エッセイ2009年7月
131.新たなる出発に向けて。
(7月7日更新)
そろそろ新しい仕事の詳細について少し書いておこうと思う。本来そんな必要は無く、こちらの慣例に従って2週間前に届けを出せば済む事だったし、仕事柄若い頃から北米を知る父なども「そちらの人達はドライなんだから、それに合わせれば良い」と言うが、私としては日本人流を貫いて1ヶ月の猶予を今の職場に与えたので、正式には未だ仕事を開始するに至ってない。辞職願(カナダでも一応或る程度のポジションにいれば、そういう習慣はある)を出した時のパディの反応は「ジョルジュは私が辞めると聞いて、そのポジションを打診していたが、実際体力に自信があれば私自身やりたかった仕事だよ。私としてはNakiにここの総料理長を引き継いで欲しかったところだけどね。しかし私も近々辞めると言うこのタイミングでなければ、ちょっとパニックになっていたな。何しろNakiがいれば10人分の仕事が片付いていたのだから」と一々大袈裟なものだった。ロメインはロメインで「何故ジョルジュは僕には声をかけてくれないんですかね」と羨ましげな事を言うのがよく分からない。
ただやる気がある人間なら、挑戦し甲斐がある仕事だと言う事は言えるのだろう。この不景気の今首都圏・・・特にケベック州側(戦争博物館の方はオンタリオ州側だが)で、これ程勢いがあり、忙しいのは、こことカジノのヒルトンホテルぐらいのものだろうから。
そもそも博物館の何処にそんな大規模な宴会ホールがあるのかという疑問もあろうが、何の事は無い、博物館そのものが夜閉館した後宴会場に姿を変えるのだ。この辺りの詳細は博物館のページに飛んでいただけば伺えると思うが、このページは時々繋がりにくい時があるのでざっと書いておくと、まず文明博物館の方はトーテムポールが置いてあって昼間はちょっと無駄なほどの広さと天井の高さの大広間が着席で600名、立食で1000名のキャパシティ、同リバービューサロンが着席100名、立食500名、結婚式などに人気のカナダの昔の町を再現した3階のカナダホールが着席50名、立食200名、南北のサロンが着席150名、立食300名、デビット・スチュワートサロンが立食のみで300名、レストランであるカフェ・ド・ミュゼーとこれに付随するサロンで着席100名、立食140名。ボヤジュールサロンが着席160名、立食250名、一方の戦争博物館のブレトンギャラリーは着席600名、立食1200名、同ロビーが着席600〜800名、立食1500名、同バーニー・デンソン劇場が宴会スタイルの場合着席200名、立食400名(本来の劇場としての観客席は235名)、同レストランのザ・メスが着席150名、立食300名という構成だ。つまり全ての施設を立食で利用したとすると、実に文明博物館の総計2690名、同戦争博物館の総計3400名、合わせて6090名のキャパシティがある訳だ。主に着席での稼動としても3000名前後は十分に確保出来、実際一晩で総計1000〜2000名程度はざらに入っている様である。
こんな状態だから、総料理長のジョルジュに副総料理長がいて、更に宴会料理長兼副料理長も定員2名と言う大所帯でも容易に捌ききれず、しかもその定員2名の所、1名がずっと空席だったからジョルジュも副総料理長も、もう一人の宴会料理長(別に第一、第二とか、各博物館ごとに分けるとかでは無く、とにかくその日その日の状態で手分けして担当しなければならない)も辛うじて週休1日休めるかどうかという感じで、勤務時間も朝から晩までなど、カナダ人としては例外的なスケジュールで働いているいる現状なのだ。何故こんなになっても一方の宴会担当スーシェフのポジションが空席のままだったかと言えば、以前にも書いたかもしれないが、ジョルジュは自分の代わりに料理を作る副料理長クラスには、どんなに人手不足でも、これはと思った人間しか雇わないからだろう。去年4名のスーシェフ(宴会担当2名、各博物館のレストラン料理長担当がそれぞれ1名)が一斉に辞めた(エッセイ87.ラストマン・スタンディング参照)時でも、自分が休まなくとも決していい加減な人間にポジションを振る事は無かった。それだけに実際手伝いに行って既に感じているが、ライバルのレベルは(経験、技術共)中々高そうだ。はっきり言って、ここ暫くは或る意味ぬるま湯に浸かっていた様なものかもしれない。
やはり、今忙しいのは中途半端な日帰り可能な観光地などではなく、首都圏のど真ん中くらいとも言える。
新たな出発は間もなくだ。
132. さらばル・ムーラン ウエイクフィールド。
(7月20日更新)
ついにル・ムーラン ウエイクフィールドでの仕事は終わった。余す所4日程のところで2連休を取った後出勤すると、部下達が「パディも、ロメインも今頃になって、Nakiがいなくなる事を再認識したみたいにぴりぴりしていてやり辛いですよ」と言う。尤も2人とも休めるのは今のうちだと思うのか、私がいる時は休んでいたり、出勤しても私と時間が重ならないで早退したり、逆にゆっくり出勤して来たりしていたので、この所私自身は殆ど顔を合わせていなかった。確かにこの最終日には2人共揃ってやってきて、パディなどは「リラックス出来るのも今日で最後だなあ・・」とか言って溜息をついていた。
1ヶ月も時間的余裕を持たせ、副料理長募集に応じて、びっくりするくらい応募はあったが、結局未だ私の後釜は決まっていないので当然だ。謂わば2階級特進?するロメインの後釜のジュニア スーシェフはサミュエルがやる事になるようだが。
まあ、パディも私もいなくなって、全く新しいチームを組んだ方が、ロメインとしても新鮮かもしれない。
私と同じ日にジェレマイアも辞めて、ウエイクフィールドに新しく出来るレストランに行く事になったので、尚更大変だろうとは思うが。
最後は皆で記念写真を撮り、ホテルの他のセクションの人達からも見送られて、賑々しく去らせてもらった。職場を変わるときは何時も後の事を考えて、辞めるまでの時間的余裕を持たせたり、後進を指導する様務めてきたので、こんな風に送ってもらえるのだと自負している。実際10年以上いたフジェールは当然だが、3年ばかりいただけのこのホテルでも、これ程派手に見送られたスタッフは他にジョルジュくらいしかいない。そう考えると名誉な事ではある。
休暇から帰ったら無くなっていたと言うあの店は例外だが・・・
今度の仕事もそうなる様頑張りたい・
133.サーヴィス業の心臓部。
(7月31日更新)
月の最低更新数3回が目標なので、最終日の今日には更新しておく事にするが、そう言えばこの所、その最低更新数ばかりの様な気もする。しかも1回1回が大分短い。ブログなどでは1日に何10回も更新する人がいるらしいが、余程暇・・否余程マメな人なのだろう。それよりよくそれだけ発信する事があるものだ。
ま、今日は私の誕生日でもあるし。とは言え、実はその事を失念していた。勿論幾らなんでも自分の誕生日を忘れた訳では無いが、今日が31日である事の方を忘れていたのだ。始めたばかりの新しい職場である博物館のカフェテリアで売る食品の賞味期限を計算していて、「あ、今日は31日・・つまり自分の誕生日か」と気付いた訳だ。
ところで何故カフェテリアで?と思われるかもしれない。私の本来の仕事はバンケット(宴会)シェフなのだから。実は私が参画するのとタイミングを合わせ、調理場の従業員が順番に(時には3〜4人も重複して)休暇を取っているので、取り合えず私がレストランやらカフェテリアやらで、人のいないポジションを順にカバーする事になったのだ。そんな訳で朝など今まで以上に早く、毎朝6時には職場に入っている。そもそも9月に学校が始まるまで、バンケットの猛烈な忙しさは小休止状態らしく、とは言え、このセクションの中心スタッフは誰もこの時期休暇を取っていないようなので、そっちの方はどうにか回っていると言う面もある。何れにせよ、この状態は全員が休暇から戻る3週間程先まで続くようで、9月から本格的にバンケットの忙しさが戻る少し前くらいにようやく本来の仕事に戻れそうだ。と言うか9月のバンケットの忙しさは半端じゃないようで、いよいよ私がそっちで中心的に働かざるを得ない状況になる筈だ。その為に雇われたのだから。しかし、新しい職場になれる為には、こういうのも良い。そもそも調理場だけでも人数が多いので、早々にバンケットに専念しては知り合う事も無い様なメンバーも顔を繋げるし、全体を把握していく事は後々楽になる筈だ。一種の研修みたいなものだと思っている。
数日前にようやく書類を提出したので、未だ従業員パスも貰っていないから、一々出入り口を何箇所も通るのにも苦労する。この博物館の前にあったカフェ・アンリー・ブルジェ時代にアメリカ大統領や、中国国家主席が来て迷惑?した話は以前書いたが、国賓を始め、VIPの来訪も多い為、博物館ばかりでなく、カナダ政府やケベック政府にもセキュリティ関係の書類を提出したりもした。パスが出来れば博物館内の何処にでも入れる訳だが、博物館の裏と表の対比も面白い。学生時代定期のアルバイトは飲食業ばかりだったが、時折時間が空くと1日限りのアルバイトをする事があった。こういう時は大概工務店が多く、デパートの改装もあったが、博物館の展示場設営なんかもやった事がある。規模も時代も国も違うが、裏の心臓部は意外と変わらない。勿論前述のデパートもそうだったが、ホテルなども日本でもイギリスでもカナダでも皆似たような舞台裏だった。20年・・・いや、30年近い昔のデパートでさえ日本では既に感応式のトイレで排水、手洗いなど自動になっていて綺麗だった。ところが一つドアを開けて従業員スペースに入り込むと昭和どころか、大正かと見紛う様な古くて汚いトイレで唖然としたものだ。
そんなのに比べれば、このカナダ最大の博物館は裏も十分綺麗だ。しかし喧騒と乱雑な舞台裏と華やかな表の顔のギャップはサーヴィス業の常ではある。