エッセイ2008年10月



100.今まで、そしてこれから(100回記念・・としておこう)
(10月6日〜7日更新)
今日(6日)は休み。最近は週一回の休みが中々確実に取れない。これは週に一回はフジェールに手伝いに行っている為だから止むを得ないが、フジェール抜きでも週6日出勤が当たり前になりそうな状況になって来ると、やはりいい加減二束の草鞋は限界なのだろうか。
たっぷりと睡眠を取った後、久しぶりにガテノー公園のシャンプラン展望台に登ってみた。住居も二つの仕事場もガテノー公園の一部と言っても良い様な場所なのだから、その気になれば毎日でも立ち寄れるし、実際昔は毎日の様にガテノー公園の幾つかの名所に立ち寄ったりしていたものだ。言ってみれば庭の様な存在なのに、この所忙しくてすっかり御無沙汰していた。
シャンプラン展望台は紅葉を見るには最適なスポットの一つだが、紅葉は思ったほど進んでいなかった。確かに紅葉がピークにさしかかると自宅の裏の駐車場から見上げるガテノーの丘が真っ赤に染まって見えるが、未だそれ程では無いのだから当然の話だ。例年紅葉のピークは感謝祭(カナダでは10月の第二月曜日)、つまり一週間後。今年は冷夏だったがやはり大きくずれる事はなさそうだ。シャンプラン展望台に登る道を右折せず、真っ直ぐ進むと左手にピンクレイクと言う湖がある。数年前に自然保護の為に改装され、立ち入れない場所も増えたが、湖そのものは変わらない。Pink Lakeと言う名前から湖がピンク色の様なイメージがある。周りに幾つもある解説の小さなプレートの一つに「ピンク色のプランクトンが生息〜」とか書いてあって、これを見て「おお、これか。名前の由来は」と納得する人が多いのも無理は無い。しかし、実際には17世紀前半にこの辺りに入植したサミュエル・ピンク氏の名前から取られたものらしい。それはともかくこのピンク湖には見た目の美しさだけでは無い神秘が隠されている事を知らずに通り過ぎる人も多い。
湖の水と言うものは大抵春と秋と1年に2回は風の力で上下の水が回転して入れ替わる。これによって湖底と湖水の表面の温度は一定すると言う。ところがこのピンク湖では天然の壁に囲まれた特殊な形状故に水が対流するのは13メートル下のみ。水深は20メートル。つまり13メートル下には長年堆積した硫黄を含むバクテリアが層を作り、20メートルの湖底まで7メートルの酸素ゼロのプールが作られている。この7メートルのプールは有史以来そのまま有り続ける天然のタイムカプセルと言う事だ。酢と油で作られたドレッシングを思い浮かべて欲しい。よく振らなければ瓶の中で二層に分かれている筈だ。あんな状態が湖の中で作られていると考えると分かり易い。元々シャンプラン海から流れ込んだ水で出来た湖だが、この水深13メートル以下が淡水へと変化するまで三千年もの時を要し、それ故にこの湖にはここにしかいない魚や、生物が幾つも存在する。
1998年、労働ヴィザの更新が限界になってきて永住権を申請する為日本に帰国する事になった時、私はこの湖の傍に立った。当時フジェールではパティシェしかやっていなかった私は燃焼しきれない思いを胸に湖に向かって「帰ってくるぞ」と誓ったものだった。結局アパートを友人にまた貸ししたままついに最終面接の通知をもらって、真冬のデトロイトへ向かった時には年が明けて1999年になっていた。半年以上に渡ってお世話になったホテル日航東京のシェフ(当時)には慰留され、心が揺れなかったと言えば嘘になる。
しかし、結局私は再びピンク湖の傍らに立つ道を選んだのだった。
自分の中では、10台でアルバイトとして調理場に立ってから20数年、いやどうかすると30年近い年月が経つ事に驚くが、何千年、何万年と泰然として動かない湖に比べ、人間の一生はなんと短いものであろうか。
その後2004年までにフジェールで全てのポジションを経験した私がその年早々にカフェ・アンリー・ブルジェに移籍し、現在のル・ムーラン・ウエイクフィールドに至るまでの道のりはこれまで何度もこのエッセイで紹介してきたので、今は書かない。ただカフェ・アンリー・ブルジェに移る前にオタワのある和食レストランのオーナーから「料理長としてやらないか」と言う誘いを受けた事があって、この時も揺れた。オーナーは「料理は全て一緒だよ。和食をベースにフランス料理も取り入れたら良い」と言ってくれ、なるほどそうかもしれないと思ったからだ。結局5日間だけ、このお店を試験的に手伝わせていただいたが、その時あらためて何故私は和食では駄目なのかを悟る事になった。
思い起こせば、その事はドイツで和食をやった時に分かっていた筈だった。和食には多くの決まり事がある。盛り付け一つとってもフランス料理ではエヴァンタイュと言う扇型の野菜(茄子など)の切り付け方にしても、ただ見た目がきれいなら良いと言う物ではなく、「こちらの方向に扇を開かせなければならない、反対に開いたら死人用だ」と言われたり、そんなルールは数え切れないほどだ。早い話、ある和の食材をスープに落とし込みたいと思っても、和食でスープ代わりはやはり、味噌汁かお吸い物でなければならない訳だ。これは当然の事で、私自身が客として和食の店に行ったとしてもポタージュで食事を始めようとは思わない。いくら和の素材を使っていてもそれはフランス料理か、せいぜいイタリア料理の世界だ。
大体何週間も御飯を食べなくてパンを主食として違和感が無いなんて言う人間は和食に向いていないんじゃないだろうか。日本のフランス料理界では醤油を使わないとか、自ら縛りを作るシェフが多いが、日本で醤油を使ったら結局フュージョンとの堺がなくなると思われるし、お客様もそう感じる人が多いだろうからこれは仕方ない。
しかし、本来フランス料理は自由なもので、そこが自分に向いていたのだと思う。元々世界の料理を取り込んで、技法だけを守って発展してきたのがフランス料理だし、近年では技法でも合理的と思えば外国の手法を取り入れる。
パリの三ツ星シェフの厨房には日高昆布や味噌が並び、包丁ケースには有次の和包丁がずらりと並んでいたりする。勿論和食に限った事では無い。フランス人がCoq au vin(雄鶏のワイン煮)と一緒に食べたがるのはクスクスやタジン(元は共にアルジェリア、モロッコなどから伝わったアフリカ料理)だったりする。日本人が御飯と一緒に食べたがるのが実はトンカツやカレーで、寿司なんて滅多に食べていない事を欧米人が知らないように。
おいしくて、安全で、そして何より需要があれば成り立つのが料理の世界。そんな事は大昔から分かってグルマン(食いしん坊)達に育てられてきたのがフランス料理。フランス料理は究極のフュージョンと言えるかも知れないが、誰もそんな事は口にしない。三千年かけて海水を淡水に変えたピンク湖の様に、時の重みが人をだまらせるのか・・・。

101.感謝祭の週末。
(10月14日更新)
紅葉が本格化し始めてから、以外な好天の日が続く。今日は曇りだったが、昨日は晴天であると同時に気温も高く、感謝祭の週末であるからお客様にとっては最高の一日だったに違いない。しかし、こちらは当然金曜、土曜のル・ムーランも日曜のル・フジェールも三日とも好天続きで忙しかった。勿論どちらの店でもお約束の七面鳥と南瓜のパイは外せない。やはり定番は定番で求めれるものだ。
今日は曇りだから・・・と言う訳でも無いが、2週続けて無事休めた。週一回の休みを取るのに毎週苦慮するのは当然人手不足だからで、少なくとも2名の欠員、さらにフランスからお菓子の研修に来ていたジュリェも間もなく帰国するので、更に大変だ。ロメインはちゃんと1週間で戻り、足を引きずりながらも普通に仕事をしているが、彼が戻ってすぐ、夜の新メニューを始め、以前から予定していた事だが、調理場内でのポジションを入れ替えたので、皆新しい役割に慣れていないで戸惑っている面もある。役割を入れ替えると言っても、勿論管理職4人は役職は同じな訳だが、ロメインはソーシェの役割をサミュエルに任せ、自分はガルド・マンジェを仕切る事になった。この為ガルド・マンジェを任されていたジュアンはサミュエルの代わりにアントルメティェにまわる事になったが、彼は元々ホットものはやりたくないと言い続け、一生ガルド・マンジェでいたいと主張していたくらいだから、当然不満で実際にこのシフトになってから辞めたがっている。しかし、彼がガルド・マンジェのスペシャリストとしての力量の持ち主なら今回の移動は必要なかったのだ。新メニューの計画段階から「これは出来ません」「これも無理」「こんなのそもそも知りません」と前菜の半分もろくに出来そうも無い状態だったが為にロメインが「それじゃ自分がやるしかないですね」と言って、こうなったのだ。以前ジョルジュがその事を主張していた事は書いたが、ガルド・マンジェはソーシェと並ぶくらい重要なポジションなのだから。ジュアン(彼はコロンビア人でスペイン語読みではフアンと読むらしい)も間も無く40歳。ロメインもサミュエルも彼よりずっと年下なのだから、日本人なら本人にしても相当焦るだろうし、社会的にも落ちこぼれのように言われかねないところだが、文化の違いで全然我が道を行くという感じだ。因みに朝食係の
ドゥェインにしてもジュアンと同じ年で高校生の息子と娘がいるが、薄給のポジションに焦る様子も無い。こうなると寧ろ日本人がネガティブ過ぎるのかと思わ無いでもないが、実際日本では年齢と経験、実力が釣り合っていなければ仕事を見つけるのが困難なのは事実だろう。
流石にこうなってくるとパディも週2回くらいは自分がラインに立つしか無く、腰を抑えながらやっている。彼がソーシェに立つのは着任以来殆ど初めてと言って良いくらいだ。しかしやはりきついらしく、「一刻も早く強力な人材を探さないと・・・Nakiの人脈で何とかならないか?」と口癖のように言う。社交的とは対照的な私に大した人脈などある筈もないのだが。しかし、元々パディは着任した時、「夜は自分が仕切るから、Nakiにはジョルジュが自分で仕切る事の多かった複雑多岐に渡る昼間の仕事を引き受けてもらいたい」と言うので、当時役職は今と同じながら夜のソーシェを中心にやっていた私が今の役割を担うようになった経緯がある。ようやくその言葉通り頑張ってもらうしかない。とは言え、彼の健康状態を考えると、やはりソーシェ、もしくはアントルメティェの人材を探し、パディにはデシャップ(配膳)台の前で監督に戻ってもらう必要があるのだろう。病院に戻られたのでは私やロメインが一番困るのだ。昼間を中心にやっているグレッグかジェレマイアを夜に廻すにしても、今度はその穴埋めの人間がどちらにしても必要だ。この2人を除いても昼間は常勤、非常勤を合わせて未だ3〜4人はいるし、殆ど皆真面目でよく働くが、残念ながら一ポジションを任せられるレベルには達していないのが現状だ。私としては自分自身が日本人的常識で、まあ朝は今より少し遅く出勤させてもらって、夜の最後まで毎日働くと言う事で一向に構わないのだが、どうも労働法的にまずいらしい。今でも毎週残業超過しているが、管理職は年棒制なので、残業代はつかず、毎回きっちり同じ数字の給与だ。で、この残業は何処に行くのかと言うと、休暇日数に加えられる事になっている。しかし実際には元々の休暇分の日数の休みを取る事も難しい。だからあまりエスカレートすると、本人が何も言わなくても労働局がクレームをつける事になるらしい。勿論ホテル内でもきちんと休みが取れないのは調理場くらいのものだろうが、この仕事に一般の会社、官庁のようなスケジュールを求めるには土台無理がある。大抵そこは覚悟して皆この世界に足を踏み入れているし、そうでない人は淘汰されていく。それにくどい様だが、日本でこの仕事をやってるのに比べれば楽なものだし、カナダでも日本人経営で日本人従業員を中心に雇っている和食の店などはそれに近い事をやっており、我々の所など「楽で良いですね」とか言われそうだ。ただし、時間的な事だけを言えばその通りだが、その分緩急は殆ど無く勤務時間の短い子でも短距離走の様な集中力が求められる。私は前回書いた日本に帰ってホテルで働いていたほんの一時期(ホテル日航クラスともなれば当然従業員食堂があり、そこで働く料理賄い人だけですら5〜6人いる)を除き、この10数年座って賄いを食べた事が無いくらいだ。今や仕事中に座って食事をする事が出来ない体質になってしまった感がある。部下に「Nakiさんて自宅では座って食事するんですか?」とからかわれる始末だ。もっともそう言っている部下達も殆ど立ったまま仕事をしながら食べているし、それ以前に人の賄いは作っても自分は食べている時間が無くなる事が皮肉な言葉ながら、日常茶飯事だ。
紅葉は早ピーク。11月になれば企業会員を除いて、がらっと暇になる可能性があるから、やたらと人を雇っても今度はあまり過ぎると言う事も(今いる従業員が辞めなければだが)考えられないではない。そうなったら11月は管理職が超過している分出勤を抑え、時給で働いている大半の従業員に稼がせてあげる様オーナーに交渉してあるとパディは言う。しかし、その後で「まあ、そんなのはファンタジーかねえ」と言うので、「ファンタジーでしょうね。何でもありがこの仕事でしょう」「そうか、何でもありか・・・」で会話が終わってしまったが、大体過去にこういう案が浮上した事は経験あるが、実現した経験は無いので、そう言わざるを得ない。

102.たまには日常業務の話。
(10月22日更新)
これはエッセイであって、日記ではないが、特に日本で読んでいてカナダ、ケベックの調理場の日常はどんなだろうと思う方もいらっしゃる様なのでたまには今日1日の仕事をダイジェストしてみる事にした。と言っても実の所、調理場でやっている事は何処でも大差無いと思うが。
今日は企業会員の団体が3つと一般の団体が2つ入っていたので水曜日としては昼間からかなり忙しい方だった。朝出勤すると朝食係のドゥェインから、昨日泊まりの22名が深夜近くまで会議があると言うので出した夜食のサンドイッチは殆ど手付かずで返ってきたと報告を受ける。朝食は泊まりの他に外部からも1グループ食べに来たのでブッフェ形式ながら、それなりに忙しそうだった。流石に朝食は外部から団体でと言うのは比較的珍しいのだが、先週の木曜日の新聞にはうちのレストランが大きな記事で紹介されていたのでその影響が未だあるのかも知れない。
とりあえず調理場の隅にあるシェフ用オフィスのコンピューターで社内ネットで繋がっている団体予約の推移、chef@wakefieldmill.com宛のメールのチェックを済ませた。更に昨日のうちに作っておいた本日のブッフェ用メニュー(ドゥェインが手が空いている時に冷製の準備が出来るように遅くても前日には一応作っておく事にしている)を手直しし、Feuille de route(
本日のスープ、シェフのお勧め等の情報をサービスに伝える為の一覧表)も作ってプリントアウト。
そこまでやってからようやく包丁を握って仕込みに入る。まずは本日のスープ。今朝は一気に気温が下がって肌寒かったので月並みだが根セロリとブルーチーズのポタージュにした。勿論根セロリ、ブルーチーズがかなり大量にあった所為もある。この頃にはグレッグ、ブレンダも出勤して来る。ジェレマイアは引越しで疲れたので1週間休ませて欲しいと先週私の自宅まで電話をかけて頼むので今日まで1週間休んでいる。
その後は私はブッフェの肉料理、魚料理、付け合せの準備を始め、他のスタッフにはブッフェの冷製の準備とア・ラ・カルトの準備を進めてもらう。前述した様に企業会員団体の3つ以外に2つ団体が入っていた。という事は3団体にはブッフェ・メニュー、2団体、その他小テーブルにはア・ラ・カルト メニューを供する事になるので、両方とも十分な量を用意しておく必要があり、前菜からメイン、更に今日はツェアもジュリェも午後出勤だからデザートも確認しておかなければならなかったのでこの人数ではかなり忙しい。その合間をぬって業者さんやバンケット マネージャーから電話が架かってきたり、水曜は少ないながらも配達があれば確認に行かなければならない。ブッフェの飾りつけをする頃には賄いの時間にもなるのでこっちも指示する。レストラン部はともかく、ハウスキーパー、レセプション、メンテナンスやSpaのセラピストといったスタッフの為に賄いも時間厳守なので馬鹿にならない。
ブッフェを出し終えるとア・ラ・カルトのオーダーが調理場のプリンターからはじき出されはじめる・・・
ようやく昼の営業時間が収束すると、月曜日から泊まっている企業会員P社の担当者の女性とメニューの打ち合わせ。再三書いているように企業会員の大半はオタワに会社(これも再三書いているように官公庁、政府関係者の方が多いが)があって通ってくるのが多いが、このP社はヨーロッパから来ているので22名全員が宿泊、しかも5泊6日である。それにしてもヨーロッパに住んでいてケベック州のホテルの企業会員とは贅沢な感じがするかもしれないが、カナダ東海岸からヨーロッパは実はかなり近い。航空運賃も東京、北海道とたいして変わらない感覚の様だ。それはそうと、朝食は別としても昼食、夕食で計9食、変化をつける必要がある。月曜は私はいなかったが、この日の夜から泊まっていて、サミュエルによると、その夕食は結局ア・ラ・カルトで銘々が頼んだとの事だったが、翌火曜日、つまり昨日件の担当者の女性が会いたいと言うので呼ばれて行った。何か特別に食べたいものは無いか、昼はブッフェでこちらで考えるが夜は3種類くらいの中から選んでいただくという事でどうかとお勧めしたのだが、「それで貴方に来ていただいたのです。我々はビジネスの為の合宿会議に来ているので、メニュー選びなどで皆に時間をとって欲しくないのですよ。シェフのお勧めするものを1品、全員で同じものを頂きます」と言うので、私の昼のメニューとぶつからない、シンプルな牛フィレのステーキを昨夜のメインコースにお勧めしたので、今晩は何か魚をという事で話をした。結局私が一覧表を作って「火曜の昼、肉料理:鶏、魚料理:舌平目、夜メインコース牛フィレ。水曜の昼、肉料理:ナガノ ポーク、魚料理:鮭、夜のメインコース カワカマス。木曜と金曜の夜は感想を聞いてから明日又相談するが、木曜の昼は肉料理:子羊、魚料理:白身魚Basa。金曜の昼は肉料理:ほろほろ鳥、魚料理;岩魚。」という事で了解いただいた。勿論それぞれ調理法を変え、あるものは詰め物をしたり、挟んだり、ソース、付け合せにも変化を付け、印象の違うものに仕上げる必要があるが。そもそもこの手の交渉はパディがいれば当然彼の仕事だが、前に書いたように最近彼は夜に集中しているし、昨日は休みでもあったのだ。
打ち合わせを終えて戻ると、バー、ラウンジのオーダーが結構入ってばたばたしていた。もう紅葉も終わりだが、未だツーリストは途絶えてはいないようだ。おつまみメニューの在庫も確認した。
後は基本的に明日の仕込み、この頃には夜のメンバーも全員来ていて、今日はパディも出勤してきてロメインもいるのだから何ら心配無い。
せっかくシェフ・ソーシェに昇進したサミュエルだが、プライベートの時間(夜彼女と過ごす時間とか)が無さ過ぎると言うので、昼間に回りたいと言う。結局グレッグと交代と言う話になった。彼の若さ、経験(ロメインなども若いが、10台半ばで本場フランスで修行を開始しているので経験度は段違いなので)で夜のシェフ・ソーシェがやれれば少々プライベートを犠牲にしたって是非とも・・と思わないのがちょっと不思議だが、そう言う理由で仕事を調整すると言うのもいささか羨ましくはある。若いからこそ、未だ遊びたいのだろう。尤も私が彼の年齢の頃は一番働いていた時期で、シフトを変えるも何も毎日早朝(6〜8時)から深夜(12時〜2時)まで週6日、時には7日と言う無茶苦茶なスケジュールで仕事をしていたが、それは流石に極端だ。グレッグは今は昼ガルド・マンジェを中心に仕事をしてもらっており、アントルメティェや私がいない時のソーシェはジェレマイアにやってもらっているが、サミュエルにジェレマイアの代わりを、ジェレマイアにグレッグの代わりを務めてもらい、グレッグは夜のソーシェにと言うスケジュールになる。同時に今週、来週中には新人が2人入る・・予定ではある。グレッグは他所のレストランでシェフをしていた事もあるので、そっちの方は不安は無い。
まあ、明日も大体こういった事が繰り返される。つまり、これが日常業務と言う訳だ。

103.秋は何処。
(10月28日更新)
昨日の月曜もどうにか無事休めたが、前回書いたヨーロッパのP社が担当者の女性はそのままに残りのメンバーが入れ替わりにやって来て今週も月曜から金曜まで滞在するし、他に毎日2〜3件ずつ企業会員のグループが入っているので、復先週末のうちに1週間分のメニューを作っておいた。長い事オタワ側に渡っていなかったので久しぶりに行ってみたら、町中をパトカーや警察の作業車が走り回っていた。まるで911アメリカ同時多発テロ直後を思い出させる様な騒ぎだ。市内で聞いてみると、国会議事堂近くの中絶病院の傍に爆弾と思しき包みが置かれていたのだと言う。結局は中身は空っぽだったそうだが人騒がせな話だ。中絶反対者がやったのか、ただの悪戯なのか・・・。
今日はいきなり冬と言うような天候だった。気温は最低ゼロ度だから大して寒くは無かったのだが、1日中暗く、木枯らしは吹きすさび、雪も降ってきた。今年からケベック州ではウインタータイヤが義務付けられ、工場が混む事が予想されるので、先週のうちにタイヤを取り替えておいたのでその点は安心だ。もっともついでに前後、サイドのブレーキ及びバッテリーも交換したのでかなりな出費ではあった。
流石にこの天気では団体以外のテーブルはがらがらに空いていた。ア・ラ・カルトがこんなに暇なのは何ヶ月振りだろうか。しかし、前述のように今週一杯団体メニューを決めてしまったために、手配しなければならない事も多い。当然ミ・ザン・プラース(仕込み)も。そんな中、ソーシェに就任したばかりのグレッグが叔父さんが亡くなったので今日だけでも休ませて欲しいと電話してきた。パディは天候の所為か腰痛が復活してきて今日も一瞬だけ顔を出したが調理場に立てる状態では無さそうなので大事をとってそのまま帰ってもらった。結局サミュエルが来てくれる事になった。しかしサミュエルもようやく念願叶って今週から昼に転向したばかり、しかも今日、明日は休みの予定で、兄弟の働くゴルフ場の調理場へ彼を迎えに行って一緒に映画でも見ようとしていた矢先だと言うから災難だ。余談だが彼の兄弟の働くゴルフ場の総料理長は神林シェフ(エッセイ99参照)
と言うのも何かの縁ではある。何にせよサミュエルもこんな事が続けば嫌気が差すだろう。
私も長年手伝ってきたLes Fougèresをついに辞める事にした。それに合わせて夜も最低週2回はソーシェとして立とうと思う。パディが調理場に立つのが無理な以上それがベストな選択だろう。ロメインは一杯一杯の仕事をしているし、グレッグは夜のソーシェを始めたばかり。新人はとりあえず2人(パート タイムを入れると4人)も雇ったので人数的には問題ないが、ソーシェがいなければ店は開かないのだ。いくらガルド・マンジェが大事と言ったってやはりここは本来ならシェフの立ち位置なのだから。又逆に言えば昼サミュエルがいれば、何も私が毎朝7時に出勤する必要まではないだろうし。
何れにしてもやはり前前回書いた11月に休みを増やすと言うのはファンタジーに終わりそうだ。それどころか今より仕事が増えそうな雰囲気だ。
まったく何時が紅葉の秋だったのか、何時が夏のシーズンの終わりだったのかよく分からないまま忙しいのは喜ぶべきことではあるのかもしれないが・・・。

104.未だ10月だと言うのに。
(10月29日更新)
昨日の更新で今月は最後かと思っていたが、急に時間が空いた事でもあり今日も更新する事にした。何故時間が空いたのか・・・
昨夜は一晩中吹雪で荒れ、今朝は積雪は15センチだが(それだけでも十分か)いかにも嵐の後と言う風景だった。もっとも私の出勤時間はこの時季真っ暗だから未だよく見えてはいなかったのと、チェルシーは大した被害でなかったので「10月だと言うのに豪い天気だと言う程度しか感じなかった。しかし、ハイウエイを降りると信号が消えている。もしやと思って左右を見回すとやはり何処も電気が消えている。停電に違いない。かつて通勤路にある信号はこれ1つだったが、1年ほど前に
ウエイクフィールドの町に曲がる場所にもう1つ信号が出来た。これもやはり消えている。間違いない。
ル・ムーランに続くMill road(御存知かもしれないが英語のMillもフランス語のMoulinも水車の意味で“Le moulin Wakefield”の英語名は“Wakefield Mill”。当然Mill roadは当ホテルに向かう道。歴史的建造物でもあるので公共の道路標識でも「左“Le moulin Wakefield”」と出ている程)に入るとその荒廃ぶりが目立ってきた。途中今週から7時出勤になったジェレマイアが歩いていたのでピックアップする。暫く走るとラバーコーンがど真ん中に立っているので「何だ!」と思って避けると助手席のジェレマイアが「送電線が地面に落ち込んでいますね。それを避ける為のラバーコーンでしょう」と言う。更に走るとジェレマイアが「ああ、道が無い〜!」と叫ぶ。カーブで助手席の方が一瞬早く見える場所だったので、彼が叫ぶ頃には私にも見えてきた。かなりの枝振りの樹が完全に倒れて道をふさいでいる。しかもその木に別の送電線が複雑に絡まっている。下手に触れば感電しかねない。左側から倒れた木の天辺辺りと右に流れる川の間に何とか人間1人またいで通れるくらいのスペースはあったので、ジェレマイアに先に歩いて行ってもらったものの、ここに車を乗り捨ててはクレーン車が木をどかしに来た時邪魔になるので町まで戻って駐車し、歩いて戻ってくるしかない。取りあえずすぐ近所のパブの駐車場に戻るかと思案していると後ろから別の車が来た。ハウス キーパー部長のリンダだ。「泊まっているお客さんがいるからねえ〜。行かない訳にはいかないわねえ〜」と言うので黙って頷く。そうなのだ。こんな時季だが、昨日書いたP社の団体を始めほぼ満室状態なのだ。陸の孤島と化しているからこそ、行かない訳にはいかない。車を置いて歩いて登って行くと、倒木しているのはそこだけではなかった。ほぼ全ての倒木に送電線が絡まっている。1〜2週間に渡って停電が続いた10年前のアイスストームを彷彿とさせる風景だ。後で家の前で唖然としている近所の人に聞くと、昨晩はあちこちで爆発音の様な音がして停電になったと言う。私の住むチェルシーでも数回短い停電くらいはあったが、昨日も今日もこうしてコンピューターに向かってWeb siteの更新をしていられる事で分かるように、大した影響は受けていない。普段Mill roadは車で通り過ぎて行くだけなので、近所の人と話す事すらないのだが。
何とかホテルに辿りついたが、調理場に続く裏道は雪に足を取られそうなので正面玄関から入り、階段を下りてダイニングを通って調理場へ。数メートルおきに蝋燭が灯っているが、いつもポケットに入れているLCDのヘッドライトを頭につけて進む。ダイニングでは第2メートル ドテルのミッシェルとエリザベスと言うベテランサービス陣なのでごく普通に朝食のサービスを始めていた。調理場ではドゥェインは来れなかったのでジェレマイアが慌ててブッフェ形式の朝食を出し始めていた。と言ってもミ・ザンプラースは昨日のうちにドゥェインがやっておいたので、卵やジャガイモなど当日用意しなければいけないものを作りつつ、既にトレイに乗っているベーコン、ソーセージなどをオーブンに入れるだけだが、既にお客様がダイニングにいるのだから慌しい。
結局オーナーの判断で、朝食の後閉める事になった。ガスは使えるが、換気の問題もあってグリル台も使えない。こちらでは水は電気で吸い出されるので、電気が無ければ水も出ない。
しかし、閉めると言ったって朝食後チェックアウトするお客様はともかく、連泊のP社の団体の昼食は考えなければならない。幸いと言うか、1週間の連泊中たまたま今夜だけは外出する事になっていたので夕食までは準備しなくて済むようだがジェレマイアに指示し、一緒にサンドイッチを中心にした軽食を用意した。その後、長期の停電に備え、冷蔵庫に氷を敷き詰めたり、特に足の速い食品は氷や保冷剤を直接触れさせて大型冷蔵庫の奥に移したり、出来る限りの事をやるだけでも相当な作業だ。100リットルの作りかけのフォン・ド・ヴォーも外の雪で冷却して冷蔵庫へ。これだけやっても停電時間の長さ次第で相当なダメージが予測される。フォアグラ、リ・ド・ヴォーなど高級内臓系、調理済みの伊勢海老、海老、軽くマリネしただけで生に近い帆立などのFruits de mer(シーフード)も余程予想外に早く復旧しなければ持ちそうも無いから金銭的損害だけでも大きいだろう。あれだけ送電線が滅茶苦茶ではアイスストーム以降格段に開発、進歩したケベックの電気会社とは言え、1日で直すのは流石に無理だろう。
電話もろくに通じないので、携帯を持っているスタッフ等には連絡がついたが、それ以外は無駄足を踏ませる事になるかも知れない。パディの所には留守電にメッセージは残したが、聞いていない可能性もあるので帰りにジェレマイアに案内してもらって報告に行った(ジェレマイアはウエイクフィールドの出身なので、この町のことは隅から隅まで知っているので)が、未だ腰痛は酷そうでガウン姿のまま。「そうかい。少なくても今日はリラックス出来るかな。は、は、は」と乾いた笑いを浮かべていたが、内心はダメージのコストを考えて頭が痛いと言う様子が表情に出ていた。
予想外の休み・・・とは言え、全ての作業を終えるのに私とジェレマイアの2人は5時間程費やした計算だ。ジェレマイアは明日、あさってが休みだが、こっちは明日の事を考えるとまた・・・。
まあ今日はゆっくり休んでおこう。それにしても未だ10月・・・今年の冬も去年並みの厳しさか。