50.秋から始まる国
(10月8日更新)
いきなり意味不明のタイトルで恐縮だが、以前にも書いたと思うし、大抵の方が御存知のように日本の新学期が4月に始まるのに対し、カナダなど多くの国では9月に始まる。桜の花びらが芽吹くと新年度が始まると言うのは日本で生まれ育った人間にとっては非常に自然に感じられ、いくら紅葉が美しくても木々が枯れてゆき、冬に向かいながら新年度が始まると言うのは感覚的になじまない。どうも同じ事を去年の今頃も書いたようなきがするが...しかし、ここで生まれ育った人達にとってはこちらの方が自然なのは当然の事。人の入れ替わりも多い。前回のエッセイで書いた朝食係のホーリーも後1週間で去っていくし、後任も既に面接を終了している。建物の歴史は167年でも、ホテルになってからは6年しか経たないから、4年間働いたホーリーは調理場で最も長く勤務した事になる。私にせよ、パディにせよ、ジョルジュ・ローリエ前シェフに呼ばれていなければ、ここにはいなかっただろうし。日加タイムス色本編集長のインタビューを受けた時、「何故モントリオールなどの都会でなく、こういう田舎で?」と言う質問を頂き、「がっかりさせて申し訳ないのですが、成り行きですね」と苦笑しながら答えた。実際その通りなのだが、どうしてそういう成り行きになるのかと言えば、月並みだがやはり人との出会いや別れと言う事になろう。チャーリー、ジェニファーのパート夫妻とイギリスで再会したのをきっかけにケベックにやってきたのだし、ジョルジュがル・ムーランの総料理長に就任したから、ウエイクフィールドに来る事になったと言う事だ。
因みにこのインタビューが掲載された記事は今発売中の10月5日号に載っている筈だが、時間がかかるので悪名高いチェルシー郵便局、しかも感謝祭の週末の後であるから、ひょっとすると届くのは来週になるかもしれない。
カナダでは再就職の際に推薦状が物を言う事が多いので、ホーリーに頼まれて推薦状を書いた。否、「それならパディか、社長のボブの方がいいだろう。私から頼んであげよう」と言ったのだが、「それはいらないです。それだったら寧ろローリエ前シェフに頼みます。『いつでも書いてあげるよ』と言ってくれてますし。でもやはりNakiさんのが一番いいと思って」「何、ジョルジュが?だったらジョルジュに頼んだ方がいいよ。彼は有名人、カリスマ シェフなんだから」という会話の後、是非と言うので結局私が書いた。確かに彼女はジョルジュにも気に入られていたから喜んで書いてくれる筈だが。そもそも新しい職場はまるで分野の違う税務署だと言うから、いかに彼女が仕事に対し、真摯に向き合うかと言う事を強調する事くらいしかできなかったし、大して役に立たないと思う。しかし本人は大いに喜んでいたから、それはそれで良いのであろう。とにかく彼女は私の直属の部下であった訳だから。後任は巨体の男性で、スーパーマーケットでお惣菜を作っていたとか言う人物。まるで対照的な印象だ。来週から仕事を始める事になっている。結局この秋で私の部下は殆ど総入れ替えになった感じだ。つまりはケベック、カナダの秋はそういう季節と言う事だ。
51.レストラン ウエディング
(10月14日更新)
日加タイムス編集部さんから例の掲載記事が載った新聞を送って頂いた。流石にプロはうまくまとめるものだと感心したが、この件に関しては項を改めるとして、実はこのインタビューの中で、パティシェ時代ル・フジェールで花嫁さんが日本人であった為、一つ一つのデザートの上に「寿」の形に作ったチョコレートを出したと言うエピソードをお話した。この新聞はル・ムーラン ウエイクフィールドとル・フジェールの2つの職場の分も頂いてあるので、今日ル・フジェールに仕事に行った際、翻訳を添えて1部届けたのだが、今日の2時から別の披露宴がル・フジェールであり、それが何と又日本人の花嫁さんだと言う。巡りあわせと言うか、本当に世界が狭くなったなと言う印象を受ける。ぎりぎりに教えてもらったし、私も今朝は特に多忙であった為、特別な事は何も出来なかったが、いつも通りのフジェールのスペシャリティを堪能していただくべくマリオ(エッセイ46参照)と協力し、アミューズ ブーシュの盛り合わせからメインコースまでの準備は整えた。庭で日本人の御来賓の方々も遠くに見えたので、一言くらいお祝いを述べるべきかと一瞬考えたが、やはり辞めにしておいた。その昔、チョコレートで「寿」を作った時も勿論私は挨拶はしていない。オーナーはともかく、レストランの顔はサーヴィスの人達。この辺は日本とは多少異なり、お客さんの方から是非にと言われなければ、料理人が顔を出す事はあまり無い。いやサーヴィスもオーナーも含め、レストラン、ホテル全体がやはり裏方でなければならないのでは無かろうか。
それにしても取って付けた様なタイミングの良さだが、まあこの時季も結婚式は多いからこういう事もある。昨日もル・フジェールで1件結婚式があったそうだし、又我々もル・ムーラン ウエイクフィールドで昨日1件受けた。わざわざ1件と書いたのはどちらの店でも複数の結婚式を1日に受ける事もあるからだ。
色本夫妻が取材に見えた日も1件結婚式を受けていたが、この時夫妻が、式に参加する為に来ていた元トロント日系文化会館館長のローラ織田さん(連邦大臣、べブ織田さんの妹さん)にロビーでばったり会ったと言うエピソードを同じ新聞内の編集横丁という項に書いておられた。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、現実の巡り合わせと言うのは、下手くそな小説など凌駕していて、だから人生は面白い。
52.半径100マイルの食材
(10月24日更新)
今年は残暑のせいで紅葉がかなりずれた感がある。先の日曜日(21日)などはまたぽかぽかと暖かく、テラスで紅葉を眺められると言う事で、連休や特別な日曜日(母の日やイースター)を除けば記録的と言っていい盛況であった。140名ほどのお客さんで団体も5つくらい入っていたのに全てア・ラ・カルト メニュー。大抵これだけ入れば1つや2つの団体は3つぐらいのチョイスでコース メニューを組んでおくものだが、140人分のア・ラ・カルトがかなり無茶な物である事は、この業界の人なら分かってもらえると思う。予約は80名程だったのだが。
それでなくても先週から今週にかけてパディが体調を崩しており、先週はほぼ1週間出てこなかった為、本業の方で忙しい思いをしたのだ。パディがいないとなると、いくら営業が忙しいからと言って調理場に立っていればよいと言う訳にはいかない。タイミングの悪い事に、うちのオーベルジュでも2週間程前に地元の食材をもっと使っていこうと「100マイル以内の食材を使おう」と言うスローガンを立てて地元の生産者に声をかけまくった所なので、続々と直接訪ねてきたり、電話がかかってきたりしている真っ最中。私も料理人として、そういう人達の知己を得たりするのは歓迎だ。しかし、いかんせん総料理長ではないのだからパディの留守中に勝手に契約を結ぶのは論外としても、どこまで言質を与えていいのか悩むところだ。あまり適当に答えておいては私個人の信用までなくなってしまう。ところで、2週間前の会議と言うのは例によって3時間も延延とやったが、まあそれなりに意義はあるものではあった。地元の食材と言う視点は私も大賛成だし、何よりもオーナーが冒頭で「このガソリン代高騰の折にオタワ辺りのお客さんがわざわざこんな郊外までやってくるのは何より料理に期待しての事だ」と力説してくれたのは有り難かった。原価率が高くなってしまうのはある程度止むを得ないという事をオーナー自ら認めていると言う意味だからだ。勿論100マイル以内の食材にこだわるのも少しでも原価率を下げようと言う主旨が大きいし、人呼んでムッシュ・パリュ-ル(パリュール=Parure・・・肉、魚、野菜などの切り落とし、切りくず、粗など)と言われる私も屑肉などから利益を出そうと画策し、会議中パディもわざわざ名前を出して、「Nakiは天才だ。彼一人で2パーセントは原価率を下げている」と言ってくれたりもした。一人で2パーセント原価率を下げていると言うのは大変な賛辞なのだ。しかし、結局のところフランス料理で利益を上げるのは難しい。材料費以外に人件費も大きいのだから。人件費も材料費も下げて、利益を中心に考えるなら、今の世の中、ファースト フードをやるしかない。オーベルジュの目指す方向には馴染まないのである。
まあいずれにせよ、ようやく地元ウエイクフィールドのバイソン牧場からも肉を回してくれることになったし、他にも有力な業者数件と話がまとまりつつあるので、今週はパディに精力的に動いて欲しいと思う。
話は変わるが、ル・フジェールのレシピ ブックがついに完成した。あまり綺麗に複写できてはいないが2,3枚写真を載せておいたのでギャラリーをご覧いただきたいが、歴代の従業員たちの写真など、私にとっては懐かしいアルバムのような意味のある本でもある。