エッセイ 2007年2月 本文へジャンプ


29.2007年も驚天動地な幕開け。
(2月13日更新)

2週間の休暇が終わった。丁度1年前の休暇では帰ってきてみたら働いていた店が閉店という前代未聞の事態が待ち受けていた事は、このエッセイの一番最初である「2006年驚愕の幕開けで述べた通りだが、2007年の休暇明けもサプライズがちゃんと待っていた。我が師であり、友であるジョルジュ ローリエ シェフがホテルのオーナーと意見が合わず辞意を表明していたのだ。前のカフェ アンリーブルジェに続いてオーナーと意見が合わないと言って辞めるのでは、そういう癖があるように思われる方もいるかもしれないが、実は前回と今回ではまるでケースが異なる。カフェ アンリーブルジェは元々オーナーシェフの店。後継をジョルジュに任せ、自分はオーナーに徹するつもりだったが、結局のところ、調理場に顔を出せば、若い子たちに直接指示したりするのにジョルジュが切れて、「私が指示した事を一々貴方がひっくり返したんでは統制が取れませんよ!私が総料理長じゃないんですか」と怒鳴って、殆どけんかして辞めた形だった。要するに一つのレストランに総料理長が2人いるような状況は無理だったと言う事だ。今回のオーベルジュ ル・ムーランの場合は逆にオーナーは飲食業とは全く無縁なビジネスマン。実の所、私は最初からいずれ袂を分かつ時が来るのではないかと密かに懸念はしていたのだ。というのも私はジョルジュの妥協を許さない料理人としての性を良く知っているからだ。オーベルジュを名乗りながら料理面が弱いからこそジョルジュ ローリエ氏をシェフとして招聘と言う話になった訳だが、もう十分料理の評判は高まっている今、更に料理の向上をどんどん追及していこうとするジョルジュと、オーベルジュと言ってもホテルとして、予算配分から何からレストラン部をSpaやその他の施設と同一に位置づけるオーナーとこの先一緒にパートナーを組んでいく事が出来ないというところだろう。今回はしかしけんかした訳ではなく円満な話し合いが行われ、オーナーはジョルジュの功績を称え、ジョルジュもこれからも外から協力を惜しまない事を約束(彼はとりあえず調理師学校の教授に戻るが、出来るだけ早くレストランではなく飲食業のコンサルタント会社を自分で立ち上げるつもりなので)して去っていった。後任の総料理長だが、私がカフェ アンリーブルジェに入ったばかりの頃、そこでジョルジュのすぐ下で副総料理長をしていたパトリック コスチュウ氏(通称パディ)が今フリーなのでジョルジュが後任を託した。私にはホテルの総料理長なんて向いてないし、やるとすればジョルジュの路線を受け継ぐだけだから何にもならないのだ。そこへ行くと、このパディはカフェ アンリーブルジェのようなグランメゾンや、カナダを代表するフォーシーズン ホテルなどの大ホテルで要職を歴任してきた人物だからオーナーが望むこれからのル・ムーランにはうってつけの人材と言えよう。着任と同時に私のことをよく知るパディは「Nakiにはこれからも副料理長として残って欲しい。おれ自身は夜は働かなかったジョルジュと違い、夜に照準を合わせるから、Nakiには主に朝食、昼食のメニューを君のアイデアで改造してもらい、B&Bと大差ないような朝食や、マンネリ気味の団体用昼食バイキング、現在はサンドイッチなどの軽食が多い一般客の為の昼食アラカルト メニューまで皆を指導して作り変えていく仕事をして欲しい。勿論昇給その他も考慮する」というオファーを出してくれた。それはそれでやりがいのある仕事のようだが、今回ばかりは即答とは行かず考えさせてもらった。ジョルジュの頼みだからこそ、わざわざこの田舎のホテルまで来たのだから。しかし本日ようやく承諾の返事をした。それでこのホームページも更新することにしたのだ。突然のシェフ交代で戸惑っているのは私よりもむしろ部下たちの方だろうし、パディにしても火中の栗を拾うようなもの。自分だけ彼らを放って辞めていくのも日本人としての美学から外れているような気がしたからだ。パディは手を取って「よく決意してくれた」と何度も感謝の意を示してくれ、部下たちも皆喜んでくれた。人間これほど必要とされているうちが花だ。そんな訳で3月からまた別の種類の忙しさになりそうだが、その前に明日はバレンタインデー、こちらのバレンタインデーは日本のクリスマスイブに似て、カップルがレストランに食事に来る日でどのレストランも滅茶苦茶忙しい。
30.新体制での出発。
(2月28日更新)

暖冬で締めくくった2006年であったが、日本から戻ってみたら2月と言うのにマイナス30度以下になっていた。やはりケベック、カナダの冬はあのままでは終わらなかった。明日から3月だが明日から大雪が降り始め、今週いっぱい雪模様のようだ。
新体制での出発は3月からと言う事であったが、実際には2月の最終週から始まった。この体制になったことで、わざわざ人事部長と新シェフのパディと3人で面談し、新たな契約を結びなおした。こういう組織特有の面倒な手順はあまり好きではない・・・というか、新しく外から来た訳でもなく、副料理長のままでもあるのに何でわざわざと今一理解に苦しむ。もっとも今までジョルジュが自らやっていた仕事の多くを私が引き受けることにもなるので、経営者サイドの人間として自覚して欲しいと言う事のようだった。人事部長は女性だが、元々終身雇用の存在しない世界だから、数々の企業で人事畑一筋に渡り歩いてきた敏腕の人で、ホテル、飲食業は初めての経験だという。比較的共通項が多いのは航空会社だと言うから、やはり日本とは大分違うと思う。技術分野は別として、日本ではこういう事務分野でスペシャリストとして、次々に転職していくのはまだまだ珍しいのではないだろうか。と逆面接みたいになってしまったが、彼女も「Nakiとはあまりちゃんと話しをした事もなかったから、この機会にと思ってね」との事だった。そんな話をしながら相手の人となりや能力を見極めようとするのが彼女の人事テクニックなのだろう。もっとも私はジョルジュに個人的に呼ばれた訳で、信じがたい事にこの職場には履歴書一枚提出していないのだから新シェフまでもが高い評価を下しているNakiとは何者なのか?と言う疑問は当然だが。私の方としては契約に特定期間を設けないと言う条件だけは守っておいた。勿論やるからにはいい加減に放り出す気はないが、やはりジョルジュ同様譲れない線、妥協できない点は持って仕事をしていく為には、契約期間は邪魔になる。給料の方は大して上がらなかった。こちらでは調理場で言えば、料理長、副料理長、あるいはパティシェのようなスペシャリストは年棒だが部門シェフでさえ時給制だから、幹部だけが「サラリーマン」であるわけで、これでも若い子達から見ればうらやましいほどの条件なのだろうが、逆に自分のサラリー(年棒)を時給換算すれば、1時間に100円程度上がったに過ぎない。付帯条件として、月1万円程度のガソリン代(ここ数年のガソリン代の高騰で当然足が出るが)、一食250円程度の賄い食が無料になるなど、殆ど冗談みたいな特典が追加されたのみだ。まだしも前のカフェ アンリーブルジェの条件の方は歯科治療会社負担など、料理人として分かりやすいものが多かったものだが。
私が夜の営業でシェフ ソーシェを兼務する訳には行かないので、去年まで私が休みの日にパートタイム ソーシェをしてくれていたle tartuffe(Hullにある数少なくなってきたフランス料理の名店の一つ)のスーシェフであったロメインをシェフ ソーシェ担当の準スーシェフとして引き抜くことになった。彼はフランス系ではなく、純粋なフランス人で、本国で調理師学校を卒業し、修行して育ってきただけに若いがいいセンスを持っている。こんなとんがった男でも私のことは職人として上と見て逆らわないのだから、26年も調理場でもまれれば、多少の事は出来るようになったのだろうか。料理長パディ、副料理長 私、シェフ ソーシェ ロメイン、シェフ パティシェ ツェア(彼女もカフェ アンリーブルジェの生き残りとして、私同様ジョルジュに招聘された)の4人までが調理場の管理職ということだ。これからも最低週1回は夜ソーシェを務めるつもりだが、何しろ毎朝7時から仕事場に入るので、夜の営業は主にパディとロメインの二人に任せ、私はジョルジュが直接仕切っていた昼間のバイキング(アラカルト メニューもあるが)を仕切ったり、現場に立ち続けることは譲れないが、事務的な仕事は更に増えそうだ。しかしバイキングや宴会、昼間のアラカルトなどのメニューを全て任されるのは有り難い。本日の特別メニューや、グループメニューはともかく、大抵の料理長は副料理長にメニューまでは任せてくれないものだからだ。