エッセイ2011年3月


223.たまには世界情勢など。

(3月3日更新)

 そろそろ日本の多くの場所では春の予兆を告げる頃だろうか。カナダでは寧ろ寒さも増すくらい・・・マイナス20〜30度の状況だ。雪もよく降る。もっとも、日の短い時と寒い時季は重ならない。年が明ける頃から徐々に日は延びていき、今頃になると暗くなるのは大分遅くなる。実際10日後にはDay light saving time・・・所謂サマータイムが始まる。いや、あえてデイライトセービングとして、サマータイムとしなかった理由はお分かり頂けるだろう。どう考えたってサマーには程遠い事は明らかなのだから。
 この所また世界が騒がしい。中東を中心に日本に近い中国、北朝鮮まで飛び火して暴動が起こっている。東で天安門事件が起きるのと平行して東欧の民主化が加速し、その年の暮れにベルリンの壁が崩壊した1989年の状況が思い出される。あの頃世界の目が集まったドイツに住んでいたが、別にそこ自体が危険な状態であった訳では無かった。しかし、それに続く湾岸戦争では、ドイツ国内の私の住む周辺でもテロはあったし、その数年後に移住した英国でも乗っていたロンドン発の列車がIRAの爆弾警告の為ストップした事が2度もあった。たまたま一時的に住んでいた外国人の私が2度も体験するくらい日常茶飯事という事で、実際向かいに乗り合わせた女性など、当時普及し始めたばかりの携帯電話で「そうなのよ。また爆弾だって・・」などと平気な顔で遅れる事を連絡していた。これに比べれば未だ未だ日本は平和だとつくづく思ったものだ。この辺の事情は以前ベルリンの壁崩壊20周年の事を書いた時も触れたが。
 先週来たエジプト人建設業界ビジネスマンのお客様は中国の民族服を着ていて、「いやあ、中国がGDP世界2位になったからね。この頃は中国との仕事ばかりさ。日本でも以前はよく仕事をしていたよ。伊藤忠とかと組んでね。村山総理の頃は長く日本に滞在して、河野外相(当時)の奥さんに三越に連れて行ってもらったりもした。あのプロジェクトのゴーサインを出したのもムバラクだったんだが・・・」と最後は自嘲気味に笑っていた。彼は友人の誕生日を祝う為にうちのレストランで食事に来たのだが、日本が今のエジプトの様な状態になったとして(ちょっと想像し難いが)オタワ在住の日本人ビジネスマンが、こんな風に気軽に食事に来てくれるとは思えない。平和でない事に慣れている人もいるのだ。
 湾岸戦争の時、100万円近くもするマグロ一頭を丸々廃棄せざるを得なかった事があった(この話も前に書いたかも)。オイルの撒かれた海峡を回遊してきたらしく、開いたら原油の臭いが広がってとても使い物にならなかったのだ。マグロと言えば、リビアがマグロの捕獲量決定の会合を欠席した為、捕獲許容量が減り、値上げされる観測だそうだ。農作物だって平和でなければ自国で賄う分はともかく、外国への輸出などままならないのは当然の事。湾岸危機の脅威にさらされていたイスラエルの良質なフルーツもあの頃供給が途絶えた。
 先のエジプト人のお客様はローマ法王と一緒に撮った写真を私に見せてくれて言った。「法王がそっと耳打ちしてくれたんだが、エジプトに神様は居てもイスラエルにはいないそうだよ。ユダヤ人がキリストを殺したからだって」
 お客様の話にうかつに返事できないのはこんな時だ。前のホテルで与党、野党問わず来られるので、政治の話には日本人得意の?曖昧な笑いで誤魔化していたが、ここもその手しかない。何しろ一国の政治の話どころのレベルではないのだから。


224.レストランは開いてるんだぞっ・・・と。 

(3月10日更新)

 先週末の日曜日はまた朝の準備から閉店までまったく1人でやった。大分1人でやる要領は分ってきたが、何故か1人の時に限って忙しい。あの日など前日まで大して予約が入っていなかった上、前の晩から雪が降り続いていて、出勤するのにも苦労したぐらいだから(日曜のそれも早朝となると流石に除雪も間に合わない)キャンセル続出だと思っていた。実際やたら電話がなるので、キャンセルの電話だと思ったら、それどころか全部新たな予約の電話であっという間に予約の人数が膨れ上がった。まあ嬉しい悲鳴と言わずばなるまい。ブランチはしかしまあ安定しているのに、マイケルにはちゃんと元の人数、体制を整える気はさらさらないらしい。そもそも彼は日曜日にはまず居ないので、状況を把握していないが、普段でも滅多にレストランのある2階に上がってくる事などまるで無く、その存在を忘れているのではないかとさえ思える。まさにそれを証明する様な事が昨日起こった。
 昨日の朝、平日レストランが開く午前11時半近くになっても誰もサーヴィスが来なかった。平日は大抵今や唯一のフルタイム ウエイトレスであるエミリーが1人でやるのだが、今日聞いてみたら、風邪で熱をだしたらしい。それは仕方ないが、マイケルに言ったら、それこそ久しぶりに2階に上がってきて、予約帳の所へ行ってUターンしてきたと思ったら、「しょうがない。クローズしよう」とか言い出した。「おいおい、冗談としては面白いが、今予約帳見て来たんじゃないの?忙しくは無いが3組11人は予約が入ってただろ?」「え?予約入ってた?いや、確かに今予約帳見てきたけど、何も無かったよ」「何処を見てきたんだよ」と3組11人が書き込んである(勿論そのページが開いてあった)予約帳を突きつけたら、まさにその時また電話でもう一組予約を告げて来た。マイケルが出て「ラヴィノヴィッチ博士だ。これじゃ断れないな。下(カフェテリア)から誰か呼んで来るよ」と。カフェテリアにはかつてレストランでも働いていたカトリーヌがいるのだから最初からそうすれば良いのに、まるでレストランの事など考えていない。ようやく少しお客様が増えてきたのに、こんなので閉めてたらたちまち誰も来なくなる。ラヴィノヴィッチ博士は最近ほぼ毎日来てくれる様になった最大のお得意様だが、マイケルが態度を豹変させたのは他でもない。博士はこの博物館の館長なのだ。こんな理由でキャンセルした日には博物館がコンパスグループとの契約をキャンセルする羽目になるかもしれない。大体誰であろうとこっちの都合で断れるレストランが何処にあるのだ。結局そこそこ水曜日としては忙しく、現行メニューも知らないカトリーヌには気の毒だったが、オフィスから最近辞めたルシャールの代わりに来たマネージングディレクターが一緒に手伝いに来て事なきを得た。彼は私に「シェフ、たまには自分で客席に挨拶に行かないのかい?皆凄く感激して食べてるぞ」と言っていたから、客席は別にパニックにはならなかったようだ。本来オフィスにはレストランのメートル・ドテルを兼務するジョエルもつめているのだが、こんな時に限って彼女も休みだった。
 しかし酷い話だ。何の為の総料理長だと言わずもがなの事も言いたくなる。


225. オタワ ハントクラブを訪れて。

(3月15日更新)

 先週は日本の大地震の話に終始した。勿論ここでもも皆が関心を持っている。特に今は原子力発電所の事故の話題で一杯だ。あの日の朝はテレビを点けるなり、日本の映像が出てきた。久しぶりにインターネットより早くテレビで日本のニュースを知る事になった訳だが、実際日本が取り上げられるのはこんな時ばかりだ。それにしても今回は規模が違い過ぎる。震度9など聞いた事もない。あの阪神淡路大震災でさえ遠く及ばないスケールだと言う。まあこの日本語サイトを覗いてくれてる方達は私より詳しくご存知だろう。いや、何れにせよ言葉では尽くせない大震災だ。
 秋田で寿司屋の大将をやっている友人が、「向こうの景色とこちらの立ち位置が左右にズレて動いて見え、止めてある車も、前後に大きく揺れて、映画Godzillaの一場面の様だった」とメールをくれた。彼同様ドイツで共に和食の店で一緒に働いていた先輩の1人も原発事故地から近い福島に居る筈だが、現在の連絡先がちょっと分らないので確認のしようがない。運の強い人だから大丈夫と信じるしかない。

 以前から何度もお誘い頂いていて、それでは休みである今日火曜日にと約束したので今日は神林シェフが総料理長を務めるオタワ ハントクラブを訪問させて頂いた。まさかその約束をした後でこんな大災害が起こるとは思いもしなかったが、どっちにしろここに居て出来る事など何も無い。神林シェフは24時間日本のテレビが視聴出来るシステムをご家庭にお持ちの様で、NHKに固定してリアルタイムでニュースを観ていらっしゃるそうだ。
 勿論震災の話をしにハントクラブくんだり(ハントクラブはオタワ国際空港の向かい側みたいな所にあるので私の住居からはかなり遠い)までドライブしたのでは無く、今までじっくり神林シェフと話す機会が無かったからと言う事で行ったのだから、色々と貴重なお話を伺った。業界の内輪話の様な話が殆どだから今ここで詳細は記さないが、神林シェフがオタワにいらっしゃったのは何と1972年だそうだ。草分けである事は以前から知っていたが、まさかそこまで長いとは。まったく我々が偏見も無くこちらの調理場に受け入れられる様になったのは神林シェフ等諸先輩方のお陰だとつくづく感じる。


226. 復興への鍵と信じて。

(3月23日更新)

 日本の原発事故を巡っては、世界中が大騒ぎしている感がある。ドイツの、日本程技術力が優れている国は無いのに、そんな国でさえ、放射能を防ぐ為に自宅を閉め切ってエアコンを止めろくらいしか指示出来ない事に原子力発電の問題点があるといった見解は言い得て妙だ。

 ソニーもトヨタも世界企業になって海外の工場などを中心に活動する様になって以来、“壊れない神話”は崩れ去ったのかもしれない。しかし、やはり科学技術力に関して日本がトップクラスにある事は確かだと思う。ノーベル賞の近年の授与者を見てもしかり。
 何より名もない町の定食屋さんに凄い腕前の料理人がいたりするのと同様、日本では市井の修理屋さんのレベルの高い。この事は日本国内に居るとあまり見えてこないかもしれないが、長年外国に住んでいると痛感する。
 私の住んできた国々は先進国ばかり。先述のドイツなどは技術力では日本のライバルであり続けてきた程だからましな方だったが、それでも日本程ではなかった。

 今日も冷蔵庫の修理屋さんを呼んだが、同じ冷蔵庫を先週修理して?もらったばかり。まったく同じ問題が生じたので出勤と同時に連絡したのだが、何と昼の12時に来た。平日レストラン開店は11時半。今日はまあまあ忙しく、その時私は2つのテーブルの前菜と2つのテーブルのメインコースを同時進行で1人で作っていたから、かなりドタバタしていたがその私の足元にある冷蔵庫をそんな中で直し始める根性(彼の頭上で熱いフライパンや包丁を持って私が飛び回っている)には恐れ入った。「おいおいこの時間に来るか?」と聞いたら、「電話を貰ってすぐに来てやったんじゃないか」と開き直る。業務用の冷蔵庫を修理する会社がレストランで昼の12時に、しかも調理場のど真ん中にある冷蔵庫で作業を始める・・・何処の国の常識に照らし合わせても凡そ合致しそうも無いこんな事がしかし日常茶飯事なのだ。そして、結果としてまた数日で壊れたりする。前のホテルに出入りしていた冷蔵庫の修理屋さんも同じ冷蔵庫をほぼ毎日2週間の間かけて「直った」「やっぱり駄目だった」を繰り返し、当時私の下にいた子が「シェフ、(修理屋の)この人従業員用賄いの数に入れた方が良いんじゃないですか」などと私に向かって聞こえよがしの皮肉を言っていた位だ。

 私の母は子供の頃から、何か買ってくれと頼んでも良い顔をしなかったが、何かを習いたいと言うと諸手を挙げて賛成してくれたものだった。母曰く「品物はやがて無くなるけど、身に付けた技術は誰も奪えない」との事だった。確かにそうだ。

 日本は今大変な状況にある。しかし、失った物は多くとも、身に付いている物の多さが、必ず復興への道を切り開いてくれると信じている。


227.メープル シュガーの季節・・・ではあるが。

 (3月27日更新)

 今日は通常のブランチを休み、メープル シュガーをテーマにした朝食メニューを提供した。さらっと書いたがここに至るまではすったもんだがあった。元々は大広間を使用して300名限定でこの朝食イベントを行い、レストラン カフェ・ド・ミュゼでは通常のブランチをと言う事になっていた。
 ところが、あまりにチケットが売れないので木曜日に博物館とコンパスグループの話し合いで計画変更。レストランの通常ブランチは休み、そこにこのイベントをはめ込む事になってしまった。そっちはそれで良いかもしれないが、レストランにはその木曜日の時点で誕生日パーティを始め40人程の予約が既に入っていた。勿論このメニューで納得して頂ける限り断る理由は無いが、ブランチを期待して来られる方にはあまりに簡素な内容だ。結局前日の土曜になってもチケットは16人分しか売れていなかった。そもそもこういうイベントの度にまるで宣伝をしないのだから当たり前の話だ。木曜までに入っていた予約はともかく、その後のお客様には説明すると、それなら・・・と断られる方も当然多く、チケットの3倍以上のお客様がその時点でキャンセルと言う馬鹿馬鹿しさだ。ウエイトレスのエミリーに「こんな事ばかりやっていたら、お客さんがどんどんいなくなっちゃうよ。16名の為に定連のお客さんがこぞって被害を被るとは」と嘆いたら、「私だって被害を被ってるわ。今朝から電話が鳴りっぱなしなのに、一々事情を説明して・・・」との返事。「そうか悪いな。クレム ブリュレ作ったけど食べる?」とか甘いものでごまかしつつ、何で私が彼女に謝っているんだろうと思わないではなかった。しかしこのレストランのシェフは私なのだから仕方が無い。つまりお客様の怨嗟の声も全部私に向けてくる事になる。後ろに総料理長だのコンパスグループだのいる事はお客様の知った事ではないのだから。今回の場合はしかしコンパスやマイケルより博物館の姿勢に問題がある。 
 ところが開店した途端。レストラン前に長蛇の列。こんなコーナーがあったのかと当日になってようやく知ったお客様がそれならとチケットを求めて並んでいたのだ。今だかつて無い行列の長さにメートル・ドテルのジョエルが「Naki、何人まで受け入れられる?」と聞いてくる始末。「朝食メニューで回転させるのは無理だ。通常の予約席は押さえておかなければならないし、全部でレストランが満席の100席までだね」と断腸の思いで宣言した。結局事前の宣伝を行わなかったばかりにレストランのお客様にもイベントのお客様にも共に迷惑をおかけしてしまった形だ。あの分ならイベントはイベントで予定通り大広間で通用した筈。それ以上に急にこちらの都合で予定を変えさせられたレストランのお客様については今日一日の事ではすまない。当分、いや二度と帰ってきてくれないお客様もいるかもしれない。
 例えば誕生日パーティのお客様は一応バースデイケーキとか用意してはおいたが、やはりUターンして帰られた。誕生日パーティを当日仕切りなおししていただくと言う事の重大さ・・・。コンパスグループはヨーロッパなどではレストランを中心に展開しているが、北米ではカフェテリアが殆ど。うちの様にバンケやレストランがあるのはグループ北米全体内でもおよそ珍しい。つまりこの国のコンパスグループの幹部にはカフェテリア経営のノウハウしかない事は前々から感じていた。
 レストランはカフェテリアの様に食欲を満たすだけの場所では無いのだ。誕生日、記念日、結婚式・・・特別な日の為の特別な場所。イベントの為に自分の誕生日を台無しにする様なレストランに誰が来たがるだろうか。
 このメニューにも関わらず、キャンセルしなかったお客様達が“C'était très bon!”とお客様同士(我々スタッフにではなく)で言い合っているのを遠くで聞くのが何時にも増して有難かった。取り分けベジタリアンとして作ったレンズ豆とキノアを肉に見立てチーズを加え、普通ジャガイモを使うところサツマイモにテーマであるメープルシロップを利かせたPâté chinois(「パテ・シノワ」ケベックの伝統料理)が人気だった事に安堵した。そもそも今回私がメニューを書いた訳では無かったので、これだけが私のオリジナルだったからだ。
 食事に焦点を絞れば、簡素な朝食メニューであろうと、贅沢なブランチメニューであろうと美味しい事が何より肝要だろう。しかし、前述の様にレストランと言う空間はそれだけの場所では無い。それでもこんな時料理に一工夫加える事しか我々に出来る事は無いと言う事だ。