎週末結婚式を入れるという方針でやっていたので平日は時々ぽかっと暇な日があったりもしたが、今年はそれはなさそうだ。今週も月曜から土曜まで毎日ブッフェをやらざるを得ない状況だ。ブッフェをやっているからと言って、ア・ラ・カルトを希望されるお客様を断る筈もないのだから、両方のミ・ザンプラス(仕込み)をしておき、尚且つ夏場の事で食材の寿命も短いので、おいしいうちに使い切る為相互に転用、加工するから、山ほどやる事がある。相変わらず1週間で1番暇な筈の月曜日が私の定休日だが、この所月曜と言えども暇とは到底言えない。昨日もだが今度の月曜も既に3件の小規模なグループで40名以上は入っている。これに一般のお客様が加わる訳だ。当然会議のお客様が泊まれる部屋数は確保できないから、数日に渡るミーティングでも毎日オタワから通って来られる。まあこんな季節だからこそ森と川に囲まれた会議室で気分転換を図りたいという事なのだろう。火曜日以降の準備も気になるし、月曜もちょっと顔を出した方が楽なくらいだが、パディからも「Nakiは未だ未だ自分で動き過ぎる。でんと構えて皆に指示を与えるようにした方が良い」と言われるので昨日も休んだ。休みの日には色々まとめてやる事もあるし。それでも携帯電話に部下から電話がかかってきて指示を仰いで来たりする。1回目の電話は床屋に行っている時だったのでそっと着信拒否(お客様の前で鳴ったりするのを避ける為、常にマナーモードにしているので周りには気付かれない)にしたが、2度目は買い物をしている時で、歯磨き粉など選びながら「そうしたら、その鳥は卸して・・・」などと喋っていると、どうも傍から見ると怪しい人に見られそうだ。それでも携帯電話の普及のお陰で自宅待機なんて必要が無いだけでも有難い。
週末までびっしり予約の詰まる中、メートル・ドテルのジュリが「今週末は私の誕生日で家族とパーティやるから休みます」と言い出し、ついに彼女は更迭される事になったようだ。ところがそれが決まったのが今朝で今日中に新しいメートルの候補が来ると言うのだから、人事部では前々から準備、交渉を進めておいてきっかけを待っていたと言うことではないかと思う。そうやって待っていれば予定通り?問題を起こすのだからいかに問題を起こす頻度が高いかという証明ではある。現在第2メートル・ドテルは再三登場しているミッシェルを含め3人いて、正直この3人の誰かが昇格してもジュリよりは遥かにましな仕事をすると思うが、あえて外部から連れてくるからには相当経験豊かな人物の様だ。オーベルジュで最も重要と言っても過言では無いポジションだけに余程の人でなければ一際忙しいこの夏を乗り切れないと言う判断だろう。
別に個人攻撃をするつもりは無いが、例えば先のような発言「自分の誕生日〜云々」といった台詞はやはりこの立場にある者が言うべきではなかろう。週末にこういうレストランにフランス料理を食べに来るお客様は半分以上が誕生日を含め、何らかの記念日であると言って良い。前にも書いたかもしれないが、私などパティシェをしていた時、自分の誕生日の日に2桁もの誕生日デザートをお客様の為に作った事もある。そうする事で自分も祝ってもらったような気持ちになるくらいでなければ、こんな仕事はとても出来ない。私の父は結婚前は劇映画の編集をしていたが、ある日某有名映画監督の下で仕事をしていて、「すみません。今日は結婚式なのでちょっと早く上がらせてもらっていいですか?」とか頼み、「ほう。近い人の結婚式かい?」と聞き返されて、「いえ、自分の結婚式なんです」と答えて、そのまま靴も履き替えずに式場に向かったと言う。そこまで自分の生活を犠牲にするのは賛否両論あろうが、サーヴィス業であればやはりそれくらいの覚悟が無ければ別の仕事を選ぶほうが良いと言わざるを得ない。

86. ケベック日系料理人協会発足。
(6月17日更新)
6月14日は父の日。母の日は更新しても父の日は更新しないのかと言う意見もあるので一応触れておくと、この日ル・フジェールの昼のお客様は140数名以上。母の日に比べれば少ないと思われるかもしれないが、終日ア・ラ・カルト メニュー(Table d'hôteは1コースだけ用意したものの、これを頼んだのは7〜8名に過ぎなかった)。しかも調理場は私の他数週間前から始めた新人が一人のみ。例によってマリオが早めに出てきて隣の店の調理場でミザンプラスをしていて、忙しくなったら呼んでくれと言っていたが、呼ばずに済ませられたのは中々この新人ジェシカは見所がある。名前で分かる通り女の子だが、近頃は女性の方が根性(この言葉も古いが)がある傾向が強い。しかし相変わらずこのシフトは新人の登竜門的ではある。
それにしても本業のル・ムーランの方はどんどん忙しくなるようだ。夜は週末以外結構暇で、昼の予約ばかり増えていくのは泊まりのツーリストは未だ少なく会議に来るグループばかりと言う事だ。去年はガソリン代の高騰で今から思うと意外に暇な夏だったが、今年は益々上がるガソリン代に平行して忙しくなってる。最近の企業会員が官公庁ばかりになってきているのは前に書いたが、実は仔細に見るとエネルギー関係やら運輸関係の役所がよく会議をやっている。つまりはガソリン代高騰の御時勢にどうするかという話し合いなのではないかと想像するが、そうだとすれば皮肉な話ではある。連日5室の会議室が空き無しと言う異常さだ。昨日の月曜日も結局昼間75名程になり、私はこの日休みを取る為前日までに仕込みや手配を済ませ、朝の準備から翌日のミザンプラスまで事細かくインストラクションまで書いておいたが、それでも結構まごついていたような報告を受けた。パディは又病院通いの頻度が増えてきて週の3分の1位はいない(今朝顔だけ出したが、明日、あさっては元々休みの予定)し、来週の月曜は出勤する事になりそうだ。今日の昼は50名程度で大したことは無かったが、夜は人数が少ないもののル・ムーランの出資者達の、株主総会みたいな集まりもありパディもロメインもいないのでそのまま残ってアミューズ・グールやチーズの盛り合わせなどを指揮して進めた。明日の準備をじっくりする暇も無かったが、明日の昼は何と98名も予約が入っている。実際には100名を越すのは間違いない。週の真ん中にしてこれである。
こんな状態で昨日の月曜休みを取ったのは、ようやくタイトルの話になるが、いよいよ昨年から準備を進めてきたケベック州日系料理人協会
が昨日発足し、その為にモントリオールまでとんぼ返りで行ってきた為である。ちょっと手違いで会場のモントリオール日系文化会館に遅れて到着した為にもう他の人達は全員集合してミーティングが始まっていたという体たらく。ざっと見回すと、見るからにベテランの料理人さんやら業界関係者やらと言う感じの人達で、困ったのは私だけ誰が誰やら全く知らないという事。最初に自己紹介もあったのかも知れないが、話の様子から殆どお互いに知り合いと言う感じだった。9割方モントリオールの人達の様だから当然かもしれない。元々人前で・・と言うより普段でもあまり喋らない私ではあるが、それ以上に「これは滅多な事は喋らない方が良さそうだ」という本能が働いた。大体こういう席で、それぞれの人の素性を知らずに思った事をぺらぺら喋った挙句、もろに差し障りのある人がその中にいた・・といった失敗が過去に何度もあるからだ(苦笑)。
何はともあれ、ようやく会の発足に漕ぎ着けた事は喜ばしい。上のケベック日系料理人協会という部分をクリックしていただくと、「ケベック州の厨房から」のページに飛ぶが、その7を参照していただくと鈴木会長の挨拶や、会の目的等の文章が見られるので、興味のある方は参照してほしい。

87.ラストマン・スタンディング。
(6月20日更新)
6月のこの時季は日本の梅雨とほぼ時を同じくして雨の日が多い。去年の夏は雨が降っても蒸し暑いうっとうしい日が多かったが、今年はやはり冷夏の傾向があるのか雨が降ると気温も下がり、過ごし易い点は正直有難い。ただし前回書いたようにツーリストより、地元のグループが多いこの夏はお客様の入りも天候に左右される事も無く相変わらず連日忙しい。当然下準備も山程ある訳だが、パディは私とミーティングする度になるべく私自身が料理を作る場面を減らし、監督者に徹する様に要求する。どの仕事を誰にやってもらうかリストを作って割り振り、食材の配達が来たら全て私が品質をチェックして価格その他も含めてコントロールし、いよいよ手に負えなくなくなってきたら手伝ったり、アドヴァイスを与えたり、最終的に味をみたりするべきだと言うのである。価格に関して言えば先月はロメインの休暇でパディや私がいない時はサミュエルがオーダーする事も多く、どんどん余分に注文して在庫の数字と原価率が跳ね上がった事が原因だと言う。だからと言ってサミュエルを攻める訳にはいくまい。自分が調理場を預かっている間に何か品切れになったら、それこそサーヴィス側から文句が来て、延いてはパディや私に何か言われると思えばつい余分に頼みすぎてしまうのだろう。私だって彼の立場にいればそうすると思う。もっともここ数週間ほぼ毎日ブッフェをやっているので、メニュー構成を考え、冷凍庫、冷蔵庫の不良在庫は殆ど使い切った。そういうメニュー構成などで調整するのは私がやり、実際にそれを元に料理を作るのは可能な限り他のスタッフを指導してやってもらう様にすべきだと言うのがパディの意見な訳だ。パディは結局腰痛がひどく、ロメインの休暇中も自分でライン(営業中の調理場内のポジション)に立ったのは1日だけだったが、シェフやスーシェフがいなくても料理はちゃんと出てくる体制を固めるのを理想としているようだ。彼の言う事が正論なのかもしれない。あるいはシェフ、スーシェフの役目と言うのはそういうものなのかもしれない。しかし・・・である。確かにル・ムーランはそれこそ会議室の利用等で大きなグループが毎日入っていれば人手が必要になるので、この程度の規模のホテルにしては調理場の人数も多い。それでも今現在研修生や見習い、洗い場兼務のキッチンヘルパーまで全部ひっくるめて丁度20名(勿論私や、パディ、ロメインなども入れて)。この数字は最高で、研修生等がいなくなればせいぜい16〜17人くらいだ。勿論シフトがあるから実際にいつも調理場内にいるのはその半分以下の人数でしかない。パディのいたトロントのフォーシーズンズ、あるいは私で言えば日本でお世話になったホテル日航東京の様な大ホテルではあるまいし、この程度の調理場でシェフは勿論、スーシェフもあまり直接料理を作らないと言うのはいかがなものか。
先月例の博物館グループ総料理長をやっている我が師ジョルジュ・ローリエの4人いるスーシェフが全員一斉に辞めたと聞いた。博物館グループであるからスーシェフと言っても、それぞれレストランやらカフェテリアなどのヘッド・シェフと言う事だ。妥協しないジョルジュの方針に付いていけなくなったのだろうと想像がつく。彼がル・ムーランにいた時は慢性的に人手不足だったが、それは彼がどんなに人が足りなくても自分の眼鏡にかなわない人間は雇わなかったからだ。パディはしきりに私の所にジョルジュから連絡が来てないか気にしている。まあ連絡が無かったとは言わないが、今ル・ムーランを放って行く訳にもいかない。それはともかく、こんな風に一斉に幹部が辞めてしまうような事態になったとしても、最後は自分1人でも料理を出すと言う気迫をもってやっているからこそ慌てないし、妥協して相手の機嫌を取ったりせず「辞めたい奴は辞めろ」と言う姿勢を貫けるのだと思う。今回のエッセイのタイトルをラストマン・スタンディングとした由縁だ。ジョルジュはどんなに事務の仕事が溜まっていても、週に2回は終日自ら主にソーシェとして調理場に立った。やはり正直言って私はシェフとはそういうものではないかと思う。お客様もそれを期待していると思う。カフェ・アンリー・ブルジェ時代、パディがジョルジュの右腕、私が左腕みたいだとある人に言われた事がある。「〜の右腕」と言う表現は正に日本語の「〜の片腕」にぴったりあった表現だが「〜の左腕」などと言う表現は聞いた事がない。実はこれはジョルジュが元々左利きだからで、つまりその人は「料理を作る手」と言う意味でお世辞で言ってくれた訳だ。これはお世辞でも、ジョルジュが私とパディにそれぞれそういう役割を期待していてくれた事はある程度事実だと思う。私としても若い人達にどんどん機会を与えて、料理を作ってもらうという事には異論は無い。しかし、それはそれとしても、これは自分で作ってお客様に出した方が良いと思うものについては自分で作り続けたいと思っている。私の仕事はむしろ増える一方だが、だからと言って料理を作るのを減らしたら、それは料理人の取るべき道では無いと信じるからだ。

88.調理場全体会議?の裏で。
(6月27日更新)
例の若い料理人を育てると言うプロジェクトは昼は私が、夜はロメインが主に担当する事になり、早速にもロメインが月曜に一番若いマーク・アンドレを一晩脇のアントルメティェに立たせて鍛えようとした所、「遅い!」「そんなスピードでアントルメティェが勤まるか!」と散々罵声を浴びせられた結果、そのまま飛び出していって辞めてしまったようだ。カナダの法律(州によって多少違うかもしれないが)では辞める時は2週間前に報せれば円満退社出来るという我々日本人から見ると結構なものである。たった2週間だ。ところが、ル・ムーランに来てからこのように突然その日のうちに辞めてしまった人間が彼で4人目。前のカフェ・アンリー・ブルジェでは人数も多かったので更にそういう人が何人もいた。最短は入って半日で辞めた人もいたくらいだった。両店とも他所より厳しいという事なのかもしれないが、まともな店であろうとすれば当然多少は厳しい所もあるだろう。ロメイン自身は中学を出たくらいから本場フランスでたたき上げられた男だけに、この程度の事で辞めてしまうのが理解できないのだろう。その気持ちは私にもよく解る。何はともあれ、夜の人数が一人減ったので昼のメンバーの中でも特に経験豊かな(うちに来たのはつい最近だが)グレーグを週2日程夜のシフトに回すことになった。昼の他のメンバーの中で一応ソーシェも出来るのはジェレマイアくらいだ。彼はかれこれ10年以上はこの仕事をやっていると思うし、やれば出来ない事は無い、人間も良い。しかも最近婚約したばかりだから、どんどん頑張ってもらいたい所・・・なのだが、ちょっと目を離すとすぐ手を抜く癖がある。こうなってくると結局私が中心になって料理を作る以外に無い。正に前回書いたような展開じゃないかと思っている矢先、今日は調理場の全体会議。珍しく団体が一組も入っていないと言う何ヶ月ぶりかでぽっかり開いたこの日を狙い、パディが会議室を1つ予約しておいたのだ。しかも11時から14時まで。完全に昼の営業時間とかぶっている。もっともホテルの性でバー、ラウンジは1日中開いているし、朝は朝食があるし、2時以降は夜の仕込みもあるしで、この時なら大丈夫などという時間帯は存在し無い事も事実だが。パディは当初ブッフェを用意しておいて、ア・ラカルトを閉めるつもりだったようだが、そんな事ができる訳がない。企業会員では無い一般のお客様なら、例えブッフェをやっていても、ア・ラカルトを注文する率は高いし、ましてや2階のバー、ラウンジは9割方、おつまみメニューか、ア・ラカルトのオーダーになる。結局私は昨晩のうちに私が会議で出したいアジェンダ、調理場の問題点とその解決策を箇条書きにしておき、今朝出勤してきたパディに、「皆連れて行って下さい。私が1人で調理場をまわします」と言わざるを得なかった。彼も「うーん、それしかないかな・・・全部のメニューを作れるのはNaki1人だしな・・」との返事だ。作れる、作れないの問題もさることながら、いくらグループは入っていなくても今日は金曜日。昼の営業時間と重なると言う事は、オーダーは1階のレストランと2階のバー、ラウンジから同時に入ってくる。出すのは前菜からメインコース、デザート、バーのおつまみまで多種、多様。勿論一組ずつ来る筈も無いのだから、あっちでメインを出しながら、こっちにはデザート(別室のパティスリーまで行って作らなければならない)という無茶さ加減だから、私以外の人間を残すとすれば、最低で2人、実際には3人残す事になっただろう。何しろ会議室はホテル本館内のものではなく、別館のマクラーレン・ハウス内のものだから、急に手が足りなくなって会議室に呼び出しをかけたとしても、すぐには駆けつけてこられない。経験が浅ければ頭の中が真っ白になってしまう。流石にそこそこ忙しい思いをしたがなんとか無事2時過ぎまで1人でふんばり、皆帰ってきた。パディが就任してからの調理場の全体会議は前にもやったが、彼が殆ど最初から最後まで1人で喋り、これならそれこそ紙に書いて配れば良いのにと思ったほどだった。だから今回も出なくても問題はないだろうとは思ったものの、パディが帰ってきて「中々有意義な会議だったよ」と言うので、一応「何か私が知っておく事は有りますか?」と聞くと、「緊急な物はないね。特に大事なのは配達された食材は私かNakiのどちらかが確認、サインして、完全にコントロールを徹底すると言う事かな」と言う。「それはもう先週からやっていますよね」「うん。勿論他にも色々話したよ。しかし今引っ張り出して比べてみて驚いたんだけど、今日の会議の内容と2005年の会議内容の記録とびっくりするくらいそっくりだね」「・・・・」。
この分だと私のアジェンダも持ち出されたかどうか疑わしい(ちょっと確認する気がうせた)が、それにしても3時間何を話していたものやら。前任のジョルジュ・ローリエ シェフの時は調理場の会議は調理場かパティスリー(広いので)で車座になって行ない、15〜20分で終わったものだった。ただ時折「Nakiさん、今日はフランス語で良いかな。英語を喋れる気力がなくて」なんて言うときはちょっと閉口したが、なるべく簡単な言葉を選んで話してくれたし、フランス語を聞く時は全身耳にしないとついていけないのでかえって集中はできた。
会議室できちんと話し合うと言うのも大事な姿勢なのかもしれないが、やはり私としては営業時間中は特に現場を離れたくないと言うのが正直な所だ。