Essai 2011年12月


250.フィクションの中の厨房(その1)。

(12月5日更新)

 結局先月は1回しか更新しないで終わってしまった。例年通りのボジョレーヌーボー解禁がらみの話など途中まで書いたりしたのだが、サイトのキャパシティを考えて少し初期の年のエッセイを削除したりするべきかとか色々考えているうちにとりあえず更新控えという安直な方法に落ち着いてしまった。本来なら写真なども色々アップしたいところではあるのだが。
 まあ今は文章だけの軽いファイルで更新していく事にする。
 250回と言う限の良い数字。150回の時、200回の時も実はこのテーマで1度書きたいと思っていたフィクションで描かれる料理人の世界について今度こそ書く事にする。ただ1回で収まる内様とは思えないので、これはシリーズ化して時々続けてみたい。
 フィクションの中で自分の職業がどう描かれているのかと言う興味からか、特に西洋料理をテーマにしたものだと小説(は、あまり見かけないが)、漫画、映画、テレビドラマなど何でも覗いてみたくなる。DVDなども日本からAmazon等を通じてしばしば取り寄せたりする。
 まず取り上げたいのはそんな方法で入手したDVD boxのテレビドラマだ。これだけでも1回ではとても終わらないと思う。父親が映画監督である為、子供の頃からそんな世界と関わりあいを持ち、門前の小僧よろしくドラマや映画を観る際には結構色々な事が気になる。
 つまり単にストーリーがどうとか、ましてや出演している俳優で良し悪しを決める事は無く、脚本、演出は勿論、カメラの位置すら気になって仕方が無い。いや、特に料理がテーマになっている作品の場合、カメラの場所の影響は大きい。ウニの殻の中から食べている人の覗く顔を映したり、同様に冷蔵庫やオーブンの中から撮る絵も面白い。脚本についてはやはりオリジナルだと力のある脚本家の場合より良いものが出来ると思う。原作が有る場合は、原作のどの部分を残し、どの部分を変えるかという点が問題になる。これは脚本家が1人で決めるのではなく、色々な所から様々な要望があって決まっていくものなのだろうが、時に視聴者との間に温度差が生まれて、つまらないものになったりもする。
 とか何とか書いていると、どうもこのイントロダクションだけで今回は終わる事になってしまうようだ。と言うのも、11月は1月以来の暇さであったが、12月に入ってからは1日からずっと忙しく、今日も明日も朝早いので。


251.最後のブランチ。

(12月18日更新)

 いよいよレストラン「カフェ・ド・ミュゼ」も今週を持って閉店。ブランチは今日が最後であった。私もレストラン料理長としては完全に御役御免である。新しいビストロのオープンは少しずれるが、定連のお客様には必ずといって良いほど「貴方はビストロに移るの?」と言う質問を受ける。新しい店はレストランより簡易メニューのビストロだしメニューは100パーセントジョルジュのもの。実の所私が行く予定は全くない。おそらくアランが責任者という事になるだろう。しかし、そう応えるのも味気ないし、少しは手伝う事もあろうから、「ええ、まあ。おそらく」くらいにお茶を濁している。
 最後のブランチメニューはジョルジュが休暇中でコストを煩く言ってこないのを良いことに多少アイテムを増やした。クリスマスの時期だし、最後だからまあ会社も大目に見てくれるだろう。
 この2週間で多くの定連さんが来てくれ、特に2週連続で来てくれた方々も何組かあった。実際最後にふさわしく忙しいブランチであった。数ヶ月前から定連になって下さったフランス系のご家族はご両親と男の子、女の子、男の子の順に3人兄弟の子供さんがいらっしゃるのだが、どうも一番下の小さな男の子の意見が優先されて毎週の様に来てくださっていたような様子だった。実際、上の子2人は私もろくに顔を覚えていないくらいだが、この末っ子は来るたびに私の前に張り付いて、「ムッシュ、オムレツ下さい」「ムッシュ、クレープ下さい」は勿論、ケチャップやら飲み物やらカトラリーやら全然調理場と関係のないものまで私の所に言ってきて、オムレツを焼くのをじっと見ている可愛らしい子だった。オムレツにしても「今日はこれとこれを入れて・・・」とか色々なヴァージョンを楽しんでいて、まだ小さいのに中々のグルメだ。こういう食べる事の大好きな子は大きくなって飲食業界に入ったら成功すると思う。
 最後に何とその子が私にプレゼントを持ってきてくれた。勿論ご両親が用意した物だが、やはり彼が渡す役にふさわしいと判断されたのだろう。いや、書いていると活発な子の様だが、本当ははにかみやで、一生懸命勇気を出して渡しに来た感じがまた可愛らしかった。
 子連れの定連さんは他にも何人もいたが、ファミリーレストラン以外のレストランで子供が歓迎される日曜日のブランチという習慣は良いと思う。食事の思い出というのは残る。彼等、彼女等が大きくなって、家族で過ごしたブランチを思い出しながら、また自分の子供達を連れて日曜日に出かけていく。無駄を無くすのが難しいブランチは儲からないかもしれない。フジェールの様にアラカルトのブランチと言う手もあるが、色々食べられる日本で言うバイキング形式がブランチの魅力の1つでもある。この博物館ではもう新しいビストロでもブランチをやる予定は無いようだが、レストランを文化と考えると、欧米にこの習慣は残り続けて欲しい。


252.今年もフジェールのトルティアを。

(12月25日更新)

 少し更新頻度を戻して行きたいと思っているので特筆する事も無いがクリスマスの今日更新してみる。今年はクリスマスが日曜日。世間の人には嬉しくない話だろうが、我々の仕事にはあまり関係無い。しかし先週が最後のブランチであった為今年はクリスマスイブ、クリスマスと連休だった。明日の月曜は閉まったばかりのカフェ・ド・ミュゼで小さなクリスマスパーティを1人で引き受ける事になっているが、昼間のパーティでメニューも簡単なビュッフェだ。25日を過ぎても未だこちらのクリスマスシーズンは終わらない。年が明けてからも新年会ならぬクリスマスパーティが組まれる事も珍しくない。
 例年通りチャーリーとジェニファー、それにジェニファーのお母さんの3人で自家製のトルティア(ケベック州のパイの一種)を届けにきてくれた。例年通りと言いながら、大抵何時もクリスマス出勤の私が留守の間に来て置いて行ってくれるのだが、今年は休みだったから本当に久しぶりに会えた。今年は茸のトルティア。新しい工場がレストランに併設されて一年程経つので、フジェール自家製トルティアその他の製品はかなりあちこちのスーパーなどで見かける様になった。○○シェフプロジュースとか言う種類の物では無く、レストランの隣に工場を作って全部自分達で作っているのだから大したものだ。私が彼等の誘いでこの地に来たのはもう15〜16年も前の事になるが、来たての頃はパイ生地も普通の麺棒で引き伸ばすくらい原始的な方法で作っていた。それが注文殺到ですぐ電動の機械を導入したりして更に需要は増えていき、調理場もサーヴィスも総動員で残業して作っていたのも今思うと大変ではあったが中々楽しい作業だった。やがてレストランに小売の店が併設され、今や工場まで。流石にロンドンにあった英国御用達文具会社の息子と元カナダの駐米、駐英大使の娘のカップル。見事な事業の推移だ。