エッセイ2012年3月
259.震災から一年
(3月11日更新)
3月11日・・・言うまでもなく昨年の大震災から一年である。カナダでも地震はない事はない。2,3年前にはアパートに帰ると本棚が倒れていたくらいの地震があった。しかし、その時でさえ皆が「今の揺れたなあ・・・」とか話し合ってるのに寝不足のマイケル(当時の総料理長)が気付かなかったくらいの規模だったから大した事ものではなかった。その程度の揺れなど日本では日常茶飯事。私が休暇中の短い滞在でも日本では同規模の地震が何度かあったくらいだ。当然日本に住んでいればこの程度では倒れない様本棚などはしっかり固定していなければ話にならない。そんな風だから我々は小さな地震くらいではパニックになる事もないが、カナダ人の殆どにはまるで想像もつかない世界に違いない。現に昔日本に仕事で訪れた政府関係のお客様と話した時、「日本という所は私には是非とももう1度行きたい国なんだが、滞在中に小さな地震があってね。ホテルの部屋で僅かにぐらっときただけだったが、一緒に行った家内は2度とこの国に来たくないとか言い出して・・・」と苦笑していた。この話をした数ヵ月後にあの大震災が起きたから、件の奥様はその気持ちを強めたに違いない。
地震、津波だけで十二分に悲惨だったと言うのに追い討ちをかけた福島の原発・・・。しかしあの地域で災害が起これば当然考えられる事態ではあった筈。未だにあんな危険な燃料が文明を維持する最大のエネルギー源だという事自体恐ろしい話ではある。
そうやって見ると文明とは結局不自然な方向に向かうものと言えるのかもしれない。食の世界で言うなら、遺伝子の組み換えなどで長持ちする農産物などが増えてきたが、果たして何か見えない弊害が出ていないかと感じる。狂牛病やら鶏インフルエンザが近年になって急に出てきた事と関連がないと言い切れるかどうか。少なくとも本来草食の牛に共食いの様な骨粉を与えた事などは、どう考えても良いことだったとは思えない。
しかし何でも自然に帰れば良いかと問うならそう単純なものではなかろう。例えば農薬など悪であるかの様に言う人も多いが、実は人体への影響で言えば無農薬の方が危険だったりする場合が多い。外的から身を守る術を持たない植物には体内で農薬の何倍も毒素の強い予防物質を作り出す事さえすると聞く。
何にせよ文明など1度前へ進み始めたら簡単に後戻りなど出来るものではない。調理場だって機械だらけの時代だ。どの部分は伝統を守り、どの部分は革新を求めるのか。去年の今頃の私は丁度博物館のテーマに乗る事を考え、「日本、伝統と革新」のメニューを作っていた。結構今まで述べたような事も考慮して作ったが、まあお客様の需要を考えないと意味がないので理想どおりとも言い難かった。でも本当はお客様が求める料理と上記のバランスの取れた料理が一致する事こそ理想だろう。
今も日本の農産物に対する放射能の汚染不安は世界から消えていない。起きてしまった災害より、これからの事を考えるべき時期。そんな事を思いながら少し真面目に書いてみた。
260.この時季は止むを得ないが・・・
(3月20日更新)
全然更新しないのでさぞや忙しいと思われるかもしれないが、やはり3月は例年1月と並んで1年で最も暇な月。去年のこの時季はレストランを1人で切り盛りしていた為に営業成績はともかく結構暇なしだったが、宴会は3月も終わり頃に少し大きなものが入ってくる程度で、後は試食やら小さなパーティばかり。それさえも大したものではない。
この会社に移ってからはマネージャーとして経営陣に加わっている訳ではないので私は気楽だが経営陣は全員ピリピリしているのも無理は無い。ジョルジュの名声で飛躍的に売り上げが伸びる事が期待され、事実就任直後にはご祝儀の様に多くの宴会が入った。しかしライバルの宴会場も増え、景気も落ち込んでいる昨今、1人のシェフの名前くらいで宴会の予約まで入れてくれるほど甘い時代ではないだろう。そんなのは単独のレストランでのみ通用する理屈。数百人分の料理を少ないスタッフと機械に頼って提供するとなれば、期待するほどの料理は望めないのが現状だ。日本ならこの客数に対応する為に十分な調理場スタッフを用意し、その能力も高いだろうが、力を注ぐ部分がまるで違うのだからこういう結果になる。
正直私としても一皿一皿丁寧に作るレストランが懐かしい。まあ4月からは少し忙しくなってくるだろうし、取り合えずこの調子でやっていくしかない。
261.ジュノー賞候補者達を囲んで
(3月31日更新)
カナダ版グラミー賞であるジュノー賞を2日後の日曜に迎えるが、その候補者達を囲んでの1000人規模の集いが昨晩当博物館の大広間で行われた。久しぶりの大規模な宴会だった。
実際休暇後新しい仕事を見つけて殆どそっちに専念しているデービッド・ブラウンも久しぶりに参加。彼と会うのは何とBal de neige開幕パーティ以来2ヶ月近くぶりだ。
立食パーティなので3箇所に設置されたバーによる飲み物が主体。当然我々の担当はおつまみであるアミューズ ブーシュだけだ。しかしアミューズ ブーシュだけと言うのは実は一番大変なのだ。正直言ってパーティによっては既製品を使う事もあるのだが、1000人のお客はミュージシャン等芸術家が殆ど。こちらも全て手作りのアミューズを出すとなるとそれぞれのアイテムを1000個、2000個と言った単位で作っていく事になるのだからちょっと考えても楽でない事は分かっていただけるだろう。1つ1つちゃんと料理と同じ工程で仕上げられていても1口・・・1秒で口の中に消えていくのがアミューズ ブーシュだ。こんな時季で余計なスタッフは雇われていないからデービッドを加えても私を含めほんの5人ばかりで何千個ものアイテムを作ったわけだ。キッシュなども1口サイズとなると作りたてでなければ美味しくないので、現場をデービッドに任せて私は基本的に調理場に残り、タイミングを計って追っかけで少しずつ調理して補充する様にした。これが結構言うは易し行うは難しだ。途切れさせてもいけないし早く調理し過ぎては台無し。そうしたアイテムが何種類もあり、それぞれに調理時間も異なるから、万能調理機械にも頼れず、普通のオーブンなどと併用した。帆立のベーコン巻きなども周りのベーコンは十分火を通して帆立自体はミキュイ(半分生の状態)に留めようと思うとわりと難しい。忙しいと言うより、神経を使う立場だった。
結局昨晩は成功裏に終わったが、来週はまた小さな宴会が数件あるだけ。去年のノンストップな1年と比べ、大丈夫か、この会社はと言う感じだ。勿論大会社の一部であり、ここの売り上げが減れば他所の売り上げで補充するシステムだから会社そのものは揺らがないのだろうが、マネージメントに参加している幹部は責任を問われるだろうから顔つきが険しくなっていくのも無理はない。