エッセイ 2010年3月


176.幸い忙しく。

(3月8日更新)

 やはり丸一ヶ月近い間を空けての更新となってしまった。3月3日にこっちに戻ってきた。予定では翌日から仕事。マイケルから電話があって、こちらが一言も言わない内に「Naki〜やっと帰って来たか。昨日電話したら未だ帰ってなかったんだよ〜」と疲れた声が返ってきた。相変わらず不眠症が治ってないらしい。しかし聞いてみると4日は宴会が入っておらず、5日に70人程度の小宴会が入っているだけだった。とは言えデーブは今事実上レストラン担当スーシェフに横滑りした形になっているので、早速私が担当するしかなく、勿論普通なら4日から準備に入らなければならない所だが、70人程度なら簡単な仕事は皆に進めておいて貰って当日朝早く出勤すれば間に合うと計算し、4日は1日休むつもりだった。まあ実際にはまる1日とはいかなかったのだが。5日はいきなり早朝から夜までの仕事になったが、時差ぼけを治すには丁度良かった。
 今週からかなり忙しくなってきており、今も1週間先までの予定表に次の休みが載っていない状態だから、帰国したてから少なくとも10日以上は休みなしになる事になる。十分休暇を取った後だからと言って、そう急に静から動へ移行するのでは疲れる。
 日本では割合寒かったが普通の桜より遥かに早い河津桜を見る機会もあったくらいだから、さぞやこちらとの落差は激しいと覚悟していたが、暫く春の様な気候が続いている様で、今もって毎日晴れており、雪の気配など全くない。去年の今頃とは大分違う。まあこのまま春に突入する程カナダの冬は甘くないだろう。
 とは言え、こうして無事?多忙な仕事が待っていてくれるのは今の時代有り難い事ではある。
 


177.フジェールに行ってみたものの・・。

(3月16日更新)

 ようやく休みが取れた。昨日、今日と連休。いや、実は昨日のみだったのだが、半ば強引に今日も休みにしてしまった。また次は何時になるか分からないし、結構やる事があったからだ。ろくに旅行の荷物も解いてなかった(これはズボラなだけだが)。
 チャーリーとジェニファーにお土産があったので、今日フジェールに行ってみたが、2人ともイギリスに居ると言う。食事しに行った訳では無いので店の方に寄って話を聞いた。店番していたのはちょっと名前が思い出だせなかったが、かつて私の下に数週間だけ付いていた事のある子で、向こうはすぐに「Naki、久しぶりだなあ」と声をかけてくれた。調理場見習いとしては正直力不足で、本人もそれを悟り数週間で辞め、以来店で働いているのだ。店だとバイリンガルだし、人当たりも悪くないので適正があったと言う事だろう。何しろあれから何年にもなる。名前が思い出せないとは失礼な話で恐縮だが、そういう人が山ほどいるのでつい忘れてしまう。先週もブランチにマニーの従兄弟で、かつてカフェ・アンリーブルジェでウエイターをしていたジェシーが家族連れで食事に来たが、顔は覚えていても中々名前が出てこなかった。これまた向こうが先に気付いて「Nakiじゃないか、ここにいたのか?」と声をかけてくれたのだった。彼は今は公務員に転職して9時5時週休2日の普通?の生活を送っているらしい。
 話が横道にそれたが、どうもチャーリーのお母さんが病気で、すぐにどうこうと言う事は無いが危険な状態だと言う。チャーリーはかなり前に発ったがジェニファーは一昨日行ったばかりだそうだ。そんな事なら仕事の帰りにでも自宅の方に行ってみればよかったが後の祭りだ。もう半年も病床に臥していると言うが、前回チャーリーに会った時、カナダに来ていたお母さんと一緒だった。丁度あれから半年。あの直後に倒れたと言う事なのだろうか。あの時は元気そうで、私が既にル・ムーラン ウエイクフィールドを辞めているのを知らずにお母さんを連れて行ってくれて、偶然にもその帰りに郵便局で鉢合わせしたのだった。まああの時昼に行ってくれたのなら、未だ昼のメニューは私が作ったものではあった筈で、とても喜んでくれていたのだが・・・。何れにせよ2人は何時帰ってくるかも分からないらしい。
 今回あたりから、エッセイらしくあまり日常と関係の無い話を増やそうと思っていたが、こんな事があってはどうしても何時もの様に日記の様になってしまうのは止むを得ない。
 それより、更新回数が減ってきているのでまたそれを元に戻す様にしたいが・・。


178.サミットに揚げ出し?

(3月18日更新)

 前回最後に書いたように、取りあえずは更新頻度を上げる為に今回も日記的になり、尚且つ短いものになるが、お許し願いたい。と言うのも、今度何時休めるか分からないと言ったが、まさにそれで、マイケル曰く「予定表に休みと書いたとしても、実際は出勤だと思ってくれて間違いないよ。本来週休2日で1日1シフトが建前だから、時々休みと書いとかないと、組合が煩い」との事だ。
 実際今日も早朝から夜遅くまで。明日もあさっても終日勤務となりそうだ。なので、日記的にちょこっと記すぐらいにしないと続かない。今も深夜2時になろうとしている所だし、明日も少しゆっくりの出勤としても9時には行かないと駄目だろう。
 今日は昼100名超のビュッフェがあり、夜は夜でG20の会食が入っていた。以前記したように3月ガティノーで行なわれるこのサミットは外相級会談との事だったので、てっきり岡田外相も来ている筈だと思っていたが、岡田外相はハイチに向けて出発したと聞く。日本からは一体誰が参加したのだろうか。何れにせよ世界各国から集まるとなると、宗教的に食べられない物があったり、色々と面倒な事も多いが、基本的にはメインは水牛のフィレ ステーキ。ベジタリアンには豆腐が好きじゃなかったマイケルもすっかり気に入ってしまった例の野菜と豆腐の揚げだし・・・って、サミットにこれで良いのか?と思わないでも無かったが。夜には恭子さんも来てくれたので楽だったが、長い1日ではあった。やはり、短いがこの辺にしておこう。午前3時になってしまう。明日もあるのだ。


179.文章のDNA。

(3月21日更新)

 今朝は6時起きだったが、久しぶりに夕方までで仕事を終えられた。明日はまた終日に逆戻りだが・・。今日は明日の140名のグループ他の準備があったので、ブランチには参加せず仕込みに集中した。
 このまま仕事の話を続けると結局今回も日記パターンになってしまうので、何か別の事を書きたいと考えて、さて今回のテーマはどうしようと言うところだが・・・うーん、エッセイのテーマか・・取りあえず今回は文章そのものに関係する話題から始めてみよう。
 先日帰国した際一緒にテレビを観ていて、飛行機のニアミスか何かのニュースをやっていたのをきっかけに父が、航空撮影で何度も危険な目にあった話をしてくれた。例えば、ちっぽけな飛行機でパイロットの隣に座っていて「ちょっと自動操縦に切り替えて一眠りするから、監督さん、あんた操縦桿を握っててくれ」とか言われて、着陸寸前にパイロットを起こした話。後日ニュースでこの空軍上がりのパイロットが墜落死したのをニュースで見て「ああ、また誰かに任せて寝ちゃったのかなあ」と唖然としたと言う。他にも飛行機では無く、同じく空軍出身(まだ軍隊上がりの人達が現役で活躍していた時代だったので)ヘリコプターのパイロットに何度もぎりぎりの所を飛んでもらっていたが、この人もやはり後日墜落死したと言う。いかにぎりぎりの危険な飛行かと言う証明だが、実際飛行機の窓を外してそこからカメラを突き出して撮影するなどしていたらしい。物凄い風圧で撮影どころじゃなさそうに思えるが、意外とそうでもないと言う。中でも最も危なかったのが、アラスカに行った時で、チャーターしたセスナが上空でエンジン停止し、何度トライしても再始動せず、パイロットが何とか操縦桿で体制だけは整えようとするものの、下に平らな地面は無く、どう降りても助かる見込みはまずなかったらしい。父とカメラマンは死を覚悟し、「こんな時に限って旅行保健も入ってなかったなあ」などと考えていたそうだが、地面まで後僅かという所でエンジンが再始動したと言う。この話をしていて、「その時の話を書いた雑誌がある」と言って一冊くれた。今更掲載許可を取るのも面倒だから雑誌名も書かない。ニアミスの話はかなり危険度を抑えて書いてあるようだったが、それは文章のテーマが「北極圏の石油開発」にあったからだろう。ついでにと言って、小原流の活け花の映画を撮った時の業界誌に於ける「監督へのインタビュー」が載った雑誌もくれた。
 何でこんな話を書いたのかと言うと、この時母が「あんたとお父さんの文章はそっくりね。真面目で」と言われたからだ。父は「そうかな。僕はかなりユーモアを入れているつもりだけど」と言うので私も「いや、それを言うなら僕だってユーモアは入れているよ」と言ってはみたが、読んでみると、確かに自分で書いた文章の様に思えなくも無い。文章だけでなく、インタビューされた時の受け答えも、何となく私もこんな風に答えそうだなと言う感じだ。やはりDNAには逆らえないとしたものだ。
 昨日その父からメールが来ていた。何年かぶりで仕事を頼まれ、親友のカメラマンと2人で製作にかかったと言う。父も母もあの歳でメールをやり取りするだけでも感心するが、2人共生涯現役に拘っている所が凄い。その辺の所も遺伝しているかもしれないが。
 昼間医学映画で手術のシーンを撮った後、レアのステーキを食べ、午後から別な映画を撮って、徹夜で全然別な映画の脚本を書くなど、尋常な神経では無く3本の映画を掛け持ちで手がけていた事もざらだった父なので今まで何百本の映画を作ったか自分でも分からないそうだ。だからとてもここに紹介は出来ないが、検索エンジンにかければ、その仕事のほんの一部は垣間見る事が出来るだろう。


180.国立自然博物館。

(3月23日更新)

 文明博物館、戦争博物館の国立博物館グループの宴会場に自然博物館が今日から正式に仲間入りした。今日の昼が最初のパーティだったが、明日は昼、夜両方入っているので早朝から夜まであちらに行きっぱなしと言う事になるだろう。以前にもケータリングの形で、この博物館で宴会は行なわれた事もあるが、専用の調理場、専用の宴会室も完成し、どちらも今日初使用だった。写真に写っている様に、この調理場には大小2つのRational(例の万能調理機)もあり、これだけは1週間前にマイケルが来てテストしたそうだが、殆どの設備は、未だカバーがかかったままで、これ等を開放するだけで大変だった。ジョルジュが、そのRationalに転職して,ようやくマイケルが総料理長を継いだ最初の大仕事とも言える。明日も今日同様マイケル、ムサ、ルイと私のメンバーで行く予定だ。
 未だ改装建築が続いている事もあり、諸々の事が初めてなので使い辛い面も多かった。改装であちこち新しくなりつつあるとは言え、国立自然博物館そのものは古く、石の壁も多い。ル・ムーラン ウエイクフィールドでもそうだった様に無線がうまく通じず、3階の宴会室と0階の調理場とのコミュニケーションも困難で、現場の私と調理場のマイケルの間を取りあえずムサがメッセンジャーとして行き来すると言うアナログ手段を取ったが、館内電話を設置して貰う必要がありそうだ。エレベーターや通路、パントリー室など今後の改良材料に事欠かない。そもそも今日のお客様自体政府高官の集まりと言うVIPでもあったので、いきなり要求される期待度も高いのだから余計気を使う事が多かった。
 もっともネガティブな事ばかりでは無い。機械も設備も全て新しいのだからパフォーマンスは高い。後は色々慣れで改善して行けば良いことだろう。
 まあ次の仕事が早速明日、しかも昼、夜の2回とまるで芝居の公演みたいな状態だから、今日の反省材料をどれだけ反映させられるか・・と言う所だ。
 それにしても3月のマーチブレークの時期は今までの職場では1月と並んで暇な時季だったが、ここでのこの3月は実に忙しい。
 

181.批評家とリピーター。

(3月28日更新)

 前回の続きである2日目の自然博物館は昼夜共成功裏に終わった。それでもソースを温める為の鍋を忘れてムサに取りに行って貰ったりはした。後から考えるとソース類は全て金属の容器に入れてきたから、そのまま火にかけても問題無かったのだが、聊か焦っていたのかもしれない。自然博物館のカフェテリアがオープンするのは5月。それまでの間我々以外厨房を使わないのだから、高価な最新調理機器が揃っている一方で鍋もフライパンも1つも無いのだ。勿論食材はおろか塩コショウすら一切置いてない理屈だ。こうした状況を考えれば、忘れたのが鍋くらいなのは奇跡と言える。
 翌日ムサやルイは休みだったが、私はまた朝から晩までのシフトだった。しかもその夜はカクテルパーティのみで、アミューズ、カナッペのみの提供だから、当然私1人での仕事となり、広い厨房に私だけが残った。その翌日は夜のパーティは入っていなかったが午後3時に一件あったのと、次の日の仕込みがあったので結局6時過ぎにはなった。と言うか、この2週間程、それより早い時間に帰宅した事など無い状況だった。
 さらにその翌日、つまり昨日はカナダホールの階全階貸切でウタウエ観光局関係者の視察を兼ねたビュッフェ形式パーティだった。入り口のSalon Nouvelle France(ニューフランスの間)では生牡蠣とオマールのビスク、及び壁1つ隔ててチーズの盛り合わせとテリーヌ、パテの盛り合わせ。2番目のRue Ontario(オンタリオ通り)では水牛の串焼き、ペルー産紫ジャガイモのピューレ添えなど3種のアミューズ。続くColombie Britannique(ブリティッシュコロンビア)ではタルタル、燻製など3種類の鮭料理。最後にカナダホールの外ロビーの様なデービッド スチュワート ホールでデザート。私はまず最初の間で生牡蠣をお客様の前で剥き、ビスクを一口グラスに注いだ後即撤収し、アミューズに移動、それが終わったらチーズやテリーヌを片付けてデザートの準備と、お客様の動きに合わせて慌しく動いたがそれぞれの側から厨房のある1階とカナダホールの3階へと上がったり下がったりしていたし、巨大な博物館中を駆け巡っていたと言っても過言では無い。しかも基本的に料理はデザートを除いて全ての料理を私が作り盛り付けた。
 まあその甲斐あって、お客様全員から高い評価を頂き、珍しくマイケルとリシャール(Richardはマネージング デレクター)の2人共それぞれが2回ずつ私に握手を求めてくる程だから、大いに面目を躍如した。今まで訪問した飲食設備で最高とまで評価を頂戴した。ル・ムーランで同様の訪問を受け、同様の評価を受けた時は単なる言葉に留まらず、同観光局から賞を頂いたから単なる社交辞令と言う訳でもないだろう。
 正直疲れたが、続く今日は日曜ブランチ・・の筈だったが、予約ゼロでしかも恭子さんが来てくれる事になっているので急遽今日は休みを貰った。今週も予定表では休み無しだったから助かったと言うのが本音だ。
 Les Fougères, Café Hennry Burger,Le Moulin Wakefield・・・今まで所属して来た店は全て観光局や、評価団体から様々な賞を受けてきた。いや、何もその事を自慢している訳では無い。ただ、観光局は勿論、評価団体(ミシュランの様な)にせよ、結果として特定の店の不利益に繋がったとしても何も、批判する為に食べ歩いている訳では無く、寧ろ何処の店を選んで良いか分からない人達に紹介する為にやっているのだなあと、この手の人達に会うと感じると言う事が言いたいのだ。ただ、どんな指標が用意されようと、結論はお客様が出す。ガイドブックに評価されていて1度は来ても、2度目の訪問があるかどうか・・問題はこの一点にある。