- 6.ウエイクフィールド
- (5月17日更新)
- 5月になったらまめに更新しようと思ってるうちに気がついたら半ばを過ぎてしまった。流石にシーズンともなると忙しい。第一に人手不足。幹部は一応揃っているが、一般のキュイジニエが集まらない。何しろそういうポジションはただみたいな給料の所へ持ってきて、ここに来てのガソリン代の急騰。田舎に働きに来たら交通費だけで給料を使い果たしてしまいかねないのだ。確かに今の職場であるホテル、ル.ムーラン.ウエイクフィールドがある場所は田舎である。私の住むチェルシーはツイン都市をなすオタワ市、ガティノ−市からウエイクフィールド方面に向かうと丁度一つ手前にある町だ。つまり隣町なのだが、それでもGPSで測ってみると職場まで20キロ程ある。20キロと言うと東京、横浜くらいか。途中ハイウエイを使う事も出来るがどちらの道を使っても信号は一箇所。ガソリンスタンド一つ無いという行程だ。2月に飛び出し鹿を撥ねた事は前述したが、ハイウエイに入っても飛び出し鹿注意の標識が途切れる事は無く、実際車に轢かれた野生動物がほぼ毎日転がっている程だ。森と湖の町ウエイクフィールドは正に日本人がイメージするカナダそのものだし、カフェ.アンリーブルジェの項で書いたように夏の間はガティノー市ハル地区からウエイクフィールドまで観光蒸気機関車も走る。今でこそ観光用だが、かつてはウエイクフィールドから材木をオタワに運び込む重要な鉄道であった。当時はチェルシーなどにも駅があったと言う。元々ウエイクフィールドはこれによって発展した町で、フランス語圏でありながらウエイクフィールド、チェルシーなどの名称が使われている事で分かるとおり最初の入植者は大英帝国系であった。1840年、スコットランドの豪商デビット.マクラ−レン氏はこの地が水車の設置に理想的であることに目をつけ、Sawmill(製材用の水車)、Woolenmill(紡毛用の水車),煉瓦工場、一般商店、これらの設備で働く人々のための住居を築き上げた。2000年、この施設はロバート ミリング、リン ベルツィオーム夫妻によって買い取られ、ホテルに改装された。これが今私が働く“Le
moulin Wakefield”(moulinとはフランス語で水車の事であり、英語ではmill。従って英語ではWakefield
millと言っても通用する。)である。フランス料理のメインダイニングを中心とする大型のオーベルジュとして出発したホテルはあるが、初期の料理に対する評は芳しくなかった。そこで白羽の矢が当てられたのがカフェ アンリーブルジェを退任して料理学校の教授をしていたジョルジュ ローリエ シェフ。昨年9月に総料理長として招聘されたローリエ シェフは間髪入れずに私に電話してきた。「Nakiか、Georgeだ。(プライベートではファーストネームで呼び合う仲なので)ウエイクフィールドのムーランを引き受けることになったよ。とりあえず今までの調理場、メニューを引き継ぐが、新組織作りはこれからだ。君に手伝ってもらいたいところだが...それはともかく君はチェルシーに住んでるんだし、一度遊びに来て欲しい」と。会いに行くとすぐ副料理長のポストをオファーされた。しかし残念ながらその時の私はカフェ.アンリーブルジェに対して責任もあったので断り、それでも何らかの形で手伝って欲しいという要請に答え、週2回、カフェ.アンリーブルジェの仕事を夕方で切上げて手伝いに行く事となったのだった。その後カフェ.アンリーブルジェの崩壊に伴い、済し崩し的に今のポジションにつくに至った。もっとも私的にはとりあえずシェフ ソーシェという今の立場はむしろやりがいがあると思っているが。ル.ムーラン.ウエイクフィールドについては是非ホームページhttp://www.wakefieldmill.comを訪れてみて欲しい。冬の最低気温がマイナス40度にも達し、夏は夏で日本と変わらないくらい暑くなるこの地で160年以上も風雪に耐えてきた石と木で作られた建物はインターネット上の写真で見るだけでも価値があると思う。石の壁は携帯電話も通じないが、そこは現代のホテル。全室高速インターネット(日本のブロードバンドのようなもの)、衛星テレビ完備だ。会議室が売り物の一つで、企業会員の会社が泊り込みで会議を行ったりするのでこうした設備は必然だ。調理場もプリンターからはじき出されるオーダーが仕上がると、バイブレーションモードのポケットベルで担当のウエイター、ウエイトレス、バーマンなどを呼び出す。レストランはもとより、ラウンジ、テラス、バーでも呼び出せる訳だ。外見はのんびりしていても中身はそうは行かないのがこの世の常か。
- 7.地元の食材
- (5月25日更新)
- 先日ポカポカ地球家族という番組でシャルルヴオワ地方、ベ.サンポールのオーベルジュ「ラ.ミュゼ」でシェフを務める鈴木さん夫妻が紹介されたので日本の姉に頼んで録画して送ってもらった。鈴木シェフにお会いした事は無いが以前から名シェフとして噂は聞いていた。ケベック州で活躍する日本人フランス料理シェフとしては最も有名な方ではないかと思う。番組を見て初めて知ったのだが、奥さんとトロントから来ている日系人の青年の3人だけで調理場を回しているらしい。何よりも素材に対するこだわりが凄い。いや日本の町場のレストランではごく常識的に行われている事とも言えるが、豚からトマトまで農場、牧場に出かけていって試食して駄目出ししたりしている。本来料理人たるものああでなければならないと考えさせられる。私も無農薬で野菜を作っている人と仲良くして「これ使ってみない?」的に材料を分けてもらって試す程度の事はするが、せいぜいそのくらいだ。後は肉類、魚貝類、チーズなど優良な物を供給する業者は決まっているので、面白いことに一時的に手伝いに行ったりした数店を含め、今まで回ってきたどの店でも同じ業者と顔を合わせる。「へえ、今度はここに移ったのかい」と声をかけられるのだが、何も私だけではなく、メジャーなフランス料理店に勤めていれば皆これらの業者と顔を合わせているのだから、誰々が何処何処の店に行ったなどという情報もすぐ伝わる。そう言えば、カフェ アンリーブルジェのオーナーだったロベール ブーラッサ氏は長年首都圏フランス料理界の重鎮として君臨してきた顔を生かし、食品の流通か何かの会社をカフェ アンリーブルジェの跡地で始めたようだ。面白いことに元副総料理長のマニー(*エッセイ1参照)はこの会社に参加しているらしい。三人めの子供が生まれたばかりの彼だから、余程いい条件を提示されたのだろう。何はともあれ、成功を祈りたいところだ。鈴木シェフのいるシャルルボオワ地方はセント ローレンス川がそのまま大西洋に繋がっているので新鮮な魚貝類も豊富なのだろうが、私の居るウタウエ地方は以前書いたように内陸部でこの点は弱い。ホテルなので年中「〜フェア」といった催しものをやる。2週間ほど前にオマール海老フェアを1週間に渡って行った。毎日生きたオマール海老が届けられるわけだが、かろうじて生きていると言う感じでとても生きがいいとは言い難い。まあこんな山の中のような場所でシーフードを楽しみにくる旅行者はまさかいないだろうが、食事だけしに来る地元の人対象といったところか。何の気まぐれかローリエ シェフはオマール海老特別メニューの中の一つに鮟鱇を加えた。たまさか状態のいい鮟鱇が手に入った為だから、それなりに新鮮なものではあったが、目玉のオマール海老でさえ上記の状態だから、殆ど注文が無かったのは言うまでもない。やはり場所柄鹿などのジビエ類が最も人気が高いのは仕方あるまい。
- 8.暑い季節、徒然に
- (5月31日更新)
- 急速に暑くなってきた。まったくこの地域には春が殆ど無い。先週まで暖房、今週から冷房などというのは冗談ではなく日常茶飯事だ。もっとも私の部屋には冷房はない。1997年だったと思うがアイスストームと言う現象がこの地を襲った。文字通り氷が嵐となって吹き荒れ、重たい氷に纏い付かれて次々と木々が倒壊、仕舞いには送電線が軒並み倒れるに到り、この一帯は最低で1週間、長いところは3週間にも渡って停電状態が続いた。何故こんな古い話を持ち出したのか?この辺りでも暖炉のあるうちは別として、基本的に暖房は全て電気なのだ。日本のように石油ストーブなどは普及していない。外で氷の嵐が吹き荒れているのに暖房がストップする訳だから、殆どの住民が避難所に集まって生活せざるを得なかったのだが、私の部屋ではちょっと厚着をするくらいで十分凌げた。趣味のキャンプ道具で生活にも困らなかったが、それはともかく、分厚い壁に何重にも埋め込まれた断熱材、小さい上2重になっている窓。正にこの部屋は厳寒期を想定して作られたシェルターなのだ。それもその筈。当時の家主でこの家を建てたのは南極探検専門ガイド会社の社長だった。そう、こんな部屋で冷房もなしに夏を迎える事を考えて欲しい。一般的日本人のイメージだとこの辺りは避暑地のように思われるかもしれないが、やはり夏は暑いのだ。摂氏38〜42度くらいまで上がったりする。冬の間マイナス40度以下まで下がるのだから1年の寒暖差は凄まじい。部屋の暑さなどしかし大した事では無い。やはり問題は調理場だ。ソーシェの立ち位置に立つと、例えば右手のグリルで鮭を焼き、左手のフライパンで鹿肉を焼いていると背中の棚には皿を熱く保つ為の赤外線ヒーターが2段で照射されていると言う具合だ。前後左右プラス斜め上から熱風が来る。自分に火が通るんじゃ無いかと満更冗談でもないくらいそう思う。勿論一度サラマンジェ(ダイニング)に入れば、エアーコンディショニングが利いていて、更に爽やかなアミューズブーシュ(お通し)に始まり冷製スープやサラダ、日本の会席で言えば箸休めのようなタイミングで出されるグラニテ(シャーベットの糖度が低いもの)などに挟まれてこの熱い料理が出てくるから、お客さんとしては気持ちよく食べられる訳だ。それでも暑さがもっと本格化してくれば、メインも温製サラダ仕立てとかが主役になったりする。去年は猛暑でそうなるともうフランス料理そのものが敬遠され、和食レストランの寿司などが人気を博していた。考えてみると日本は昔から夏蒸し暑い地域が殆どを占めるから、和食には夏に嬉しいものが山ほどある訳だ。今年も猛暑となれば、和食のアイデアにヒントを得たものの出番が増えそうだ。日本人に生まれ、和食の勉強も多少させてもらったお陰である。シェフも日本や熱帯アジア、南米など暑い場所のメニューをインターネット等で研究しているようだ。昨日シェフから「Naki 面白いウエブサイトを見つけたぞ。外国語なんで良く分からないが、何か食品を売る会社じゃ無いかと思うんだ。それが何とnakisoya.comと言うんだ。いやいや冗談じゃなく本当にあるんだよ、そういうサイトが。」と言われた。「あ〜 シェフそれは私のウエブサイトだと思いますが...」「何?君のサイトだって?ちょっと来てくれ」といって一緒にシェフのオフィスに行ってみると見慣れたホームページが画面上に。「ああ、やはり私のサイトですね。ほらここをクリックすると..」とPhotoのページのシェフの写真を見せると「あー!本当だ。どこで撮ったんだ、こんな写真」と驚いていた。「いったいどうやってこのサイトを見つけたんですか?」と逆に聞くと「何となくnakisoyaで検索したらたどり着いたとか(検索すんなよ)。Yahooの登録サイトに入れてもらっているので、Yahooでそれこそnakisoyaの名前そのものか、ホームページ(日本ではホームページと言うとウエブサイト全体を指すが、本来はそのウエブサイトの表紙のページを指す。)に出ているような言葉(例えば「ケベック&シェフ」など)を打ち込むと確かにヒットするようだが、シェフはどうやってたどり着いたものか。それにしても今や食の世界と言えども、コンピューター、インターネットを抜きには考えられない時代になってきているようだ。一週間も停電になるといかに大事かと言う証明でもある。環境問題も景気も、もろにこの商売に影響する。サービス業にもっとも必要なのは平穏な日常か。ところで非常に中途半端な時期だが今日5月31日からケベック州で喫煙禁止法が発効された。フランス系は喫煙者が多い事も相まって、これまで近隣の州に比べ、格段に喫煙に関する法が甘く、スモーカーのパラダイスと長年呼ばれてきたケベック州も時代の趨勢には抗し切れないということなのだろう。全ての公共の場所での喫煙を禁じ、大学、病院、託児所などの玄関から9メートル以内のエリアは屋外でも喫煙禁止だそうだ。レストランでは既に数年前から喫煙席が撤廃され、予約の際に「禁煙席ですか?」と聞く質問も早昔の事になりつつあるが、飲食店などで喫煙している客が居た場合今日から飲食店主に最高1万ドル(カナダドルは1ドル約100円*2006年5月現在)までの罰金が科せられる。喫煙違反者自身には初犯で87ドル、2回目からは最高600ドルまでの罰金が科せられると言う。元々煙草を吸わない私などはいいが、喫煙者には益々住み辛くなるし、飲食業にも影響が出るのは必至だ。ケベック州政府は喫煙禁止法発効に伴い、違反者を取り締まる私服取締官を養成中とか。
Harb
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