- 16.紅葉の頃
- (9月14日更新)
- 今年のウタウエの夏は何のかんの言っても耐え難いほど暑い期間は短かった。正味2ヶ月くらいのものだったのではなかろうか。去年は猛暑で5月の頭から9月の終りくらいまで5ヶ月間暑かったといっても過言では無いと思う。当然10月に入ってようやく紅葉という感じで、紅葉そのものも例年見慣れている目から見ると、いま一つといった感じだった。今年はつまりさほど異常気象では無いようで、9月初頭から葉のいろが変わり始め、もう目に見えて紅葉が始まっている。勿論ピークに達するまでは未だしばらくかかりそうだが、今年は日本の観光業界からメープル街道と呼ばれているこの辺りを旅して期待を裏切られる心配はあまり無さそうに思う。是非機会があれば来ていただきたい。残念ながら当方は多忙で、紅葉がピークに達しても通勤途中車を運転しながらちらりと見る程度の事しか出来そうもない。サラ マンジェ(日本ではホールと言うのか、ダイニングと言うのか、要するにレストランの客席の空間)でサーヴィスでもしていれば窓の外から、あるいはテラスからかなり壮大な紅葉が楽しめるはずだが、厨房の中は年中変わらぬ風景だ。紅葉のメカニズムは良く知らないが、やはり暑い夏から、急速に寒くなるこの地だから、それぞれの木々の葉がアンバランスに色を変えていき、少し離れた所から見ると、絵画のような、いや絵では表現しきれないような自然の美を創出しているのではなかろうか。実際日本語では紅葉と言うが、何も紅ばかりではない訳で実際こちらでは、英語でもフランス語でも葉が、黄色、赤、金色などに変化する....といった表現を使うのみで、日本語の紅葉に完全に適応する言葉は無いようだ。日本では秋と言えばジビエの季節だったりする訳だが、こちらでは1年中ジビエを出している。正に山の幸を食べに来るような場所なのだが、この2〜3週間、業者でジビエが不足しており、当初は正直品切れということで、削っていたが、2品も品切れがあっては流石にお客さんから非難の声続出となる。仕方ないのでメニューを書き換え、水牛を子牛に差し替えたり、鹿を兎に差し替えたり、とりあえず1〜2週間をめどに一時的メニューを作成したりしている。こんな事は記憶に残る限り、あまり無かった事だ。一時的なこととは思うが、それにしても環境に微妙な変化が訪れている兆候なのかもしれない。水牛などは人気の子羊に変えて、イタリア料理のosso
bucco(脛を骨髄ごとトマト味で煮込んだもの)にオレンジの香りを利かせて料理する目玉商品として、始めたばかりだったのだが。生き物の恵みで料理を作っているのだから、本来は定期的に供給できる時代の方が恐ろしい事なのかもしれないとは思う。何れにしても食欲の秋、紅葉の秋。休息には程遠いと言ったところか。
- 17.過去から未来へと
- (9月19日更新)
- 何だか御大層なタイトルを付けたが、別に何時も通りの軽いエッセイである。とりあえずフォトギャラリーの3枚の写真を見比べて欲しい。1986年、1996年、2006年。
- つまりは10年おきに3回同じ3人で撮った写真だ。私以外の2人はル.フジェールのオーナー、パート夫妻である。今も週に1度だけ手伝いに行っているわけだが、この2人が休みだから手伝いに行っているわけで、滅多に一緒に仕事をする機会は無い。しかし、おととい大口の結婚式が入って、私はメインキッチンで通常営業、パート夫妻他数名で結婚式の立食ブッフェを仕込み専用のキッチンで作る事になったので、久しぶりにお互いユニホームで顔を合わせたのだからと以前からの約束どおり撮ってみたのだ。10年一昔と言うが、最初の写真から20年。やはり3人とも10年分、20年分ずつ年をとっているなと感じる。それにしても思いがけず長い付き合いとなったものだ。この日、6月のエッセイで書いたVeroniqueから電話が有り、ケベック代表として今度はカナダの全国ソムリエ コンクールで優勝したと言う。今度はカナダのナンバー1ソムリエとして世界大会に出場するそうだ。女性ソムリエールが代表になるのは初めてらしい。10年前一緒にフジェールに参加したときは1ウエイトレスと1パティシェだったという話は先のエッセイで書いたとおりだが、やはり、当たり前だが10年分時は流れている事をひしひしと感じる。早い話10年前には私の膝下の背丈だったパート夫妻の長男が遥か見上げなければならないほどの長身の青年になっている訳だ。いや、さらに言うなら、20年前初めてこの2人と仕事していた頃に奥さんから「赤ちゃんが出来たのよ」と聞かされたそのお腹の中の子が彼なのだ。先週うちのウエイターの一人が「Naki,昨日あんたテレビに出てたぜ。かみさんと一緒にテレビ見てて(あ、うちのNakiだ)って叫んじゃったよ。」とか言う。どうも私のカフェ アンリーブルジェ時代の出張料理のドキュメンタリーの再放送だったらしい。確かにその取材を受けた記憶はあるが、2年以上は前だったのではないだろうか。第一その店そのものが8ヶ月も前になくなっているというのに。カナダのテレビ番組は時の流れが止まっているのじゃないかと思う事がある。5年も6年も同じ番組を繰り返し繰り返し再放送している時間帯もよくある。予算が無くて新しい番組が流せなくても、せめて3つくらいの番組を交互に再放送すればよさそうなものなのに。まあたいていの人はケーブルテレビ、もしくは衛星放送に加盟していて、チャンネルが沢山あるので気にならないのだろう。私は面倒だから加盟していないので全部で3チャンネル。2チャンネルが英語で残り1チャンネルがフランス語だが、画像がよれていないのは英語の1チャンネルのみ。このチャンネルは国営放送。そういえば昔は日本でも地方に行くとNHKしかまともに見られないところがよくあったが。どうも国営放送ってやはりつまらない番組が多い気がして、画像がよれていても他のチャンネルをみたりしている。これだけ世の中が急速に動いている中、最先端を行く筈のマスコミがのんびりしているのもむしろご愛嬌か。
- 18. 紅葉と桜。
- (9月30日更新)
- いよいよ本格的に紅葉が始まってきた。ところがカナダ人の多くはこれを歓迎しないと言う。何故なら紅葉イコール冬の始まりを告げる合図だから。カナダに限らず、欧米の殆どの国では9月に学校が始まる。この感覚は、しかし日本人の私には共有し得ない。桜も紅葉も美しさでは甲乙付けがたいが、その意味するところは全く違う。枯れ葉散る季節に人生の新たな出発があると言うのは、長年それを当たり前としてきた人々にとっては当然の事だろうが、やはり日本で生まれ育った者にとっては桜が咲き、木々の芽が顔を出す季節こそが始まりの合図と感じる。こういうのはもはや理屈ではない。DNAレベルで繰り返されてきた日本人としての性だ。まあ、しかし確かに紅葉が本格的になると急激に気温も下がり、夜などは摂氏0度からマイナスに下がる事もある。数週間を待たずして昼もマイナスになる筈で、カナダ人の多くが紅葉にぞっとするのは分からないでもない。そうは言ってもやはり世界屈指の紅葉の名所なのだから美しい。私の勤めるホテルなどは特に名所のひとつだから、滅茶苦茶に忙しい。9月もしかし、今日で終わりとは。
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Harb
徒然なるままに
essai