エッセイ2013年 1月
287.フィクションの中の厨房(その2)
(1月3日更新)
今度こそちゃんと前回に引き続いてこの話を書かないとこのエッセイを定期購読してくれている奇特な(意外と沢山いる)方達にも呆れられそうなのでこの話題を。
まずは1年以上も前に予告した(苦笑)とおり、DVDで購入した日本のテレビドラマの話という事になるが、1年も経つと更に購入した物も増えている。つい最近取り寄せた「ハングリー」がそれだ。丁度1年ほど前に休暇で帰国した際、このドラマをちょっとリアルタイムで視る機会があったが、その時点でも久しぶりにフランス料理のレストランが舞台なので余程つまらなそうでない限りDVD購入はする事に決めていた。
大体イタリア料理がフランス料理と並んで洋食を代表する存在になったのはそう古い事ではないから、以前はフランス料理・・あるいはそれを母体とした洋食店などを舞台にしたものは結構多かった様な記憶がある。洋食店と本格フランス料理店の両方が舞台になった「美味しい関係」などというドラマもあり、DVD以前の中古VHSをアマゾンで探して購入したりもした。10何年も前だから、そう考えるとAmazonも随分長い事利用してきたものだ。
丁度10年ほど前に初めてDVDプレーヤー・・・それも日本のものと現地のものの両方を見られるリージョンフリーの機種をカナダの量販店であるフューチャーショップで購入。最初に買ったソフトはトム・クルーズのラスト・サムライだったが、2番目には早くもAmazonで日本のドラマのDVDボックスを購入しようと早速アクセス。実はこの時姉から面白いと勧められていた「王様のレストラン」を購入するつもりだったが、同じテーマの作品の箇所にあった新作(当時)「マイ・リトル・シェフ」が面白そうだなと思い、こっちを購入した。「王様のレストラン」の方もほとんど間をおかず購入したのだが。
結果として「マイ・リトル・シェフ」は大正解だった。まずドラマとして秀逸。大袈裟と思われるかもしれないが、今まで生きてきて視た連続ドラマの中で一番と言って良い程の出来だ。毎回さんざん笑わせておいて、最後にはほろりとさせる。何度も同じものを見返しても、ちゃんと同じ所で笑い、同じ所でほろりとさせるのはドラマの王道だ。「フィクションの中の厨房(その1)」で書いた(誰も覚えてないだろうが)ウニの殻を覗きこむ顔を殻側から撮った映像などカメラワークも巧み、シナリオ、演出は言うまでもない。この手のドラマではお約束の様な恋愛も中心になっておらず、あくまで人間のドラマとして描かれている。音楽も合っていて、後にサウンドトラックと浜崎あゆみさんの歌う主題歌(第44回日本レコード大賞受賞作)入りアルバムとを別個に購入したほどだ。最終回で主題歌が2番まで歌われてハッピーエンドに終わる演出も個人的に好きなパターンだ。ユニフォームなどディテールにも工夫が見られる。そう言えば映画、ドラマ、劇画。内容は結構革新的でも何故か今でも十年一日皆何の変哲もない白衣ばかりだ。実際の調理場は色つき(これは賛否両論あろうが)のユニフォームや凝ったデザインのものが多いのにまったく反映されていない。むしろこういう所こそ視覚効果の見せ所では?
このページで書くのだから何と言っても料理の事を書かねばならないが、この意味でも他の同じテーマの作品の追随を許さないと思う。それもその筈。料理は毎回違うシェフが担当していたのだが、その顔ぶれたるや当時、いや今なら尚更日本のフレンチ界を牽引する成澤由浩シェフ、岸本直人シェフ、菊池美升シェフ、豊島誠司シェフといった業界では知らぬ者のない名シェフ揃い。フランス料理は個性を重んじるものだから、普通これだけのシェフが集まったら同じシェフが作った料理にはとても見えないだろうが、実際のレシピは料理コーディネーターの里見陽子さんと言う方が作っていて、同じシェフが作ったものとして(好きな食材、好きな手法はどのシェフにもあるもので)無理がない。かつ当然ながら物語にぴったり当てはまる料理になっている。里美氏の事は全く知らないのだが、この作品をみるだけで相当凄い人である事は分かる。
更に言えば、DVDボックスとしても実に良く出来ていて、特典映像は製作発表やメイキング、NG特集に加え、何と言っても毎回のレシピとワインを解説しているのが何ともお得である。このレシピは使える。最初に買ったDVDボックスだから、これが基準の様に思ってしまい、直後に買った「王様のレストラン」など特典映像が何も無くがっかりした程だ。
この流れで最新作の「ハングリー」を見ると、これも新しい作品だけに新しい料理も出てきて見ごたえはあるのだが、やはり前者に比べれば見劣りがする。それこそ一番がっかりしたのがDVDボックスとしての出来だ。特典映像は新しいものだから、メイキングや製作発表などは普通に付いているが、初回限定付録としてカタカナの「ハングリー」というタイトルの入った小さなスプーンとフォークが付いてきたのには唖然とした。フランス料理がテーマだけにナイフとフォークのマークが作品のタイトルと共に現れるのだが、ナイフを付録に付けるのはまずいと判断してスプーンになったというところか。その安直な発想がいただけない。ついでに言うとこのDVDボックス上下左右から折り畳む様になっているのだが、ボックスを買って何度も見ようとするには一々個々のDVDを取り出すのに苦労する。ボックスの畳み方まで言うか!とお思いかもしれないが、これは自省をこめて我々の仕事にも共通する事だからあえて書いているのだ。つまり、奇をてらうばかりで実際には食べ難くしてしまっているだけの料理がこれに当たる。盛り付けが美しくなければならないのは当然だが綺麗なら良いというものではないのだ。食べ易さとか○○と△△は同時に口に運んでもらいたいとか色々な事を考えて盛り付けている。お客様の立場でも「さあどうだ」と相手を驚かすだけの料理など興ざめではないだろうか。
DVDボックスの出来はともかく「ハングリー」はそれはそれで面白かった。評価に値しないと思えば名前は上げても解説しない。「ハングリー」の最後に「マイ リトル シェフ」の主人公を演じた矢田亜希子さんが味覚音痴(実際にはストレスで刺激のないものを受け付けなくなっただけ)として登場するのも面白い。しかもその旦那は同作で矢田さん演じるシェフの片腕スーシェフを務めた梶原善さんというのも遊び心のキャスティングか。何しろ同作中で矢田さん演じる鴨沢シェフは風間杜夫さん演じる元大物シェフが味覚障害に陥ったのを一目で見抜いたりしていたのだから。「ハングリー」の主人公のシェフを演ずる向井理さんに立ち退きを迫る大家として登場する矢田さんに思わず「マイ リトル シェフな貴方が何故?」と感情移入してしまうほどだ。まあ、そこはそれ最後にはうまく行くのがこの手のドラマだが。
スマップの稲垣吾郎さんが向井理さんに「エスプーマを使わなかったのは狙いかとも思える」と言う台詞があって、いかにも今や日本のフレンチの店でエスプーマを使わない店はないみたいだが、いくらなんでもそんな事は無いだろう。これは、このドラマのフードコーディネーター結城摂子氏がエスプーマの生みの親であるエル ブリのフェラン・アドリア氏と親交が深いせいではなかろうか。
「ハングリー」最終回のラストシーンは向井理さんがフランベの火をふっと吹き消すところで終わっているのだが、これは誤解を生むので辞めて欲しい。パッと炎が燃え上がるフランベは地味な事が多い厨房の作業の中で際立って絵になり易いから映画、ドラマでよく使われる。それは良いのだが、あれは別にパフォーマンスの為にやっている訳ではなく、和食で言う「酒を煮切る」と言うのと同じで料理に使う酒類のアルコールを燃焼させて飛ばしてしまうのが目的だ。従って途中で火を吹き消せば中途半端にアルコールが残っておかしな味になってしまう。プロでも経験の浅い若者など知らなかったりするので何となくカッコいいからと真似されたら困る。
こういうドラマのDVDボックスは登場人物、特に主役脇役のファンが買う事が多いようで10年経とうというのに今でもAmazonは「マイ リトル シェフ」の主要キャラクターである矢田亜希子さん、阿部寛さん、上戸彩さんの作品などを「お勧め」としてメールしてくるが、役者で選ぶ人ばかりじゃないのだ。前回の続きの様な話だが、ドラマの視聴率を全部主演俳優のせいにするのも辞めてほしい。ドラマは映画同様沢山の人が関わって作るものなのだから、他の人達に失礼ではないか。しいて言えば「マイ リトル シェフ」のレギュラー俳優で私が当時からファンだった(と言うより後の人達は皆スターになったが、当時私は初めて見る顔ばかりだったのだ)のは前述の梶原善さんくらいだった。矢田さん演じる鴨沢せりに「フレンチのセオリーとして有り得ねーな」と言った後、彼女が「父(有名シェフであった故人)から教わったんです」と応えたのを聞いて「鴨沢シェフが・・」と言う梶原さんの台詞は声が裏返っていて、自分より大物シェフの意見となると声が裏返る・・・いかにも実際にいそうな人のキャラクターを何気ない台詞でうまく演じていた。
最後にもう一つ、イタリア料理の作品ではあるが、「バンビーノ」もあげておきたい。調理場のリアリティとしてはこの作品が一番だ。正直この仕事をしている者にとっては引く程リアルだ。先輩に裏に呼び出されて殴られたり、注文に追いつけなくて夢にまで見たりと、修行時代を思い出して苦い思いをした。このドラマを取り寄せて見た時の私はホテルの副料理長として、丁度佐々木蔵之介さんが演じていた様な立場だったから客観的に見れそうなものだったが、むしろ昔を思い出して松本潤さん演じる主人公の方に感情移入してしまった。毎回出てくる様々な台詞、例えば「料理を食わせるって事は自分自身を食わせるって事だ」みたいな言葉にも頷くところが多かった。もっともあまりにリアルである故に、「この忙しさで選任の洗い場がいなくて回る筈がない」とか、「辞める人がいて全然補充されないのにどうやって営業しているんだろう」とか、あるいは前述の先輩が鶏がらの出汁を駄目にした後輩を裏に呼び出して殴るシーンでも、「鶏がらの出汁を取るのに時間がかかるんだから、それをやってから呼び出さなきゃ」とかドラマの設定上止むを得なくそうしている部分に本気で突っ込みたくなった。
リアリティと言う点では前述の「マイ リトル シェフ」は有り得ないが、料理人の殆どは本当はお客様の話を聞いてオーダーメードな料理を作りたいと思っていると思う。商売としては難しいだろうが、言わばこの作品は料理人にとってファンタジーだ。
またドラマに限らず、フィクションの話は書きたいと思っているが、さて次回は何時になることやら・・・
288.日本から戻って。
(1月31日更新)
今年も無事日本へ往復してきた。面白い事に帰ってから自然博物館に出張中で直接通う羽目になったので、未だ来週火曜まで本拠地に戻らない。全く相変わらず予定の立たない立場だ。定休日定時間の本館レストラン料理長時代が懐かしい(溜息)。
今回の日本は休暇中殆どずっと家に居た。毎年必ず行くのは河童橋道具街と神田に2件程あるほぼ料理書専門の本屋くらいだ。特に悠久堂は古本屋と言っても新刊もほんの僅か値段を下げて売っていたりして新刊本の大型書店より料理書の数が多い。河童橋の道具街は日々仕事をしていて、こんな時あれがあれば・・・と思うようなものが必ず見つかるから面白い。新総料理長のマルタンも「全くNakiは何でも持ってるなあ」と歴代の上司同様の感想を漏らすが、まだまだ出てくるし、古くなったものは取り返る必要もある。去年戦争博物館に出張中筋引きの盗難にあった為(包丁ケースに鍵はかけるが、仕事中常にケースに入れてロックする訳にもいかず)同じミソノの筋引きも新調した。新しい方が良かろうと思う方もあるかもしれないが、特に筋引きの様なタイプの包丁は徐々に磨いで自分好みにしていくものなのでがっかり。全く同じものでも寂しいので3センチ長いものにした。やはり筋引きはある程度長い方が使い道が多いし。
例年は1箇所や2箇所そこそこの店に食べに行ったりもするが、今年はそれも無かった。外食と言えば、学生時代の先輩と居酒屋に行ったくらいだ(苦笑)。勿論それはそれで楽しかったが。
またしても日本に行ってまで雪に見舞われ、雪に極度に弱い首都圏はおおわらわ。おまけにオタワ空港に着いた途端大雪で、着陸後駐機場までの除雪作業で1時間も地上待機。機長の挨拶は「雪のオタワへようこそ!」雨男ならぬ雪男と言われる所以である。