essai 2012年6月


267.25日に今月初更新となった訳

(6月25日更新)

 最多忙の6月とは言え、25日に初更新は遅すぎる。実はちょっと訳があっての事。先月最後の更新ではパソコン扱いの難しさを書いたが、まさにそれを象徴する様な出来事だ。その更新を最後に、新たに6月のページを作って更新しようとしても全く自分のホームページのサーバーにアクセス出来ない状態になってしまっていたのだ。そんな訳で何度か書いた内容は古すぎるので消しては書き直し・・・と言っても忙しいのは事実なのでそう何度も試みた訳ではないが・・・するうちに月も終わりになってしまったという訳だ。
 世の中には私以上にパソコンを知らない人もいると思うので、この先の話は私同様ちんぷんかんぷんな方もおられようが、結局検索エンジンでこれと同じトラブルに見舞われた人の解決策を調べてみたら「転送設定の詳細を開いて、パッシブモードで転送するの項目がチェックされていれば、その項目を外し、逆にチェックされていなければチェックを入れると更新できる可能性が強い」というアドヴァイスがあり、私と同じ様なトラブルに見舞われた人もこのアドヴァイス通りにしたら解決したとある。内心「こんな事くらいで解決すれば苦労はない」と思ったが、取り合えずやってみたら、あっさりサーバ―に接続出来たので、こうして取り合えず今月初の更新を今頃アップロードしている訳だ。解決はしたが、そもそもパッシブモードって何?と言うことすらまったく分かっていないのだから恐ろしい(詳しい方は教えてください)。こんな事の繰り返しでよくも自前のホームページを10数年も運営して来れたものだと我ながら呆れる。
 とにかく事情をここで書いた上で、今月中にもう一回は更新して、この1ヵ月の話のダイジェストくらいは示したいと思っている。


268. 流石に最多忙月

(6月30日更新)

 6月が暇なら本当に宴会部門を閉めなければならないだろうが、流石に今月は忙しかった。特に後半の2週間は卒業パーティを中心に毎晩最低で5件。多い時は9件もの宴会が入っていた。しかもほぼ毎晩何件かは戦争博物館の方で行われており、少なくても3〜5名程度はそちらに廻さざるを得なかった。以前の様に30名も宴会に従事する料理人がいた時と違い、かなり暇になった去年でさえ6〜7名いた研修生さえゼロ。文明博物館だけでもほんの5〜6人で3〜4件の宴会を手がける羽目になった。無理やり予約時間を僅か30分程度ずらしてもらって、順番に移動しながらやったのだが、9割の宴会が卒業パーティで同じメニューだった(せいぜいソースかデザートが若干違うだけでメインコースは全て鶏かベジタリアンのみの選択)から可能だった事だ。とは言え、卒業パーティは各学校ごとだから、1件辺りはだいたい250名から400名と少なくない。平均300名として5件やれば1500名だ。勿論これなら1つのグループで1500名の方が楽だ。卒業パーティと言っても日本で言えば高校だから予算が少なく、景気の良かった2年前(私が宴会の責任者だった)時は普通の宴会と同様のクオリティのものを出していたが、このご時勢。鶏は勿論、ソースに使うクリームまで低予算に合わせたグレードのものを使ってのもので、彼等彼女等の社交デビューの宴としては、少なくとも料理はあまりふさわしくないかもしれない。実際欧米社会に於けるこの高校卒業パーティは日本の成人式に近いものがある。男の子はセミフォーマルが多くタキシードまでは着ない子が殆どだが女の子達は艶やかなドレスに身を包みまさにハレ舞台。最後は皆リムジンに送られて帰宅する。毎年思うのだが、この子達の何パーセントくらいがこの先、こんな格好でパーティに出席するのを日常とする人生を送るのだろう。卒業パーティのメインはやはり俗に言うプロム・・・つまりPromenade(舞踏会)だから彼等にとって食事はそう大きな意味を持たないのかもしれない。大体が北米のパーティでは日本程料理に比重を置くことは少ない。しかし前述した2年前の時は、材料だけでなく、細部に至るまで国際会議に出すのと同様のものを出す事に務めた。勿論「そこまでやる必要ない」と言う声は当時でもあったが、私としては彼等彼女等の多くが最初に正餐というものに触れる機会を大事にしたい思いがあった。私自身成人式には出席せず、その代わり同日両親の招待で食べたフランス料理のコースが今の人生に影響を与えているからだ。
 しかし、今やこの低予算メニューはファミリーレストランで日常食べつけているものとまったく同じだろう。食事の思い出はおそらく残るまい。
 こう書いていると分かる通り、今年の私は宴会の責任者ではない。夏のシーズンを前に一時的アルバイトを整理して戻ったデービッド・ブラウンが宴会料理長で、私はその補佐をしている程度。2〜3年前の様に数十人が働いている様な状況ではなく1人責任者がいれば十分なので、実際には一料理人として働いている様な状況だ。去年私がレストランの料理長をしている間に雇われた彼だからこのシーズンも2度目の経験だし、私がレストランからこっちに戻ったからって彼を押しのけては筋が立たない・・・と言うと日本流だが、契約上おかしい事になると言った方が分かりやすいだろう。
 自分が責任者で無いとなると、しかし忙しい時季と言っても楽である。自宅に戻ってまで仕込み計画表作りなどに追われる事もない。それにしても、この最多忙月でさえ尚残業時間を最低にする様圧力がかかっているのには驚かされる。その事に切れて、ジョルジュが辞めると言い出す寸前までいった。2年前は勿論去年(ジョルジュが去年戻ってきたのは8月っだので未だマイケルの時代)でさえこの時季の残業は気にする必要なしと言うお達しだったのだ。実際2年前の私は6月中休みなし、毎日早朝から深夜までという感じだった。それに比べると半分しか働いていない様なものだ。この期に及んでこんな事を言っているのはいよいよこの会社(親会社が世界企業だから潰れはしないだろうが)・・・この博物館部門は切られそうになってるのではないだろうか。
 7月はブルース フェスティバルでこれまたメニューは簡単だが忙しい事は忙しかろう。しかし8月以降はどれだけ忙しさを維持できるのか分からない。