Essai 2013年 6月
292.「色々あったが、とりあえずヴェロ、世界第2位おめでとう」
(6月7日更新)
いやはやすっかり更新をご無沙汰してしまった。と言うのも無事引っ越しは終わったものの同時に最多忙シーズンに突入してしまった為、インターネット接続の工事・・・というか、流石にダイアルアップではないが、電話回線を使ったDSLにしたものの元になる電話のモジュラージャックが死んでいて、これを直してもらわないと繋がらなかったのだ。そもそも引っ越してすぐチェックした所、モジュラージャック接続口が何とペンキで塗りこめられており、これは交換してもらったのだが、どうもいい加減に上っ面だけ交換していたようで、内部までダメージを受けていた様子だ。こうした経緯を何度説明しても電話線以外の原因の可能性があると新しいプロバイダーが主張して、何度も何度も調査した結果、やはりド素人の私が思ったとおり、電話線が原因だったという馬鹿馬鹿しさだ。電話も同じプロバイダーが提供するインターネット電話にしたのだが、要するに元になる電話回線は日本のNTTにあたるBellの技術者でないと直せないので、こういうまどろっこしい事になったのだろう。そもそもプロの内装屋がペンキで電話の接続口を塗りつぶす事自体が有り得ない。いかにもこちらの職人らしい荒仕事だ。
何はともあれ、ようやくネットに接続し、モデム経由で電話も繋がった。2ヶ月以上も自宅でネットに接続できないのは辛かった。メールのやり取りなどはワイアレス接続可のモバイルデバイスで不自由なかった。そもそも都会に越したので無料でワイアレスに繋げる場所は近所に沢山ある。しかし技術はともかく日本よりはるかにIT化が進んでいるカナダではネット接続前提の事が驚く程多くなっているのだ。確定申告などもケベック州とカナダ政府と毎年2箇所に行うのだが、ケベック州政府は例年通り返信用封筒を送ってきたものの、カナダ政府は「今は殆どの人がオンラインで申告を行うから」という理由で省略。どうしても郵送したい人は近くの税務署を下記の所で調べて送ってくるようにとあって、下記の所には税務署のホームページアドレスが書いてあると言う冗談みたいな扱い。こんな個人情報を公共の無料Wifiで送るのは危険なので、その無料Wifiで送り先だけ調べて送ったが、これもかなり間抜けな話だ。日本では未だ確定申告を全てオンライン前提なんかにしたら困る人が続出すると思うが、妙な所だけ進んでいて、妙な所は遅れている不思議な国カナダという感じだ。通算20年近く住んでいるが、常々そう思ってきた。
最多忙期と書いたので想像がつくと思うが、新会社SODEXOに再雇用はされた。しかし思った以上に大量に雇われなかった人間が出た。総料理長のマルタンと副総料理長のマニーだけはそのままだが、それ以外のスーシェフは全員交代となった。デーブは雇われず、カフェテリア担当スーシェフのイブと、この1月にビストロ担当スーシェフになったばかりのあのヒューゴは事前に自分から辞め(ヒューゴが辞めた理由は次回)た。私はスーシェフを一旦降りて、給料はそのままと言う条件を出され、とりあえず受けた。私の給料など日本に行って話したら笑われそうな額だが、それにしてもスーシェフとしてもらっていた額だから、他の人よりは格段に高い。向かいのオンタリオ州の事情は知らないが、ケベック州側で、部門シェフ以下クラスでこの額を貰っているのはこの地域で一番高給なカジノのヒルトンホテルくらいだ。あそこでは他所でシェフ、スーシェフをやっていた人間を部門シェフクラスで雇っているからそうなっている訳だが。
大体給料がそれなりに高くて、代わりが見つかりそうな人材は皆雇用されなかった。その意味では私だけが特別扱いと言える。実の所、副総料理長のマニーを覗けば(総料理長のマルタン氏も含め)私以外に出来ない仕事が結構あるので、こんな変則的処置をとった様だ。デーブがいなくなって私も降格となったので宴会担当スーシェフとして新任のフィリップが来た。20年近い経験があり、今まで町場のフレンチ レストランでスーシェフをやっていただけあって、デーブの様な冗談みたいな事は無論無く、技術、知識も相当なものだが、それでも私に出来て彼に出来ない仕事が多くあるのが既に明らかになった。ちゃんとした経験を積んだ職人は技術で勝てないと思うと一歩下がる。そんな訳でフィリップは私に対しては態度を変えるし、現場での私は相変わらずシェフと呼ばれ(部門シェフではあるし)、給料も変わらないとなれば寧ろ楽は楽だ。周りがどう思うかは知らないが。もっともフィリップも私以外には結構きつい所があるらしく、宴会の洗い場10数名を束ねるリーダーのジミーからも「何故シェフNakiが長じゃないんですか?」と強談判され、「まあまあ」となだめておいたが、そんな事は会社に聞いてくれ」と言いたいのが正直な所だ。総料理長と実際の事務を殆ど取り仕切ってきた副総料理長は雇わざる得ない為、その他の上層部を総入れ替えする事で新体制をアピールする狙いだろう。実際調理場だけでなく、宴会のメートル・ドテルだったスザンヌなども平のサービスに格下げになったが、彼女などは「前からこのポジション辞めたかったのよ。ようやくのびのびサービスできるわ」と喜んでいた。今まであっちから責められ、こっちから責められしてきた彼女を見ているので本音だろうと思う。
この2ヶ月以上もの間に色々な事があったが、一番大きな出来事と言えば、最後に更新した3月後半直後、あのヴェロニクが東京で行われた世界ソムリエ大会で準優勝した事だろう。女性のソムリエ・・・つまりソムリエールが決勝進出すること自体が初めて。つまりソムリエールとしては世界の頂点に立った訳で、ネットを覗くと日本のソムリエール達からも東京と言う間近な場所で見せられた快挙に勇気を貰ったという様なコメントが幾つもあった。
この事はモントリオール ブレテン誌にも寄稿したが、ヴェロニクと私は同世代で(彼女の方が2つくらい若いと思うが)、17年前にほぼ同期でフジェールに入ったが、あの食いしん坊でひょうきんな人が世界に飛び出すとは・・・
全く私も彼女の超人的努力を見習わなくては。
293.ヒューゴとフジェールへ
(6月10日更新)
今日は久しぶりに休みでゆっくりできた。ヒューゴが今週一週間は暇だと言っていたので、前から近いうちに食事に行こうという約束を果たす機会と、一緒にフジェールに行った。因みに今彼はチェルシーのスパ Nordicでスーシェフをやっている。彼の手によるメニューは本人からも解説を聞いたが、わざわざ聞くまでも無く、一目瞭然。様々な制約に縛られる和食と違い、フランス料理の場合、もろにシェフの個性というか、経歴、人格などが出るもの。いかにも彼らしいメニューという感想だ。出来れば試してみたい気持ちはあるが、スパのお客様以外利用できないとの事で、水着かガウン着用で食べに行くしかないのだとか。
ヒューゴが博物館のビストロを辞めた理由も今回書くと予告しておいたが、これまたいかにも彼らしい。ビストロではシャノンがヒューゴの下で2番手だったが、だいたいこの2人はよくぶつかっていた。ちゃらんぽらんな所の多いシャノンと料理で妥協はしないヒューゴでは角付き合わすのも当然ではあった。シャノンはしかし博物館内で私以外では唯一パティシェの経験があり、ヒューゴの後輩がコンペテーションに出るので、シャノンのスペシャリティであるブルーチーズのチーズケーキのルセットを教えてあげて欲しいと頼んだ所、「私のルセットは私のCréation(創作)よ。誰にも見せないわ」とにべも無く断られ、けんかになったのだと言う。こういう話は日本でもよくあると思うが、シェフには自分のルセットをどんどん人に教える人と絶対に教えない人の2種類が居るものだ。私もヒューゴも聞かれれば気軽に教える方で、実際柔軟性のあるヒューゴは博物館のビストロ “ボレアル”でも「Nakiに教わったロケット(ルッコラ)と胡麻のスープ使っちゃってます」なんて事がよくあった。私が「教えて簡単に真似できるようなCréationなら大したもんじゃないさ」と言うと、「そう、それですよ。なんて言うか・・・知識を共有してお互いに新しいものを求めて行く・・・みたいな事が無いと駄目でしょ。この世界」と相変わらず熱い。
因みに私はスープとメインにリドヴォーを頼み、ヒューゴはコースメニューでメインだけ、私に乗ってリドヴォーに変えてもらって、堪能した。リドヴォーは好きだが、何しろ信頼できる店で食べないと後悔するような食材。フジェールなら安心できる。
月曜はチャーリーとジェニファーは休みなので会えない事は分かっていたが、何しろこちらも休みの日を選べないので止むを得ない。