エッセイ2008年1月

今年はねずみ年。別に個人的に恨みは無いが、料理人にとっては天敵ではある。ねずみ年はいいがねずみの当たり年になっては困る。

59.2008年、今年は期待したい。
(1月1日更新)

2006年2007年と悲惨な始まりが続いたが、この2008年こそは飛躍の年・・・いやむしろ安定した年でありたいものだ。そんな訳で元日から更新してみる事にした。前述の2年と違い、今年の1月は私にとっては相当忙しい事は昨年末のエッセイでも度々触れた通り。本日元旦から初仕事で、2週間は休み無しだから、正月も何も在った物ではない。本来1月と3月がどのレストランも一年で最も暇な月で、だから大抵正月の余韻の残る1月前半に毎年休暇を取っていたのだが、この1月はホテル全体は例年通りながら、私の担当する仕事が多いのと、総料理長のパディが1月に休暇を取るのとで、まるで状況が異なる。休暇から帰ったらサプライズが待っているのは今年は願い下げにしてもらいたいし。3月には団体の予約が現在の所ゼロという2週間があるので、この時期を目安に休暇願いを早々提出しておいた。何のかんの言っても、年に一度2週間も連続で休めるのは結構楽をしている。シャルルボアの鈴木シェフなど、この前お会いした時、5年は休暇を取ってないとかおっしゃっていた。
本日は元日・・・New Years Dayであるので、日曜のブランチメニューを提供した。フジェールのア・ラ・カルト メニューのブランチ(これは相当無謀で、他の大手のレストラン、ホテルでやっているのをあまり聞いたことが無い)と違い、ブッフェ形式だから、準備さえしっかりやっておけば割りと楽な仕事である。本日は復首都圏全般が大雪でキャンセルも多かった。最も昨晩は大晦日だからホテルは満室だったが、こっちの方は部屋数が大したことがないのだから知れている。
冷製、温製の料理の準備をした後は、私はSalle a manger(ダイニング)でオムレツをお客様のお好みの内容で作ったり、ローストビーフを切り分けたりしていた。日本で洋食をやった者なら、誰でもやるフライパンに振動を与えて、丸めていくオムレツの作り方も、こちらではあまりやる人がいないので、結構お客様にとってはショーの様に見えるらしく、New Years Dayのお祭り気分と相まって、意外なほど受けていた(笑)。
しかし、いくらフランス料理のオーベルジュとは言え、この日ばかりは、御節料理や雑煮がブッフェの片隅にあればいいのにと思うのは日本人の性か。
60.霧の中で。
(1月8日更新)
1月も既に8日。流石に日本でも正月気分は終わった頃であろうか。今日から昼のコースメニューが始まったので昨日は1日その準備に追われた。mise en place(仕込み)だけすれば良いと言う物ではなく、例によってコンピューターにプログラムを組んでサーヴィスの人達が入力して調理場のプリンターからオーダーがプリントアウトされるようにする為、英仏両言語表記のメニューとコンピューター内の料理名とを分かりやすく一致させ無ければならない。その叩き台のメニューを仔細にチェックしなければならないのだ。チェックした後はメートル・ドテルが入力する事になっているのだが、これが問題で、フランス語の文法的誤りを直してくれるのは有り難いが、よく料理内容を理解しないで、表現そのものを変えてしまう事が多々あるのだ。前回のメニューでは「ええ?こんなんじゃないよ」と思う状態のまま、半年近く過ごさざる得なかったので注意が必要だった。何はともあれ、今日無事スタートを切った。パディは当分このメニューでいいんじゃないかと思っているようだが、メインのチョイスが肉料理2種、魚料理1種、ベジタリアン野菜料理1種、これに本日のお勧め料理を入れても5種類。2連泊、3連泊する企業会員のお客様は飽きてくる可能性も強い。またバー、ラウンジのメニューは完全におつまみメニューとサンドイッチくらいしか無くなったので(今まではレストランと同じ料理が夜のメニュー開始の直前までオーダーできた)、色々不満が出てくる事も考えられる。私としては様子を見て、どんどんバリエーションを増やして行きたいし、予算の許す限りお客様にとって魅力的な食材も使ってみたい。True World Foodの一件もミーティングではGoサインを出していたパディが一向に動かないので、話すと「やはり予算が・・・」などと言わずもがなな事をぶり返す。何も高い商品ばかり扱っている訳ではないし、定期的にオーダーしなければならない契約を結ぼうと言っている訳ではないのだから、とりあえず相手のクレジットチェックを受ける申し込みはしておこうとミーティングで決めた筈だったが。そもそもパディは腰痛がひどいらしく、相変わらず休みがちで話が前に進まない面もある。それでも来週には休暇をとって旅行してくるそうだから、せいぜいリフレッシュして元気になって帰ってきてもらいたい。私も3月に休暇を取るとなると、休暇後までは今のメニューのまま混乱なく皆に浸透させる事に集中しないと2週間も留守に出来ないという私的事情がある。春までは2月を除いて比較的暇だから何とかなりそうだが。しかし今回のベジタリアンメニューは例のもろに和食な野菜と豆腐の揚げ出しや地元のバイソン牧場産の水牛のブルギニオンなど計画していた物を多少は実現できた。
ここ3日程、首都圏は朝から晩まで濃い霧に包まれている。元々チェルシー、ウエイクフィールド間には霧の発生しやすい丘があり、チェルシーから高速道路に乗ると前方のウエイクフィールド方向の丘がすっぽりと霧に包まれているのがはっきり確認でき、そこにたどり着くとちゃんとそのまま霧の中に突っ込むことになる。しかし今回はオタワ、ガテノーエリア一体が全部すっぽり霧の中。しかも3日間終日でだ。気温もここ数日異常に温かい。記録更新の寒さの12月、記録更新の温かさの1月、異常気象はどんどん進んでいる様だ。もっともこの温かさはせいぜい明日くらいで終わり、また劇的に気温が下がるらしい。この前の吹雪と雷のコンビネーションと言い、木々や送電線にまとわりついて重さでなぎ倒し大停電に陥れた氷の嵐と言い、この地域の天気は元々何でも有りではあるのだが。
一昨日フジェールに行った時、例の氷の彫刻がこの温かさで溶けることを案じて冷凍室に運ぶ為、またJinが来ていた。丁度Little Innの重田まり子さんが昔のJinが載ったパンフレットを送ってくれていたので、本人に見せたら大変懐かしがって喜んでいた。勿論皆にも見せたが若いウエイトレスの子がパンフレットの上に張ってある重田さんのメモを見て「ええ!これはそのNakiのお友達が書いたの?」とか聞くので、「ああ、日本人だからね」と答えると「この文字クール!ねえ、Nakiもこれ読めるんでしょ?」とお馬鹿な質問を大真面目に聞くのであきれた(笑)。よくフランス語でメニューが書けるなとか、感心するならそっちだろと言いたい。
ところでこのエッセイ更新の前にインフォカナダネットのカナダ人気サイトランキング、ケベック州編を見たら、何とこのサイトが175回もヒットされ、ダントツの1位になっていた。2位が15回なので、17回の間違いかと思った程だ。結構色々な人からコンタクトがあるし、元々家族、友人にまとめて近況を報せる為に立ち上げたサイトなのに偉い事になっている。前述の重田さんなど、今までのエッセイを全部読み返してくれたそうだ。そう言えばJinの事を書いたのは随分前だったから、彼女がどうして発見したのかと思ってはいたが。それにしてもこのヒット数は・・・もしかして日本でケベックか、ケベック料理に注目が集まっているのだろうか?インターネットの凄さというか、考えようによってはちょっと怖い。
61.デスクワークに追われて。
(1月15日更新)
やはり、と言うか新メニューの、昼もコース料理のみと言うのは概ねお客様に不評で、コース料理にしても連泊のお客様にはバリエーションが足りないと言う声が出てきた。私としては当初から予測していた事だが、オーナーの意向で半ば強引にスタートした形だった。何はともあれ、お客様の声は最優先でオーナーと言えど私の意見を聞かざるを得ないので、早速今日はほぼ1日オフィスのパソコンの前に座り、とりあえずアラカルトに着手した。と言っても混乱を避ける為と、既に前回書いたようにメインコンピューターに新メニューが打ち込まれている事を考慮し、前菜はバー、ラウンジで出しているおつまみメニュー、メインは新コースメニューのメインにそれぞれ少し足した程度で応急処置的意味合いが強い。つまり根本的にあまり新しくはなっていないのだが、お客様は結構色々選べるようにした。昼間のメニューは夜の予算を作り出すためにも新しい物をどんどん出していくとは行きにくいのだ。ただしコースメニューは連泊のお客様からの声が上がってきているからどんどんバリエーションを出して行っても大丈夫だろう。又今週末から忙しくなり始め、2月はぎっしり企業会員の団体予約が詰まっているので久しぶりにブッフェ・メニューも続く事になりそうだ。
ここまで読んでいただいて、いかにも一人で動いているのが分かっていただけると思うが、総料理長のパディは先週の頭から内臓から来る腰痛で休んでおり、復帰しないまま今日から予め申請していた2週間の休暇に突入。この分ではせっかくの休暇も殆ど寝て過ごすのかと心配していたら、何と予定通り(1〜2日はずらすが)南の島に旅立つと言う。
強力な痛み止めを注射してまでも旅行に出る気持ちは、しかしながらよく理解できる。例え寝ていても、ここにいる限りは引っ切り無しに電話はかかってくるし、何となく長めに休んだと言うだけで、リフレッシュする事も無く仕事に復帰する事になるのは目に見えているからだ。一年前ジョルジュが去ってパディがシェフに就任した時のエッセイで書いた筈だが、パディはこのポジションを引き受けると同時にオタワを引き払ってウエイクフィールドに新居を構えた。あまりにも職場に近すぎるのだ。
オフィスで仕事をしている間、電話も勿論よく架かってくるが、メールも頻繁に届く。その中でも総合食品の業者さんからの2通と、八百屋さんからの1通は全て市場の近況ニュース。八百屋さんならそれぞれの野菜、総合食品の会社の方はやはりそれぞれの商品の近況報告であるが、これらのリポートを読んでいるとどんどん気持ちが暗くなる(笑)。野菜はやはり天候に左右されるが、フロリダやカリフォルニアで寒波が続いて、品質は悪くなってない様だが収穫量が減ってもろに値段に響いてくる。全体的に見て60パーセントが値上げ、30パーセントが現状維持、10パーセントが緩やかに値下げと言った所だ。特にサラダに使う野菜が高く、メニューを作りながら前菜の3種類のサラダを1種類に減らさざるを得なかった。
確かにこの数週間はこの地域でも気温が上昇したり下降したりで道路も凍結するなど異常気象が続いた。先週末など、
お菓子の材料を扱う業者さんから電話で、ウエイクフィールドの町までは来ているがこの分ではお宅のホテルの坂を上って行けそうに無いから取りに来てくれとか言って来た。朝の忙しい時間で皆目一杯な状態だから、私自身が取りに行った。ある程度こういう時のために車を選んでいるから多少の積載量はあるが、お菓子の材料であるから小麦粉が40キロ、砂糖が40キロなど重い物が多かった。もっとも上述の八百屋さん、総合食品業者さんも同じ日に配達があって、同じように大型コンテナトラックで坂を上って来たから、来ようと思えば来れただろうが。そもそも業者さんのトラックがアクセスする調理場の前はホテルの一番下の方にあるから坂も緩やかな所をちょっと上る程度なのだ。そこからずっと急な坂を上った最上部に会議室などがある別館マクラーレン・ハウスがあるが、この前が従業員用駐車場だから我々は毎日これを上っていかなければならない。凍結したり、大雪が降ったりした後はスノータイヤを履いていなければ無理なのは勿論、4WDでないと心もとない。実はこの坂はマクラーレンハウスより更に上に続いているが、この時季は私の背丈より高く雪が積もっていてとてもではないがそれ以上上には行けない。これより上に何があるのかと言うと、墓地があるのみなのだが、夏の間はこの墓地を訪れる人が引きも切らない。何故ならトロント・ピアソン空港の名前で知られるピアソン元首相の墓があるからだ。
話が又横道にそれたが、総合食品会社さんのリポートは1通目は乳製品の動き、2通目は食用油の市場の動きだった。特に問題なのは2通目。元はと言えば原油の値上げの影響で食用油の需要が高まり供給が追いつかない状況なのだ。食用油の原料となるトウモロコシや大豆の値段の高騰と品不足は特に今年深刻になりそうな情勢だ。大豆に至っては去年の同じ時期に比べ、77パーセントも値上げしている。醤油や味噌など、大豆が無ければ始まらない和食のお店などは我々とは比べ物にならない打撃があるのではないだろうか。根本的に日本と違うのは「諸般の事情により値上げします」なんて突然言っても誰も納得しないので、諸般の事情をリポート化して顧客に常に伝えている所だろう。
勿論原油の値上げはガソリン代の高騰となって、配達料金等にも影響をもたらす。しかし、いくら物価が高騰しても、安い材料ばかり選んで守りに入っても、お客様の目から魅力の無い食材と見られれば他所の店に流れていく。特にオタワにいくらでもレストランがあるのにこの田舎までガソリンを使って食べに来てもらうのは並大抵の事ではないのだから。
外部からの電話やメールばかりでなく、例えばバンケット・マネージャーが直接やってきて「来週日曜日の40人のパーティだけど人数の変更は何時までを締め切りにしたらいいかしら?」と聞いて来たりする。「どのくらい増えるかによりますね」「倍以上になるかもしれないって」「ば・・・倍?それだと木曜の朝までですね。木曜の朝に材料を発注しますから」といった会話があって、彼女が去ると今度はオーナーからメールが来ていて、「来週の日曜日のバンケットは元宇宙飛行士で今度国会議員に立候補する○○氏の寄付金集めのパーティだそうだ」とある。だからどうしろとか言う事は一切書いていないので、ほう、そうですかと感心して読みつつ返事は出さなかった。人数が当初の予定通り(あるいはそれ以下)になったら大変な無駄を出してしまう。
こんな事で今日は1日殆どオフィスで過ごした。昨日、今日と昼、夜共店ががらがらだったからできた事だ。昨日は今年に入って初めての休みを取ったが夕方まではどんな連絡があるか分からないので自宅待機していた。ゆっくり朝寝坊ができたので満足だが、実は昨日例の日本ケベック料理人協会発足に向けた2回目のミーティングがモントリオールであったが、残念ながらこれには参加できなかった。
62.それでも寒い冬。
(1月24日更新)
妙に暖かかった数日が終わり、先週から又普通に寒いカナダの冬に戻った。地球温暖化は進んでいるのだろうがやはりカナダ東部の冬は相変わらず厳しい。マイナス27度、体感温度はマイナス30度を超える時もある。実温度がマイナス30度を超える日も近々来そうだ。この位になると、どれだけ暖かい格好をしてもあまり効果が無い。更に実温度がマイナス30度以下となると、もう寒いと言うより痛いと言う感じ。マイナス40度となると・・・説明の必要も無いだろう。雪も相変わらずよく降る。当然道路もひどい事になっているが、冬用タイヤ(日本で言うスタッドレス)を過信して夏と全く同じ速度で走って事故を起こす人が後を立たない。おとといなど僅か20キロの通勤距離中5台も溝にはまっていた。追い越し禁止の所で物凄い勢いで人の車を追い抜いて、そのまま溝に落ち込む人に至ってはあきれて同情する気にもなれないが、もう自分で望んで溝に突っ込んでいる様なもの。せめて他の人を巻き込まない事を望むばかりだ。しかし、これだけの積雪にもかかわらず前回のエッセイで書いたピアソン元首相の墓地へ続く坂の除雪が無理やり行われた様子だ。これ又前回書いた自由党の寄付金集めパーティを意識した物である事は明らかだ。自由党がこのホテルでパーティをやるからには当然大先輩のピアソン氏の墓地を訪れる可能性があると言う事か。しかし当日たまさか良い天気だとしても除雪後も十二分に雪の積もった急坂を現役議員や議員候補の皆さんがえっちらおっちら登って行くというのも想像し難い。
昼に出す料理については相変わらず試行錯誤が続いている。夜は定期的にしっかりしたメニューを作れば良いだけだから以外に難しくないが、昼はどういう形式で出すかが問題で、アラカルトとコースメニューの2本立てでもやはり連泊の企業会員のお客様はブッフェを望む声が強い。メニュー内容をがらっと変えても、コースで食べる事自体に飽きてしまっているのだ。朝食はバイキングとしても、昼も夜もフランス料理のコースと言うのは確かに無理があるかもしれない。1日目はそれでも皆満足してくれるが2日目は完全に食傷気味なのだ。かえってサンドイッチの様な軽い食事の方がいいくらいだと思うが、企業会員のパッケージ料金からすれば、どうしても安っぽすぎる。お客様はブッフェを、オーナーは予算を抑える為コースメニューをと言ってくるので、未だ検討が必要だ。メニューの内容を変えればいいと言う考えは少し甘かったようだ。アラカルトを導入した事で泊まりのパッケージではなく、昼間食事だけしに来るお客様には、コースとアラカルトの選択ができる事で好評なのだが。
63.そこは妥協できない。
(1月29日更新)
パディはようやく昨日職場復帰した様だが、昨日私は久しぶりに完全に仕事を忘れて休んでいたし、彼は今日、明日とスケジュール上休みなので未だ会っていない。勿論休暇明けなのだから、本来顔くらいは出して私とミーティングする事項は山ほどあるのだが、どうも体調は全く回復していないどころか悪化している様子だと言う。休暇前から休んでいた彼が、休暇で旅行中は結構体調が回復したかに見えて、旅行の終わりくらいにまた悪化し始めたとの事。こんな風に聞くとあまりのタイミングの良さに知らない人なら誰でも「ええ?仮病じゃないの」と感想を持たれるのではないかと思う。しかし実際昨日の彼の様子はただ事では無かったようだ。飲食部の人達ばかりでなく、ハウスキーパーから何から会う人毎に「Naki、パディは大丈夫なの?」「病院から連絡あった?」「顔色なんか緑色って感じで・・・」「体重どう見ても20ポンド(約10キロ)は減っているね。頬なんか思いっきりこけちゃってて」と言って来るのに一々「否、私は未だ帰ってから会ってないんで」と答えるしかなかったが、あまり酷いので皆で病院に送り込んだと言う。実際は帰ってきてからどころか2008年になってから数えるくらいしか私は彼の顔を見てないのだ。しかし前々回のエッセイでも書いたように彼は今はウエイクフィールドの住人。そんな話を聞くまでも無く仮病など使いようが無い。と言うのもウエイクフィールドは小さな町。複数の病院があって、何人も医者がいてと言う町ではないのだ。オーナー家族を始め、地元に住むスタッフは沢山いて、皆彼が何と言う医師にかかっているか知っているのは勿論、その医師も当然知り合い、あるいは自分のホームドクターでもあるなどと言う人も大勢いるのだから本人が言う前に皆病状を知っているくらいだ。元々は単なる腰痛と思っていて、実際腰以外は元気だと本人も言って普通に出勤はしていた。それは去年の話で、その後の診断で内臓の疾患が原因で腰に来ているとされ、実際腰以外にも体調を崩してきたという経緯だ。ただ、無理して行った旅行中は体調がはるかに良く、旅行の終わり頃から再び悪化して来たと言うのは明らかに「病は気から〜」の気の部分であるとは言えよう。つまり仕事に復帰した後のプレッシャーの事を考えているうちにどんどん具合が悪くなっていくと言う事。何れにしても彼の名誉の為に言って置かなくてはならないが決して仮病などではない。
しかし、それはそれとしてあえて言うなら、例え総料理長が仮病を使ってまで休むような事が実際あるとしても、それで仕事に差し支えが出ない間は私としては一向に構わないのだ。前にも書いたが諸先輩方ががんばってくれたお陰で、今は日本人であっても偏見無くフランス料理の店で働ける時代になった。だがこれまた当たり前の事ながら、偏見は無くてもハンディはある。それはそうだろう。フランス文化圏のフランス料理店なのだ。わざわざアジア人を雇わ無くったっていくらでも人材はいる。そんな中で自分の居場所を作っていくには「こいつじゃなければどうしょうもない」というくらいでなければ無理だ。技術的な事も大事だが、「何となく自分のポジションて損な役回りかな」などと呑気な事を言っている人間は通用しない。大体がスーシェフはそういう役所なのだから、その程度の意識でOKならいくらでも代わりの人間が応募してくるだろう。
それにしたって2月は忙しいのだからいよいよこのままでは仕事に差し支えが出てくる所まで来ているので、一刻も早く回復してもらわないと困る。
昨日帰ってくるなり、オーナーが来て「Nakiが昼のアラカルトを始めているが、やはりTable d'hôte(コースの定食メニュー)1本にしないと経費節減につながらないんじゃないか」とパディに言ってきたと皆から聞いた。私としてはこっちの方が断然大きな問題だ。勿論オーナーは私にもこの話をしに来なかった訳ではない。しかし私は「お客様の声を無視していたら誰も来なくなります」といった内容の事を言って受け付けなかった。オーナーもそれを言われて否定しては普段彼が言っている事と矛盾してしまうのでその場は下がり、Nakiでは埒が明かないと思ってパディの帰りを待っていたのだろうが、帰ってくるなりこれではパディの病気が悪化するのも無理は無い。こういう事で私は妥協する訳には行かない。オーナーはホテルを始めるまではこの業界とは全く無縁の人だったから分からない所があるのは理解できるが、これ以上は妥協するなら辞めるというポイントを決めておかないと職人としてまずいと思う。私のこういう融通の利かなさは父親譲りではないかと思う。最近になって父の主要作品歴、主要受賞歴を改めてみる機会があったが中々華やかなものだ。外国の賞だけでもニューヨーク記録映画祭1位、マルセーユ映画祭批評家大賞、ブリュッセル映画祭金賞など随分いろんな場所で受賞している。しかし父は一度も一つの会社に所属する事無く、フリーで活躍してきたのでバブルがはじけて以来格段に仕事も減った。それでも父は妥協する事無く電話でプロデューサーに向かって「スポンサーの言う事全部聞いてたら駄目なんですよ!」と怒鳴り飛ばしていたのを覚えている。まるで今私が言っている事と同じようだ。観る人あっての映画、食べる人あっての料理ではないか。お客様の中には「昼もコースメニューしかないなら、わざわざウエイクフィールドまで来なくてもよかった」と言い残して帰っていった方もあるとウエイターから聞いた。こういうコメントこそオーナーがもっとも恐れていた物のはずだ。くどいようだがガソリン代が高騰している中オタワ、ガテノーのレストランで食事する代わりに、それも昼から30キロ以上田舎に向けて食事だけしに来ていただくと言う事の貴重さ。若しその声を無視してまで節約しなければならない所まで追い詰められているとしたら、このホテルは相当やばい。パディと会え次第ポジティブな方向で検討したいものだ。
30人以下ならブッフェはやらないでコースメニューと言う方針も相変わらず企業会員のお客様には不評だ。何しろ今まではもっと少人数でも受けていたのがある日突然断られても納得できないだろう。この点はミーティングで決めた事だから、私も守るようにしているが、前回も書いたように、昼も夜もコースで2日続けてと言うのでは実際「それなら最終日の昼食はいらない」と言って帰ってしまったグループもある。明日は14名と8名のグループの2つしか入っていないので、バンケットマネージャーの所へ行って、「この2つのグループはTable d'hôteで納得してくれるんですか?」と確認しに行くと「ああ大丈夫よ。どちらのグループにも少人数ではブッフェは出来ないと言う事は伝えてあるし」と言うので「それでは」とキッチンに戻ったら、まさにそのまま追いかけてくる感じのタイミングでやって来て「たった今14名の方のグループから連絡があって17名から最高22名になる可能性があるから何とかブッフェにならないかと言ってきたの」と言う。「22名確定なら2つのグループ以外にも一般の予約は入っているのだしブッフェにするけど17名じゃ約束できませんね」と言うと「2時間以内に確認する」と言ってオフィスに戻り2時間後に「21名で確認出来た」とウエイトレスを介して修正した書類を届けてきたが、手書きの修正部分を見ると朝食17名、昼食21名、3時のコーヒーブレーク17名、夕食アミューズブーシュの盛り合わせ17名となっている。昼食だけ21名な訳がない。調理場のコンピューターもLAN(ローカルエリア・ネットワーク)に繋がっていて当然私はパスワードを持っているのだから、バンケットマネージャーの会議室予約状況にアクセスするとやはり17名になっている。しかしお客様がブッフェを求めているのは明らかで、こっちは大義名分ができてブッフェができるのだから文句を言う筋合いは何も無い。横目でパソコンの予約状況を見ながら彼女に電話して「昼食は21名ですか。それならもう一つのグループと他のお客様で40名くらいにはなりますから、ブッフェOKです。先方に伝えてください」などと言っているのだからこっちも相当狸になってきた。この時季は企業会員のグループ予約が命綱なのだから、彼等には出来る限りハッピーになって帰ってもらわなければ顧客の喪失に繋がってしまう。企業会員、企業会員と書いているが、首都圏と言う土地柄、また景気の悪さもあって実はその9割近くが官公庁なのだ。何れもカナダを動かしている組織ばかり。残りの1割にしても銀行とか財団法人とか・・・例えば1件の企業会員を失ったとしてもそのダメージはそれだけに留まらない。
結論として一般のお客様についても、企業会員についても今下手な守りに入って小さな節約をしようとしたら壊滅的打撃を受ける可能性すらあると思う。ビジネスマンとしては私のような素人の及びもつかない経歴を持つオーナーなのだからその辺はしっかり見据えていると信じたい所だ。
64.長い一日。
(1月31日更新)
結局パディはあのまま病院で検査を受けて当分安静が必要と診断され、暫く休む事となってしまった。元々の原因は不眠症から来るものらしく、とにかく睡眠薬を服用してでもたっぷり寝る事が重要なのだそうだが、一方腰の方もレントゲンで見るとかすかな腫瘍の様なものがあるらしい。とりあえず2週間の休みと言う事だが、更に長引く可能性も当然ある。昨日人事部長と話して、パディが不在の間、彼の仕事は残る3人の調理場の管理職、つまり私、ロメイン、シェフ・ド・パティシェのツェアで分担してやる事を提案した。皆それぞれ普段から自分が担当している仕事があるし、尚且つ肝心の料理やお菓子作りの仕事もあるのだから、例えば私が1人で全部代理でやったら、調理場に立っている暇が無くなってしまうだろう。誰かが1人で総料理長の業務を片手間に兼務出来るくらいなら、管理職を1人減らせる理屈だ。3人で手分けしてやっても相当きつい。とりあえず今日は棚卸しで、木曜日だから経営会議の日でもあり、しかも団体が3つ入っているので営業も今週で一番忙しい日、更に人手が足りないので
2人急遽面接を行なわねばならず、バレンタインデーのメニューも明日が一応の締め切り。重なる時は重なる物だ。私も身体は一つしかないのだし、会議は「来週は私が出るから」と言ってツェアに頼み、2組の面接も彼女に任せた。幸いこのホテルもジョルジュ・ローリエ前シェフの活躍で有名になり(ジョルジュは相変わらず活躍しているようで、2〜3日前にもラジオを聴きながら車を運転していたら彼の文明博物館でジョルジュ・ローリエの料理フェアのような事をやっていると放送していた)、別に広告も出さないのに何通かの履歴書が常に溜まっているので、かつて程人探しに苦労はしないのだが、お互いの条件が合って採用に至るかどうか、採用しても続くかどうかはそれぞれ別問題だ。バレンタインデーでのメニューはロメインに任せ、私は棚卸しに集中した。本音を言えば私がメニュー作りをやり、棚卸しこそ人に頼みたい所だが、そうもいかない(笑)。否こういう状況なのでオーナーも理解を示し、今回は棚卸し省略も止むを得ないか・・・とか言い出したのでラッキーと思ったが、私の仕事熱心な部下達が「大丈夫ですよ。数えるのは皆で手伝いますから」と言ってくれるので「えっ?そ、そう?それは助かるなあ・・・」と内心引きつりながら今更辞める訳にもいかなくなった。勿論数えるのが一番の大仕事である事は間違いないが、その後まとめるのが一苦労なのだ。結局数え終わってオフィスに入ってからでも5時間以上かかった。パソコンなので予め値段が打ち込んであるのは簡単に数字が出るのだが、半分近くは一々伝票を探し出して値段を調べたり、電卓で計算したりしなければならない。今取引している業者さんだけで10くらいあるのだから伝票を引っ張り出すのにもえらい騒ぎだ。毎月やっていれば何てこともなくなるのだろうがたまにやるからこういう事になる。ひたすらオフィスに座って残業していると「一体自分の職業は何だ?」と言う疑問が浮かんでくる。大体ワードは毎日使っているがエクセルは使い慣れないし、何しろ苦手な仕事をしていると1日が長い。
今月は1月1日と1月31日に更新する予定だったのでこうして書いているが、本当は今日はもうパソコンはうんざりという感じではある。しかし上のエッセイ60で書いたカナダ人気サイトランキング・ケベック州編の今月のこのホームページへのアクセス数が最終的には1000回を越えた。この一つのポータルサイトを通じてアクセスしてくれた人が1000人もいるとすれば今月だけで1万人くらいはこのホームページに訪れてくれたのだろうか?そんな風に思うとつい無理しても更新しておきたくなった。知らない人からも時々「ホームページを見て〜」の様なメールを頂く事もある。食べてくれる人が見えてくると料理が楽しくなるように文章だって読んでくれる人がいると思うと乗って来るものだ。まあ2度とこんなでたらめな1月のアクセス記録は出ないとは思うが。