エッセイ2008年12月

108.シェフの仕事は・・・
(12月7日更新)

また今月も出だしからして遅くなってしまったが、実は特に忙しかった訳では無く、ちょっと更新をサボっていただけである。3日の日には西田大使主催の天皇陛下誕生日パーティに招待され、オタワのシャトーローリエに行った話を書こうかと思ったが、いつもパーティではサーヴする側にいるので、招待された話となると大して書くことが思い浮かばないから情けない話だ。余程カードとプレゼントだけ郵送して失礼しようかと思っていた。そもそもこの日は本来夜働くシフトであるから、ロメインに別の日と交替して貰わなければならなかったし。それでもあえて出席したのは、重田まり子さんがついでがあるので、オタワに来て一緒に行ってくれる事になったからだ。彼女は一月ほど前にリトルインを辞めて、ナイアガラのマリオットホテルに移ったばかりだ。前の晩に来てル・ムーラン・ウエイクフィールドに宿泊してくれたので、私の料理も食べてもらう事ができた。
翌日彼女との会話で自家製ジャムの話になったので、一緒にフジェールの店に立ち寄る事にしたのだが、チャーリーかジェニファーかどちらかが来ていれば挨拶して行こうとレストランの方に顔を出すと、何とチャーリー、ジェニファーとジェニファーのお母さんが3人で食事に来ていた偶然に驚いた。実は私のフジェール最後のシフトの時この3人で私が帰る頃を見計らって来てくれたのだが、一足違いで私が帰ってしまい、それ以来そのままになっていたので、このタイミングで3人一度に挨拶出来て幸いだった。

またパーティ会場では先日のレセプションでお世話になった山里一等書記官にお会いしたのだが、その際ご夫人を紹介され、山里夫人が以前フジェール宛のメールで日本人シェフの事を問い合わせて来られ、私が自分で返信した事があると聞いて、これまた驚いた。そう言えば確かにそういう事があったが、大分前の話なのでお名前までは失念していた。しかし今この稿を書くに当たって調べてみると僅か2年足らず前の話。つまりカフェ・アンリーブルジェにいた頃の話では無く、既にル・ムーランのスーシェフになってからの話だ。メールと言うのは結構毎日何通かは来るものなので、昔の事に感じられただけなのだろう。確かにその時のお名前を今見てみると「Ms.Yamazato」になっている。山里書記官から初めてメールを頂いた時は「大使の紹介で・・・」とあって、何も私の事をご存じなかった様子だったのに、2度目に連絡いただいた時は私が日曜はフジェールに行っている事など詳しくご存知だったので、さては怪しい人を公邸にゲスト・シェフに招いては危険だから調べたのかと訝ったものだが、何の事は無い、奥様から話を聞いたという事だったのだ。それならそうとおっしゃってくだされば良いのに。とりあえず、大使ご夫妻と関根公邸料理長にも何とか挨拶はできたし、山里書記官からは、次号のケベック日系料理人協会会報に大使ご夫妻のコメントを掲載していただける様手配するとのお言葉をもらったのでまずは良かった。お客としてオタワで最も伝統ある(日本ならさしづめ帝国ホテルと言った所)フェアモント・シャトー・ローリエに行くこと自体滅多にある機会でもないし。しかし招待者は各国の偉い人達と言う感じで日本人が少なかったのは若干意外だった。

12月になって1週間。何か急に少し暇になった感じで、来週は団体のキャンセルも出ている。来週一杯で団体が全部で3つのみ。うち2つは10人程度の小グループに過ぎない。それぞれ2日づつ程度で2つのグループが重なるのは火曜日のみ。年も押し詰まってから何だが、今年で一番暇な週かもしれない。一応その週末から翌週にかけては大きな団体が入っている様だが。しかし考えてみれば、この雪深い田舎ホテルへ、クリスマス前にこれだけ入っていれば十分かもしれない。実際周りのレストランは皆開店休業状態なのだから。
それはそれとして、来週、再来週の2週に渡り、固定給の管理職を除いて、週休4日ずつ交替で取って貰い、我々が(要はロメインと私が)カバーすると言う事になった。11月に逆の事(時給の人達に稼がせてあげて我々が休む)を予定していたが、当然のごとく幻に終わった話はこの前書いたが、この逆の方は簡単に実行に移される。私は今週は特にゆっくり休めたし、フジェールを辞めて以来基本的に楽をしていて、これ以上休みは必要としていないからそっちは全然構わないのだが、問題は「時給の人達に稼がせてあげる」と言う方の方針がつぶれてしまった事にある。クリスマスを前にして何かと物入りのこの時季、特に家族持ちの人達には応えるだろうと思う。
この所、仕入れ料金の超過や、原価率を下げる為の話ばかり毎日パディ等としているが、パディとしては人件費を抑える事で少しでも修正を図ろうと言うものだろう。毎日の様にオーナーから直接責められるパディの苦労は分かる。これだけ原価率を下げる様に発破を掛ける一方で、最も原価率の高い、例えば昼間のステーキなどを自らが持つレストランのイメージからメニューに載せたがるオーナーの言い分にもちゃんと耳を傾けるのがパディなのだから。前任のジョルジュや、あるいは私なら、こんな方法で人件費を下げるよりは前に、「そんな原価率の高いものを値段も上げずに載せ続けたら店がつぶれます」くらいの事は言って、自分の考える効率良く、尚且つお客様に満足してもらえるメニューを半ば強引に提唱するだろう。ステーキなんてただ焼くだけで工夫が無いからこそ(しかもリブアイをわざわざフィレの様なメダイヨン{円形}に掃除して高級感を出している)無駄が多い。ソースは(これは月並みながら私が決めたのだが)ペッパーソースながら、デミグラスを使ってる分高くつく。そんな事は勿論ご存じないお客様は気軽にエキストラの量を頼まれる。昼間の料金設定ではかなり無理があるが、現行の値段もオーナーの意向なのだから話にならない。掃除の時に出る肉を使って「八幡巻き」として前菜に使っているし、その他の部分もブフ・ブルギニョン、筋は出汁にと無論全てを無駄なく使いぬいているが、それでも原価率は他の物に比べて際立っている。この辺の会話はパディの入院中、何度も私が直接オーナーとの間で行い、説得したつもりではあったが、一旦言い出したら、結局自分の意のままになるまで主張し続けるのがオーナーの常らしい。こういう時うまく折り合いをつけられないからジョルジュは去ったのだし、後継に私では無く、こういう事に長けたパディを指名したのだ。何だかんだ言ってもパディは歴代シェフの中で最もオーナーの理想に近い人物なのでは無いだろうか。後は彼の交渉に頼るしか無さそうだ。それにしても人件費削減なんて所に皺寄せが行くのは如何なものか。
一般の方のシェフの仕事のイメージはやはり毎日料理の事を考えている・・といったものであろう。がっかりさせて申し訳ないが、実はこういう事で悩んでいる時間の方が長かったりするものなのだ。

109.年末歳時記。
(12月18日更新)
前回書いた人件費削減計画はやはりあまりにも皆からブーイングが出ている為、パディは暇な日の人数を減らす代わり、忙しい日に出勤日を振り変えるなどの方法で腐心している様だが、そんな中コロンビア人のフアンは「こんなに時間が減ってはやっていられない」と言い出し、月曜日に突然休んでオタワのレストランに面接を受けに行き、火曜には「昨日の面接で決まったから、このまま辞めます」とだけ言いに来て、そのまま帰って行った。以前書いた様に彼はガソリン代節約の為、ウエイクフィールドに引っ越して車も売却していたので、急遽別の車も手に入れ、オタワに再転居するので色々やる事もあるので、今日からすぐ動かなければならないからだと言うが、相当身勝手な言い分ではある。
彼の勤務時間削減への文句は、そのまま受け取れるものでもない。夏の多忙期には週休1日が続き、時には休み無しと言う事態に陥った事があったが、その際には「こんなに働かされてはやっていられない。週休2日は確保して欲しい」と逆の事を言っていたのだ。
話は遡るが、未だ私がカフェ・アンリー・ブルジェに籍を置き、ル・ムーランにはトゥールナン(助っ人)として来ていたクリスマスの頃・・・つまり今から丁度3年前、そう・・クリスマスの翌日のボクシングデーの日の事だった。当時のスーシェフだったイブがその頃はル・ムーランが年中無休でクリスマスと言えど、全く休んでおらず、家族とのクリスマス食事会を遅ればせながらその日にやりたいと言ってきた。「ここ2週間休んでいないしNakiが来てくれる時くらいしか頼めませんからね」と言うので、私が留守番を引き受ける事にした。その晩はジェレマイアとフアンと、私の3人でという事になった。ところが突然フアンが「もう嫌だ!こんなに仕事が沢山あって、こんなに給料が少なくっちゃやってられない!」とか叫び出し、その場で当時のジョルジュ・ローリエ シェフに電話し、そのまま辞めて帰ってしまった。因みにジョルジュはその晩風邪をこじらせ頭痛がするので自宅で寝ていたのだった。結局責任感の強かったイブは家族とのクリスマスディナーをキャンセルしてその晩も働いた。
そのフアンがこの春頃だったかまた突然ふらっと戻ってきて再び働きたいと言ってきた。当然私は反対したが、事情を知らないパディは「いや、彼が言うにはジョルジュとうまくいかなかっただけだと言うんだよ」と言うので、前述の彼の捨て台詞をそのままパディに伝えると、「え、そうだったのか?それじゃ話は違うな」と言う反応だったので、それで話は終りかと思ったが、翌日「オーナーも口添えしてるし、もう1回チャンスを与えてやる訳にはいかないかな?勿論Nakiがあくまで反対すれば雇う訳にはいかないが、Nakiと当時迷惑をかけたジェレマイアには侘びを入れさせるから」と言う。別に個人的に恨みがある訳でも無し、イブがいたら何て言うかなとは思ったが一応承諾した。フアンの兄弟のルイスは大分昔フジェールで洗い場にいた事もあって、満更私と縁が無い訳でもなかったし。それでもアメリカ人がよく使う表現を用いて「これだけは言っておきますが、彼は一緒に戦争に行けるタイプではないですよ」と釘を刺しておいた。いざとなれば仲間をさっさと見捨てて自分だけ背中を見せる可能性があると言う意味だ。そもそも彼の履歴書を見れば一目瞭然なのだが、調理師学校を出てから一つの店に一年といないで所謂ジョブ・ホッピングを繰り返している。彼が卒業した調理師学校はバンクーバーにあるそうだが、何でも生涯就職の世話をし続けてくれるシステムになっているとか日頃から嘯いていた。
彼ももう40になろうとしているが、こんな事を繰り返しているから何処へ行っても一からやり直しみたいになって、全く技術が向上せず、学校を出て3年も腰を据えて働く若者に簡単に追い越され、立場が逆転していく。結構後輩にはもっともらしい事を言っているが、結局説得力が無く、やがて舐められる様になってしまう。しかし、そういう事への焦りは特に無いようだ。こういった話は以前も書いたが、どうも日本人の私には理解し辛い。
月曜から水曜までパディが休みだったので、電話で報告したが「いやあ、Nakiやジョルジュが言ってた事が正しかったとよく分かったよ」との事。遅いのだ。
フアンは普段は非常に従順だし、人当たりも良いし、ナイスガイという感じなのに、突然プッツン切れることがある。戻って来てからも2度程そんな事があった。つまり忙しくなるとパニックになり易い性質なのだ。正直言ってこれは将来シェフを目指すとしたら致命的だ。彼の為に次の店でこそ健闘を祈りたい・・・が残念ながら悲観的だ。何故なら前日初めて1回だけ面接受けて、「明日には前の店を即辞めます」なんて言うのを喜んで受け入れる店は、はっきり言ってまともではないからだ。
突然プッツン切れて飛び出していったと言えば、あのマーク・アンドレも数ヶ月前にちゃっかり戻ってきた。彼のお母さんがホテルのマネージャーの1人でもあるので、オーナーもパディも断りづらいという事もあるだろう。しかし、彼については私は別に反対もしなかった。何が違うのか?彼はほんの数ヶ月(その間彼は最初の師匠であるジョルジュを頼って鍛えられていた)で帰って来たし、ロメインに怒られて出てった経緯もまあ分からないでもなかった。だが、それより何よりマーク・アンドレは未だティーンエージャーだという事だ。カナダではとにかく日本と違って年齢は一切問題にならないのかもしれない。それでもこういう事に関してはやはり「若気の至り」と言うのは理解できる。勿論彼にとってル・ムーランは初めての職場であり他の職場も知らない状態だった。叱れば何だかんだ言っても成長していくし、技術も覚えていく。既に彼はフアンと同レベルの仕事は十分こなす。これならチャンスを与えようという気にもなるではないか。
技術を覚えなければポジションだってずっとそのまま。人件費削減とかいう事になれば当然融通の利かない(限られた事しか出来ない)人から削られていくのは必至なのだから、ますます自分を追い込み、いくら卒業した学校が生涯就職を斡旋してくれるとしても遅かれ早かれ限界は来るのではないだろうか?フアンも人間的には中々の好人物で、やる気があれば何とかしてあげたいと私で教えられる事は教えてきたし、それなりに素直に聞いてもいると思っていたが、あまり役には立たなかったようで残念だ。
何より日本人としての私が理解に苦しむのは、彼の様なタイプの料理人がカナダには山ほどいて、この失業率の高い時代に職を得続けられると言うこの国の寛大なシステムだ。
クリスマスパーティ等でまた忙しくなってきた年末に1人辞めたことで、皮肉にも他のスタッフは十分以上の時給を確保出来そうだが・・・。

110.大晦日=ニューイヤーズイブ。
(12月31日更新)
結局全然更新しない内に今年も今日で終りだ。いつの間にか人生の半分は外国で暮らして来たので、大晦日と呼ぶべきかニューイヤーズイブと呼ぶべきか一瞬迷う所だ。今日は今日のうちに帰宅したので、2009年は部屋で迎えられそうだが、この仕事の宿命で、仕事中に年が明けた事は数え切れないほどある。今はホテルのレストランだからカウントダウンになる前に営業は終了してお客様は部屋を取っていれば部屋で。帰路につく方はラウンジ辺りでカウントダウンという事も多く、そんな時にはこっちは帰りの車の運転中に何気なくカウントダウンと言うパターンだったりした。カーラジオでカウントダウンを聞き終わると天気が良ければ何処かに花火が上がったりもするが、大体この時季は悪天候が多いし、そうでなくとも花火の音は聞こえても見えることは稀だ。増して運転中なら尚更だが。
仕事中に年が変わった様な時は、だからかえって賑やかだった。こんな場合は我々スタッフにもシャンパンが回ってくるし、お客様も従業員もなく、云わば無礼講である。
英語でHappy New Year、フランス語でBonne année!、ドイツ語ならein gutes neues Jahr!(ドイツ語の場合Einen guten Rutsch ins neue Jahr<良い年に滑り込んでください>と言う年明け前の挨拶もあるが)、何れにしても「良いお年を」であると同時に「明けましておめでとう」の意味ででもある。つまり年が明けるか明けないかではなく、新しい年になると言う事実があるだけ。この辺が日本人の感覚と欧米人の感覚の微妙に違う所ではないだろうか。年が変わったら新しい幸運な変化が訪れる事を期待する気持ちに変わりは無くとも、年が明けたら「正月」が始まるわけでは無いのだ。キリスト教圏であれば、クリスマスイブから始まったお祭り騒ぎは、寧ろ元日、つまりニューイヤーズデイで終りを告げ、1月2日からは平日に戻るのである。
周りを日本人に囲まれた所で生活していれば、何処の国にいても仲間や家族と共に「正月」を祝う事が可能・・・と言うか、そうなるだろう。ドイツで和食の店にいた時はクリスマスが終わればおせち料理の仕込みに追われたものだ。
しかし、カナダはケベック州のホテルでフランス料理を作っているのだから、凡そそんな事は無関係だ。ジャマイカ人もコロンビア人もいつの間にか去って、ホテルの全従業員(飲食部門だけでなく)の中で非白人、非ヨーロッパ系は私1人なのだから。
以前にカナダ人の女性と交際していた時に昔取った杵柄で、おせち料理を作って一緒に正月を祝ったが、彼女は「ねえ、この後にどーんとメインが出てくるとかじゃないでしょうね?」と聞くので、「まさか」と笑うと、本気で安心して「良かった。じゃあもっと食べるわ」とか言って再び食べ始めたものだった。欧米人の感覚で見ればおせち料理は和風のオードブルの大盛り合わせに見えると言う見本だ。勿論その時はおせち料理本来の姿が、奥様方が正月3が日くらいはゆっくり休む為に年末に作り、3が日はこれを食べ続けるとか云った説明もしたが、そもそも背負ってる文化が違えば何処まで理解してもらえたかは定かではない。それどころか今日日日本人でもおせち料理など食べない人も多く、まして謂れなど知らない人も多かろう。食べるとしても出来合いのものを買ってくる家庭が少なくないのではなかろうか。
それでも日本にいるか、もしくは日本人社会の中にいれば、12月31日はニューイヤーズイブではなく大晦日であり、1月1日はニューイヤーズデイではなく元旦と言う名で迎えられる筈だ。
そんな大晦日に今年最後の更新をするのだから、今回は仕事の事などは書かなかったが、因みに明日1月1日は早朝に出勤して、日曜と同じブランチメニューを提供する。予約は100人を超しているので(ブランチは最多忙で300人という事もあるからべらぼうに忙しいという訳ではないが)、かなり忙しい。しかし、これは必ずしも日本人社会と無縁な暮らしをしている為では無い。それこそ日本にいても何処にいてもこの業界の常で「よくある事」に過ぎない。
何はともあれ、ニューイヤーズデイにせよ元日にせよ世間では祭日なのだから。
2009年まで後5分である。