エッセイ2009年12月
163.G8外相会議の前には。
(12月1日更新)
カナダの国鉄であるCNのエンジニアによるストライキが先日勃発したが、僅か2日で昨日月曜日に政府が介入、ストップをかけた。理由はカナダ経済に深刻な影響を与えると言う至極尤もなものだ。
国鉄だの国立博物館だのNationalの冠が付く企業がちょくちょくストライキ出来ると言うのも何だか釈然としないけど、それはともかく、労働相は博物館の件で、こうした緊急措置を発動する意思は無いと言う。確かに公共性を考えた場合、全国をカバーする鉄道は言うまでも無く、昨年のオタワ1市のバス(と言っても前述した様に首都オタワ市内の唯一の公共交通機関)のストライキとでさえ比較の対象にならないくらい博物館ストライキの影響は少ない。
しかし前にクリントン大統領(当時)が来た時や、中国の胡錦濤国家主席が来た時の騒ぎを書いた話を覚えておられる方もいると思うが、外国国賓にカナダの歴史を語る時必ず連れて行く程の重要な国の施設なのだから、いい加減手を打つべき時ではないだろうか。勿論これが来年3月にガティノー市で開催されるG8外相会合の直前とか言う事なら何とかするだろうが、考えてみると今日から12月。3月だってそう遠い未来では無い。数ヵ月後には岡田外相等も来る訳か・・・。
ストライキ継続にも関わらず、私はどんどん忙しくなってきている。先月の終りに書いた様に、今週は大きな予約が幾つも入っているが、それ以外にも小さな予約は今日も引っ切り無しに入ってきて、予定表のボードに貼りきれない程だ。本来なら今日も調理場はごった返している状況だろうが、今日バンケの仕込みをやっていたのは私とムサの2人だけ。しかも2人共本来休みだった日を返上して来ているのだから、人手不足だ。木、金、土の大口パーティはそれぞれにアミューズを始め用意するアイテムの数も多いので、明日はマイケルや、他のメンバーも揃って出勤と言う事になろう。木曜の大きい方のグループは久しぶりにビュッフェなので寧ろ楽だが、金、土の452名、650名はそれぞれカクテルパーティの後コースメニューと言うお決まりのパターンだ。実際ここに移籍するまでは7割がたビュッフェが多いのだろうと高をくくっていたが、とんでもない話で9割方コースメニュー、ビュッフェは逆に珍しい。
今月も1日から更新しようと目標を立てたので一応書いたが、そんな事で明日も早いから、この辺にしておこう・・・って完全に日記の様だが。
164.忙中閑を作り?
(12月6日更新)
忙しい週末だった。いや週末と言うより先週に続き今週中ずっと忙しかった。来週も特に週末は今週以上に大変そうだ。今週の大口も全部そうだったが、来週も殆どクリスマスパーティの様だ。今まで居たレストランやホテルでは余程クリスマスが近づかなければパーティが入る事はなかったが、12月の声を聞いた途端にこれだ。クリスマスパーティはこういう場所でやるものと言う事かもしれない。木曜の大きい方のパーティもビュッフェだったが、来週も2件ほどビュッフェ形式の予約も入っている。確かにクリスマスパーティの様な場合は寧ろビュッフェの方が相応しい気がする。その内の1件、火曜のビュッフェは小規模だが、久しぶりにカナダホール(前に何度か書いた昔のカナダの町を再現した場所)が会場。これ復この種のパーティにぴったりではないだろうか。
来週末大変なのは金曜、土曜共、文明博物館と戦争博物館に分散されるからだ。しかも両日共面白い様に同じ規模。つまり金曜は文明博物館が150名、戦争博物館が160名。同土曜日は文明博物館350名、戦争博物館が340名といった具合だ。今の人手で大きな宴会を2つに分散するのはきつい。正に今こそ宴会担当副料理長が2人必要となる様な事態に立ち至ったのだから皮肉な話だ。
最早ストライキの影響は殆ど無いと言って良いだろう。そもそも皆ピケすら見慣れてきてしまった感じだ。これはしかし恐ろしい事ではある。勿論ストライキをやっている当事者達にとってだ。人々の関心すら薄れて忘れられてしまっては・・。
今週の木、金、土の3日間もそうだったが、普段なら前日どころか前前日から準備を始めたい規模のパーティでも、その日のパーティと平行して翌日、翌々日の準備を進めていかなければならないのだから、連日早朝から夜遅くまでの仕事にならざるを得ない。ここで生き残っているスタッフは一般のカナダ人の感覚からはかけ離れたシフトでもこなすのだが、流石に3日目となると朝一で出勤して来たのは私1人だった(笑)。普段ここではどんなに忙しくても1日15時間程度の勤務まで。私がドイツにいた時は最低の勤務時間がこれくらいだった。つまり普通のシフトが1日15時間で、忙しいと最高20時間(朝6時から深夜2時まで!)なんていう人間離れしたシフトまであった。しかもそういう状態で週休1日がキャンセルされてゼロになる事もしばしばあった。それでも若かったので、週に1日休みが取れると寝ていれば良いものを、日帰りで例えばベルギーのブリュッセルにムール貝を食べに行く・・なんて事を毎週のようにやっていた。単に若いからというだけでなく、そういう毎日で1日寝て終りでは変化の無さから余計仕事がきつく感じられたからだ。
休みの過ごし方もだが、長いシフトの間にはマラソンのように緩急を付ける事が肝心なのもこの頃学んだ。その長いシフト内に休憩時間すら取れないのが普通だったが、時に賄いを急いで食べた後5分休んでも夜の営業に間に合うなと思うと椅子を幾つか横に並べて横になって5分間寝ると言う事をよくやった。比喩でも誇張でもない。5分後に起きるぞと自分の頭に念じて寝ると、アラーム1つ無く丁度5分後に目が覚めたものだ。今思うと奇跡の様な技?だ。さぞや浅い眠りかと思われるだろうが、これが熟睡。その証拠に夢を見るのだが、この夢が長い。あまり長いので起きてハッとして「寝過ごしたか」と思うとやはり丁度5分しか経っていない。夢の中の時間と現実の時間の流れが違う事もこの時知った。この話を当時仲間達にすると、皆我も我もと「おまえもか」「俺もだよ」「そうなんだよな、5分なのに長い夢見るんだよな」と言う話になったものだ。つまり誰でもこういう状況に追い込まれると、そういう事が出来るようになるのだろう。
5分の休憩も取れない時は仕事で緩急を付ける。今の仕事で言うと、朝一で取りあえずアミューズブーシュの中の1品をやったりする。これは人数が多ければ20ダース、30ダースと同じものを作って行くから楽では無いが単純作業だ。その後メインの肉を焼き、次はフルーツの盛り合わせをやったりとなるべく同じ系統の仕事を連続してやらない様にすると楽になる。今の立場では他の人にやって貰う仕事も「彼(彼女)の力量、スピードだと次にやってもらう仕事は・・」とかも常に考えておかなければならないから、中々計画通りにはいかないが。ちょっと金曜日に盛ったこのカリフォルニアロールをご覧頂こう。わさびの台に人参をくり抜いたお馬鹿な人形が乗っているのがお分かりになるだろうか。勿論こんなのはプレゼンテーションには何の関係も無い。女性と子供には意外に受けたりするが(苦笑)。「何でこんな事を・・遊び心?」実は「心」はいらない。遊びそのものだ。時々内容を台無しにしない範囲でこんな事をやって頭を切り替えないと。しかもついでに携帯で写真まで撮って(笑)。
無茶なシフトで働いていた若い頃先輩に言われたものだ。「毎日遊びに来てるんだって思わなけりゃ、こんな仕事やってられねえぞ」と。つまりはそう言う事なのだ。
165.吹雪の中でも。
(12月10日更新)
あまり前だったのですっかり忘れていたが、8月に受けた保健講習の試験の合格通知が今頃届いた。要するに日本の食品衛生責任者と同じ様な資格でAttesation en Hygiène et Salubrité
Alimentairesと言う。食品衛生及び公衆衛生の証明書と言うところか。8時間もフランス語で講習を受けた甲斐があった(笑)。確かにこの職場は保健所の厳しい基準を忠実に実行していると思う。それでも私が移籍してくる直前の保健所の視察で、カフェテリアで販売している食品の中心温度が僅かに高いと指摘されたとかで、当時皆の遅い夏休みをカバーする為にカフェテリアとかも手伝っていた私は、早速その改善を任されたりした。この種のテイクアウト商品に関してはレストランで料理を供するのとはまた別の基準である。それは勿論賞味期限、消費期限をこちらで数日後に設定しているのだから当然だ。
ビュッフェの残り物にしても、一度お客様の前に出たものは冷製などで、未だ鮮度には全く問題なくとも廃棄する。これはお客様が必ずしも、その料理の為に添えられたスプーンやフォークを使わず、隣の料理を取ったスプーンをその料理に使ったりする可能性があるから、僅かでも菌の培養を促す事は否めないと言う事だ。見た目全く手をつけていない様に見えても、一瞬でも目を離したとすれば、その可能性を考えなければならない。以前刺身、つまり生の魚などと言う最も危険な物を使い回していた日本の某老舗和食店などもあったが、そんなのはもっての他だ。幸いここはコンパスグループと言う親会社があるので、無駄を出した分を報告すると、かなり金銭的にカバーしてくれるシステムになっている。その代わり、前述の様に保健所に何か指摘されたりすると、コンパスグループの衛生管理技術者が乗り込んできて数日に渡って監督するといった事が起こる。しかし、私がお台場のホテル日航東京にいた時には、ホテル内にそういうポジションの人が常駐して、一日中ホテルの全てのレストランを循環していた。同じホテル内に複数のレストランが存在する日本のシティホテルだから可能な事だ。考えてみると、大手のホテルでも、同じホテル内にあんなに沢山のレストランがある国って日本以外にそうは無いのでは無いだろうか。
火曜は前回書いたように、カナダホールにてビュッフェをやった。実際目の前で見ていると、全員が一気に料理を取りに来る時、隣の人が終わるまで待っていられず、何の気なしに持ったスプーンそのままで隣の料理に手を出すのがよく分かる。ところでこのビュッフェは最終的に25名と小規模ではあったが、私1人でやった。先週木曜日も22名のコースメニューを私1人で、場所が我々のいる階から見ると6階に当たるエグゼクティブ ボードルームでやったのだが、この時は同時に150名のビュッフェが地階で行なわれていて、そこにはマイケル始め多くのスタッフがいたので、次のコースに移る時は無線で連絡して誰かに運んで来て貰えたから、完全に1人と言う訳でもなかった。今回はビュッフェで一度に全ての料理を上に運べば良いとは言え、カナダホールは地下で繋がってるものの別棟で、我々の階から見て5階。限りなく遠いのに、調理場には誰もおらず、博物館中何処を探してもコックコートを着ているのが私1人と言う状態だから万一途中で何か余分に必要な物でも出てきたらアウト。そこで、アレルギー体質の人の状況など詳しく聞いておいて、色々余計に用意していったが、これは成功で役に立った。1人なのを良い事に最後に片付けた時、以前書いた秘密の?裏エレベーターの写真を撮っておいた。一般の方は滅多に見る事はないと思うのでここにちょっと紹介しておこう。1枚目がカモフラージュされている状態の板の壁、2枚目がそれを開けた状態、3枚目がエレベーターの中、最後の4枚目は地階の方のエレベーターの出入り口。全く中で生活出来そうな巨大なエレベーターだ。
昨日の水曜日は凄い吹雪だった。行きは辛うじて視界を確保出来たが、帰りはただでも暗い(昨日、今日は仕込みのみだが、それでも帰りは夜になるので)のに仕舞いには完全にホワイトアウトで視界が途絶えた。車を運転するには最悪の天候だが、仕事となればしょうがない。今日は幾分マシな天気。明日は更に回復する見込みだが、実際そうあって欲しい。何しろ明日、あさっては前回書いた通り両日共文明博物館、戦争博物館の両方に大きなパーティが入っていて夜も遅くなるだろうし。
166.師も走る季節。ストライキもついに・・。
(12月15日更新)
週末の2日連続二手に分かれてのオペレーションは流石に疲れた。私は金曜は戦争博物館、土曜は文明博物館に残ったが、ジョルジュとマイケルの2人共、金曜は文明博物館、土曜は戦争博物館と真逆の別行動。殊に土曜は戦争博物館は当初の予約通り160名ながら、文明博物館は110名と大幅ダウン。にも関わらず総料理長、副総料理長が揃って文明博物館で戦争博物館でトック帽を被っているのは私のみだった。金曜は両博物館共コースメニューだったが、実際この日戦争博物館作業数も多く大変な思いをした。流石にこの人数でこの人手では旧式設備の調理場の方が楽とは言えない。帰ったら文明博物館の方はとっくに終了していてもぬけの殻だったが、翌日聞いた所お客様の数が減った割りに万全の体制だったのだから、寧ろ退屈なくらいだったと言う。だったらもう少しこっちに人を廻して欲しかった。
土曜はどちらも300〜400名くらいの人数だから、これはやはり可能な限りの人数が出勤。特にスーシェフはカフェテリアなどからも全員参加だから、ジョルジュとマイケルは向こうに行っても、カフェ・アンリーブルジェ以来の仲間であるマニーと、ベテランのイブ、私を入れて3人のスーシェフ(実は今やトック帽を被るのはこの5人で全部だ)が残った。とは言え、デーブもおらず、マイケルは別行動では、私が例の機械操作を担当せざるを得なかった。正直この役が一番疲れる。何しろ350名分のメインコースを暖めるには1回に80皿以上加熱出来るRationalとは言え、5回に分けなければならない訳だ。機械は2台あるが、メインコースはロースト ビーフ。これは流石に切り身で機械に入れてはミディアム レアに保てないので付け合せのみの加熱。同じ機械の1つでロースト ビーフ自体タイミング良く焼き上げなければならないから非常に神経を使う。何時もは私が現場で肉切り役を務めるところだが、こんな状態なので何と現場に電動ミート スライサーを持ち込んでイブが機械によるスライスを行なった。この日は戦争博物館の方はビュッフェ形式だったから、これまたこっちの方が大変だったのではなかろうか。実際今回は戦争博物館の方が引き上げてきても、私の仕事は終わってなかった。もっとも土曜12月12日は偶然にもジョルジュ、マイケル2人の共通の誕生日であり、2人にとってはやれやれな週末ではあったかもしれない。勿論私だって誕生日は普通に仕事だったが。
今週も月曜から少人数(35名)とは言え、夜のパーティが入っていて朝から晩までの仕事だから、日曜はブランチをレストランのメンバーに任せ、休ませて貰った。しかし本当に自分でスケジュールを作ってるみたいだ。
月曜のパーティはコースメニューでカフェ・ド・ミュゼを会場としたクリスマス ディナー。カフェ・ド・ミュゼの場合は移動があると言っても、レストラン付随の調理場があるので、Rationalによるメインコース(今回は七面鳥のアプリコット詰めがメインだから付け合せ共々暖められる)以外はソースなども含め、現場で仕上げられるから楽だ。ルイと2人でやったが、これを2人なら余裕をもって仕事が出来、ストレスはない。今週末はそれ程のこともなさそうだし、ちょっと一息つける感じだ。師走とは言え、ノンストップは厳しいので有り難い。
本日の話し合いをもってとうとう86日間のストライキにもピリオドが打たれる様だ。かなり要求が通ったらしい。それにしても3ヶ月近い。未だ十分夏だったのが、今は銀世界なのを見てもよく分かる。正直未だ実感が湧かないくらいだ。
167.Joyeux Noël
(12月22日更新)
たまにはブログの様に直接写真を導入してみる事にした。間もなくクリスマスなので、それを意識しての事である。これは先週土曜日のオタワ病院のクリスマス パーティ ビュッフェの際にチーズの付け合せ様フルーツを盛ったトレイだ。チーズに合うブドウやイチジク、洋梨が中心だが、飾り付けの為にメロンとパイナップルも使った。ところが、実際にはメロンとパイナップルが一番人気ですぐ売れてしまった。肝心のチーズの方が大量に残ったのにフルーツは完売。フルーツ盛り合わせは今回注文に無かったので作らなかったが、正直これは幹事さんの配慮が足りなかったのではないか(あるいはこちらの担当者もプッシュしなかったのか)と思わないでもない。やはり、医療関係の方々なので、始まってからは肉のカービングを担当していた私にも、「肉はよく火を通した物を、脂は全てよけて量は半分で」など細かくカロリー計算や安全性など健康を意識した注文も多かったのでデザートもケーキよりフルーツをと言う方が多かったのではないかと思う。勿論300人近いパーティの事。逆に思いっきりレアの肉、脂も分量も多めにと言う方も結構いてバランスが取れていた。否 安全性を意識しての注文と言うと、いかにもこっちは無視してやってる様に聞こえては困るが、その為に食品衛生の講習までやるのだ。各食肉に何度以上が安全かは無論計算している。例えば今鳥類を焼くなら、鳥インフルエンザは何度で死滅するのか計り、尚且つそれ以上焼き過ぎてはぱさぱさになってしまうから、丁度その温度を超える堺まで火入れする。この辺りがプロの技術の見せ所となる訳だ。ぱさぱさになる程火を通せば安全なのは誰でも分かるが、それではわざわざ料理人に頼む意味は無い。
因みに写真のJoyeux Noël(フランス語のメリークリスマス)の文字はチェダー チーズをくり抜いて作った物。多少大袈裟なくらいのデコレーションがこの種のパーティでは必要なので、メロンのクリスマス ツリーなども勿論その為だが、最後に粉砂糖で雪を降らせておこうと一瞬考えて、これは辞めた。フルーツの盛り合わせならともかく、チーズと一緒に食べる為のブドウ等を不自然に甘くしてしまっては興ざめと思ったからだ。ここまでやると言う線引きは時として意外に難しい。代わりにメロンの根元には雪の結晶まで彫刻してあるが、そこはこの写真では見えないだろう。
日本では何時の間にかクリスマスと言えば、特に若い恋人や配偶者が共に過ごす日・・・それもイブの夜が主役で、クリスマス当日には全て終りみたいになっている。こちらで言えば、バレンタインでーがまさにそんな感じの日で、ホテルもレストランも予約で一杯になるが、クリスマスは寧ろ日本で言えば正月。故郷に帰って家族と祝うのが普通だ。だからクリスマスパーティは先週でほぼ終り。後はボクシングデー(カナダ、イギリスなど一部の国の習慣で、クリスマスの翌日26日に貧しい人にプレゼントの箱‐Box-を渡す日であった所からボクシングデーの名になった)が終わった後から、新年明けた頃まで、クリスマス兼新年会(もしくは忘年会)を開いたりする程度。24日から26日までは予約も入っていない。日本ではバレンタインデーは女性から男性にチョコレートやプレゼントを渡す日になってしまったし、少しずつ間違って解釈している様な気がする。おまけにホワイトデーとか言う日を勝手に作る始末だ。勿論習慣の違いはそれはそれで良いのだが、少なくとも欧米人と話す際、本来クリスマスは宗教的行事であると言う事は念頭においておいた方が無難だろう。私は今は不信心だが、カトリック系の幼稚園に行き、その時洗礼も受けているので(クリスチャンネームはペテロ、つまり英語のピーター、フランス語のピエールにあたる)子供の頃はクリスマスと言えば、お祈りをして・・とこちらと同じ様な祝い方をしていたから、幸い違和感が無い。
日本人として違和感があるとすれば、1月1日のニューイヤーズデーを最後にホリデー期間が終了し、2日から平日に戻る点だろう。日本では寧ろお祝いは正月、年が明けてから始まるのだから。もっともキリスト教文化圏に人生の半分以上住んでいるから、それも大分慣れてきたとは言える。正月に丁度日本に帰れる様な時には、当然日本の正月にどっぷりとつかるのだが・・・。
取りあえず今はJoyeux Noël、或はMerry Christmasと言おう。
168.七面鳥とトルティア。
(12月26日更新)
今日は氷雨。昨日、おととい、否その前も天気は悪くなかったが、クリスマスはイブ共々休めて、さあ出勤となったらこれだ。尤も天気予報では週の頭くらいから本日のこの天気を予測していたからなるべくしてなった天気なのだろう。
ジョルジュは来たが、何と調理場は他に私とルイしかいなかった。元々今日はカフェテリアのメンバーはこぞって(ルイは未だ見習いだからカフェテリアもバンケもやるが)ボクシングデーで休み。レストランも休業だからカフェテリアを引き受けに行ったのだが、それでもムサとかもう2人くらいは来る筈だったのだが。そうは言ってもこの天気だ。どうせ暇だと高をくくっていたら、どどっとお客様が・・。こうなっては止むを得ない。普段たまにカフェテリアを手伝う時は裏方に徹する私だが、裏方はこれまた自分も現場に出ざるを得なかったジョルジュに任せ、表に出てピザだのハンバーガーだの作っていた。一応本日のスペシャル(牛のブレゼと、野菜、ローストポテト添え)くらいはあるが、要は博物館のカフェテリア、食堂だからメニューはハンバーガーや、ホットドッグなどが中心。たまには気分転換になって面白いが。
クリスマスイブの日にはちょっと外出(チェルシーの町からは出ていないが)した時に間が悪くチャーリーとジェニファーが来てくれた様だ。クリスマスプレゼントにフジェールの3種類のトルティア(水牛、鴨、鶏)と付け合せのチャツネを置いて行ってくれた。お陰で私のクリスマスディナーはこれで十分だった。3種類と言っても1人前サイズだが、流石に3個は多いと思って鴨は冷凍し、水牛と鶏の2種類だけオーブンで焼き上げた。
このサイトを長く訪れていてくれる方や、カナダ、特にケベック州を知る方には説明の必要はないだろうが、ここで言うトルティアとはTourtièreと綴るケベック名物のミートパイの事である。フジェールでは1年中出しているし、付属の店でも販売しているが、特にクリスマスなどに食べられるものだ。今はパイは出来合いのパイ型(具を入れて焼くだけになっている)を使っているらしいからまだしも楽だろうが、昔はパイ生地から作っていたので、当時パティシェだった私は残業して真夜中までパイ生地を伸ばし、型を作っていたのを思い出す。と言っても生地を伸ばす電動の機械はあったので、寧ろ捏ねる方が追いつかないくらいで、伸ばすのは一瞬だった。否もっと昔は勿論この機械も無く、麺棒で伸ばしていたが、その頃はレストランだけで付属の店など無かったから、それで十分間に合ったのだ。生地を伸ばす電動機械は、こんな単純なパイを作るときは、ちょっと楽になると言う程度だが、Feuilleté(フィュテ・・・折込パイ生地。日本で普通にパイと言う時イメージする層を成すパイ)を作る時は、これが無ければ市販のパイシートを買った方が早いというくらい差が出る。お菓子作りをやる方ならご存知の様に、折込みパイ生地は何度も途中で生地を休ませ、何時間もかかる作業だ。これはグルテンの発生を抑える為に生地の温度を下げる必要があるからだが、この機械は一瞬にして、それも人力では容易に伸ばせない冷たく硬い塊を伸ばしてくれるので、温度が冷たいままさっと作れる。作業としては単純な機械だが、効果は絶大と言う訳だ。
クリスマスと言えば、トルティアもだが、やはり普通主役は七面鳥だ。しかしこの数週間のクリスマスパーティの残り物の七面鳥を散々食べたので、これはもう沢山。七面鳥は家庭でも丸ごとオーブンで焼くのが慣わしだから、大家族なら良いが、小家族だと、これまたうんざりする程何日も冷蔵庫に残っている事が多い。翌日はサンドウィッチ、その次の日はパスタに使ってみたり・・・。七面鳥を表す英語のTurkeyには「映画の駄作」の意味があるが、これはこの「何時までも同じ物が出て来てうんざり」という所から来ていると言う。因みにフランス語で七面鳥はDindeだが、これはD’Inde(インドで)から来ており、スペイン人が西インド諸島で発見した事による。
トルティアの付け合せにチャーリー達がくれたチャツネには"Chutney pour le lendemain de Noël"(クリスマスの翌日様チャツネ)とある。説明には「残った七面鳥などと一緒に食べるのに最適」とか。確かに合うかも。中々うまい宣伝文句でもある(笑)。