エッセイ2012年4月


262.7年目ともなると

(4月10日更新)

 ウエブ上のキャパシティを計算しつつ新年度の目次を作っての更新だけに余計遅くなってしまった。去年まではそんな事まで考える必要はなかったが、考えてみるとこの日本語ページを始めてからでももう7年目。ページ数も膨れ上がって当然だ。いい加減古いページは全部消してしまえば良さそうなものだが新しくこのサイトを訪れてくれる人も少しはいるようで「この人何者?」みたいな疑問に答える為には行ける所まで行くかくらいの気持ちだ。新しいサイトをもう1つ作って例えば一番重い写真ギャラリーとかを移動しようかとか色々考えてはいる。写真に関しては今でも誰も見たがらないだろうものの拡大ヴァージョンは徐々に削除しているが、本当はそれだって復活できれば言う事ないし、何より新しい写真もたまにはアップしたい。
 という事で今回何の内容もない状態で恐縮だが、これだけの文章で更新してみる。問題なく更新できれば次回は少しましな話を。


263.日々雑感

(4月20日更新)

 次回はましな話と書いた手前、特に目新しい事もないので逆に更新するチャンスがないまま4月もとうに後半に入っていた様な状況。先週末には久しぶりに400名近い宴会が戦争博物館であって大変だった。それは、戦争博物館には文明博物館の様な設備があるわけでは無いから普通にオーブンで暖め、一皿ずつその場で盛り付ける昔ながらの方法を取ることになるからだ。来る月曜日も同じ戦争博物館で300名ほどの宴会があるが、こっちはビュッフェ形式だから大したものではない。
 こうして書いているとそれなりに忙しそうだが、実際には100名以下の小さな宴会が圧倒的に多く、それすら数が少ない。ここに来てようやくオタワの会議宴会場など新設のライバル達の影響がもろに出始め5月、6月はともかく、先細りになるのは目に見えている。正直進退を考える時かと思う。逃げ出せる人間は気楽で良いと批判されそうだが、こういう状態では多少他の人より給料を貰っていて、マネージメントには参加していない私の様な立場は会社にとっても有り難くないだろうと思う。来年、再来年とどんどん厳しくなるのでは無いだろうか。去年はノンストップと言って良かったし、数年前には毎日数件の宴会が入っていた。そういう時なら私の様な人間が重宝されたものだが。戦争博物館の戦車に囲まれての宴会は個人的にどうかと思うけれど、文明博物館のトーテムポールの下や古いカナダの町並みに身を置いての宴会ならそれなりに面白く、これからも需要はあるだろう。
 しかし純粋にバンケ・・・宴会場として考えるなら、上述の戦争博物館の不便さは言うまでもなく、幾ら機械設備が整っていても専門の宴会場には敵わないと言う事だ。あくまでも博物館として建てられたビルディングなのだから巨大な建物も料理の移動には非合理的な作りで逆にマイナスになるのは否めない。
 更に悪い事に、レストランに代わって新設されたビストロがマスコミで低評価を受けたりして売り上げものびていないのが追い討ちを掛けている。宴会のメートル・ドテルであるベテランのスザンヌなどは「Nakiのレストランはメニューも好評だったのにねえ・・・」とあたかもジョルジュのメニューにも問題があるみたいな事まで言い出したが、まさかそんな事はないだろう。ジョルジュ・ローリエの料理ファンは今でも大勢いるし、私自身彼には到底及ばないと自覚している。ただ、ビストロ メニューでは彼の実力を活かしきれないかもしれないが。まあ夜を中心にやっているヒューゴは抜群の腕だが、ビストロ専属の他の料理人はちょっと力不足かと思える。
 ヒューゴはカナダ料理人協会(今は協会員2人の推薦が必要と言うので私も推薦人になった)にも入り、つい1ヶ月ほど前も協会主催のコンペテーションに出たりして張り切っている。頼まれてマンツーマンで特訓に付き合ったが、私のアドヴァイスなど無くても自分で答えを見つけられる男だ。今回のコンペテーションは流石に勝てはしなかったが、凄い料理人をいっぱいみたし、取り合えず最後まで作れたと言っていた。わざわざその事を報告するのは、私が「それだけは・・・」と何回も繰り返しておいたからだ。途中で時間切れになっては絶対後悔だけが残るだろう。こういう若手がもっと沢山いればカナダの料理界、特にケベックの料理界もどんどん面白くなって行くのだろうけど。
 何か仕事に直結した話はこの所暗い話題ばかり。次は数日中にも少し仕事と無関係の話を書いてみたいと思っている。

264.職業病?
(4月28日更新)

 先月25度まで上昇した気温がまたぞろマイナスに転じ、数日前には朝起きたら雪が積もっていた。毎年の事とは言え、この時季は暑さと寒さをしつこい程交代で上下した後夏に変わる。秋にも同じ現象で冬に変わる。前日と翌日では最高気温が20度以上違う事も珍しくないのだから余程自己管理していないと体調を崩すのは当然。病欠者が一段と増える時季だ。
 私は病欠どころか身体的理由で仕事を休んだ事は、学生時代のアルバイトも含めただの1度も無い。これはまあ自慢しても良いのではなかろうか。学生時代のアルバイトの話が出たついでだが、以前にも何度か書いた様に私が初めて調理場で仕事をしたのはペンションでの夏のアルバイトだった。そのまま何となくはまってしまい、ペンションへの遠征?が終わって東京に帰ってからも飲食業のアルバイトへと。あれは1982年の夏だったから、初めてプロの調理場と言う所へ潜り込んでからこの夏で丁度30年と言うことだ。その時は一生の仕事になるなんて思ってもいなかった。20年もやってるという先輩の話を聞くと割合飽きっぽい私には信じられなかったものだが、気が付くと多くの同僚、先輩、後輩が転業して行く中、ずっとこの業界に身を置いてきた。考えてみると飽きさせない仕事と言う事なのかもしれない。
 「長い事やっていると、職業病の様なものもあるでしょう?」と聞かれることがある。別にそんなものはないのだが、最近よく感じるのは、掌の皮が厚くなったなということくらいだ。普通の人が一瞬触っただけで火傷するようなものに触っても短い時間なら耐えられたりする。それは確かに便利なのだが、例えば髪の毛のようなもので掌をつついても感じない程感覚が鈍っている一面もある。子供の頃左利きから右利きに矯正した関係で比較的左手もよく使うから左右の掌ともこんな感じだが、やはり現在の利き腕である右手の方が顕著で、左手の掌の方がまだ物に触れたときの感触がよく伝わる。勿論逆に言えば、熱い物に触って火傷する率は高い。
 しかし、こういった身体的なものより、同じ仕事を長年やっていると外見に出るものなのか、例えばワインなど買いに行っても、別に何も質問もしないのに「あんたシェフだろ?」なんて聞かれたりする。「あれ?何処かでお会いしましたっけ?」と聞くと「いや、でも見ればわかるよ」などと言われたりする。以前一緒に仕事をしていた年上の部下などは「Nakiは良いよな。俺なんかNakiよりずっと年上だけどトック帽を被ってもシェフに見てもらえない。Nakiは私服でもシェフに見えるもんな」とか言っていた。かつて有名シェフが「私服の時料理人だとばれるような奥行きのない人間になっては駄目だ」と言うのを聞いたことがある。本当にそうだと思う。そう考えると・・・・うーん、複雑な心境だ。