- 19. 秋から冬へ
- (10月16日更新)
- 気がつくともう10月。この日本語版ホームページを立ち上げてからももう7ヶ月程経った事になる。どうもしかし更新頻度が少ない。今月も早くも半月過ぎて初めての更新なのだから。特に更新していなかったのが「ケベック州の厨房から」のコーナー。何と4ヶ月近くいじってなかった。まあエッセイとの境目が難しいと言う事もあるが、久しぶりに更新してみた。特にフランス語で肉の焼き方レアはセニャン、ウエルダンはビヤンキュイと言うと言う事は知っていてもでは日本人の多くが好むミディアムレアは?と疑問を持った事がある方はちょっと覗いてみて欲しい。「ケベック州の厨房から」10月も半ばともなると、もうこの地域は完全に冬の様相を呈してくる。紅葉もあっという間に終焉に向かうが、観光客から企業への転換が驚くほどうまくいって他所のレストランで閑古鳥が鳴いているような月曜日から大きな団体が二つも入っているような有様だ。ホテルとして成功を収めている訳で文句を言う事は何も無いが、10月から正式にスーシェフを兼務している事も有り、料理だけ作っていればいいと言う訳にいかないので、より一層多忙になった。勿論スーシェフ自体は初めてやる訳でもないし、私の世代なら大抵皆やっている仕事だからどうということはないが、やはり海外の田舎町のホテルでやるとなれば地元の料理に精通していなければならないし難しいところもある。勿論この地に移住して10年、大抵の事は知っているつもりだが、この点ではやはりこの地方で生まれ育った人達にはかなわない。シェフも前スーシェフも、いやいや私の下で働いてくれている人達の殆どもこの地方の出身だ。前の職場はグランメゾンで、世界中からスタッフが来ているといっても過言ではなかったから良かったのだが。日本の地方の料理旅館でケベック出身の金髪の副料理長が働いているさまを想像していただければ、その奇抜さが分かっていただけるだろう。ケベック州に限らず、カナダは移民の国だからこの例ほど奇抜には見られないだろうが、やはり日本人は和食、中国人は中華、韓国人は韓国料理(中国の人や韓国の人は和食の店をやる例も多いのだが)というのが圧倒的に多く、わざわざ日本から来てフランス料理をやっているような人間はまだまだマイノリティだ。モントリオールやケベック市、あるいは他州でもバンクーバーやトロントのような大都市には結構いると思うが。摂氏マイナス40度にも達する冬がまたやってくる。少しは暇になろうか。
- 20. 職場としてのホテル。
- (10月25日更新)
- ル.ムーランの社長夫妻から「勤務1周年おめでとう。そして有難う」と言うカードを貰った。去年の今頃は本業カフェ アンリーブルジェに本籍を置きながらこのル.ムーランに週2日夜のみ、ル.フジェールに週1日休みの日の昼行くという忙しい毎日、クリスマスの時季など殆ど休みなしで朝から晩まで3つの店を飛び回る無茶な生活をしていた。肝心要の本業の店が暇だったから出来た技だ。今は立場も有り、ル.フジェールを少し早めに上がらせてもらってル.ムーランに戻る日曜日は別として、ル.ムーラン一本にエネルギーを注いでいる訳だが、むしろ1年前よりはるかに忙しい。それはともかくとして、小さなオーベルジュとは言え、ホテルである以上正社員だけで70人以上はいるし、私も1年前は言ってみればここではアルバイトの立場だったが、そんな臨時スタッフを含めれば100人以上雇っているだろうによく1周年記念だとか記録し、カードを贈るなどという粋な事をするものだ。そう言えば誕生日にもカードをもらった。ところで私がホテルで働くのは初めてでは無い。イギリスでも小さなホテルにいたし、日本でもお台場のホテル日航東京で1年足らずながらお世話になった。やはりホテルの面白いところは我々飲食部門とはまるで関係の無いスタッフが働いている点かもしれない。Spa一つとってもセラピストだけで5人、エステシャンが5人、こんな人達は滅多に顔を合わせることが無い。向こうも調理場で知っているのはローリエ シェフぐらいで、私のことも知らないんじゃないだろうか。オーベルジュなので基本的には宿泊のお客さんでも全てレストランに来て食事してもらう訳だが、時々どうしてもというお客さんの為にルームサービスやSpaに食事を運ぶなどと言う事もあるので、むしろサービス スタッフはメートル.ドテルならずとも知られているかも知れない。やれイギリスのホテルだ、日本だ、カナダだと言っても従業員通用口は同じようなものだ。レストランもそう。学生時代には普段は飲食業でアルバイトしながらも、時々お金が足りないと、1日だけの日雇い仕事で工務店でデパートの改装や商品の搬入、博物館の展示品搬入などをやったものであるが、実際裏口というのはホテルであろうと、レストランであろうと、デパートであろうと或いは博物館であろうと皆似たり寄ったりだとつくづく思う。
- 何だか「職場としてのホテル」というタイトルほどの内容でもなかったが今日はこのくらいにしておこう。明日からシェフが2週間の休暇に入るのでまた一段と私の仕事が増えそうだから。
- 21.停電
- (10月30日更新)
- 日曜日は一番長い日。前項で書いたように朝から昼過ぎまでは相変わらずル.フジェールを引き受け、その足でウエイクフィールドへ。ただでも疲れるこの日だが、昨日曜の夜は丁度夕方5時頃から停電になった。昨日は又夏時間終了の日でもあり、だいたいこの頃から5時には既に暗くなる。ウエイクフィールドや私の住むチェルシー辺りは今でも停電は珍しくないが、大抵数分〜数十分で復旧するし、昨日はたまたま最初の予約が6時だった事も有って、高をくくっていた。ところが6時を過ぎても一向に回復しない。災害国日本から来たからと言う訳でもないが大体用意はいい方なのでLEDのかなり明るいライトをポケットから出し、その明かりで従業員駐車場まで走って常備しているランタンを取ってきた。調理場の部下の子達や、サーヴィスの人達は目を丸くしていた。それもその筈で私のライトとランタン以外は蝋燭しかないのだからあきれた。懐中電灯一つ備えられていないとは。結局一晩中私のランタンとライトで照らしながら仕事をした。ガスだけは使えるので何とかメインコースは全てのメニューを出したが、強力なコンヴェクション オーブンは電気製。皿などを暖める保温台、スープの保温器などの代用も全てガス台やガスオーブンでまかなわなければならない上、タイミング悪く2つあるガスオーブンの一つが前の日から故障していて、使えるオーブンは一つだけ。メインコースで妥協したくないから、スープ以外のアプタイザーは冷製のみとした。冷蔵庫、冷凍庫の開閉を最小限に抑える為、デザートも限定せざるを得なかった。普段から日曜日はシェフだのメートルドテルだのは休みだが、そもそも前項で書いたようにシェフは休暇中。シーズンオフの日曜の夜(金、土はシーズンオフでも食事だけに来るお客さんでレストランは満席。月曜から木曜までは企業会員になっている会社、公的機関などのの団体が泊り込みで会議をするのでホテルもほぼ毎日満室状態)で宿泊客もそう多くは無いとは言え、事はレストランだけに留まらないのでホテルのオーナーに連絡。いや連絡するまでも無くホテルのオーナーの家は敷地内に住んでいるので当然そこも停電。オーナー夫妻は子供たちまで連れてかけつけ、電気会社に復旧を催促したり、やはり日曜は休んでいるホテルのメンテナンスの責任者を呼びつけたりしていたが、帰っても料理を作れないから家族でレストランで食事をしていきたいと言い出す始末。昔からこういう状況になると決まって私はうまい事上司に媚を売れない性格で「お客さん優先で行きましょう」と言ってはその場の責任者に窘められることが多かったが、自分が責任者となった今も方針は変わらず、全部のお客さんに出し終わってから、オーナー家族のテーブルの分に取り掛かるよう指示した。奥さんは気を使って「メインもサラダでいいわ」とか言っていたが、オーナーはいつも通り、「えーと前菜は〜でメインは.....フィレミニョンのステーキ、ミディアムレアーで...」と言えば、まだ小学生くらいの二人の息子たちも「僕はパスタ」(勿論そんなものはメニューには載っていない)「僕は小エビのソテェ−、クルスタセ ソース、ワイルドライスのピラフ添えね」と平時と変わらぬ要求をするのにはむしろ感心した。以前このエッセイで書いたように(エッセイ6参照)今はオーダーもウエイターたちがダイニングの片隅にあるコンピューターに入力し、調理場の小型プリンターからはじき出されるし、出来上がればポケットベルで呼び出すと言う時代だが、電気が無ければ始まらない。昔ながらの手書きオーダー、出来上がればベルを鳴らして誰彼かまわず呼ぶしかない。文明なんて危なげなところに成立しているものだ。これも以前書いたが私の住むところで1週間、場所によっては2週間以上以上停電が続いたアイスストームの悪夢が蘇る(エッセイ6と同じ5月のえっせい8参照)。今はあの頃以上にコンピューター依存率がはるかに高いのだ。実際今日は営業終了後明日から1週間の連泊の団体のメニューを休暇中のシェフに代わって作成するはずだったが、過去のメニュー記録もコンピューターの中だし、今回のメニューを作ってお客さんの会社に送信するのも全てコンピューターの力を借りなければできない。結局営業終了後も電気は復旧しなかった。こうなると冷蔵庫、冷凍庫の心配をしなければならない。既に外気が夜はマイナスになる季節でもあり、業務用の冷凍庫は一晩くらいならどうということは無いが、調理場の冷蔵庫はそうはいかないので、殆ど全ての食材を冷凍庫の隣の業務用大型冷蔵庫に大移動させ、この大型冷蔵庫の床には製氷機に残っていた氷をいくつかの容器に分け、一面に敷き詰めた。ドイツで停電した時、当時の料理長から教わった方法で冷たい蒸気を発生させする為だ。幸い一晩で電気は復旧。冷蔵庫の冷気がうまく働いて食材は全て無事だった。先輩たちから教わった昔からの知恵は今でも意外と功を奏するものだ。もっとも途中で消えたコンピューターのデータ回復なんて事は調理場の先輩たちは誰も教えてくれなかったから、勿論今日はメニュー作りに追われたが。
-
Harb
徒然なるままに 10月
essai