エッセイ2011年7月


237.噂のロイヤルカップルも。

(7月3日更新)

 今年はカナダの建国記念日である7月1日が金曜日だった為、この3日間は大型連休で滅茶苦茶忙しかった。1日の建国記念日当日は昼も忙しかったが夜はこのレストランがオタワ川の花火を見る絶好スポットとして知られるだけに、125ドルの高級ビュッフェでありながら、賑わいを見せた。夜の10時に花火が始まれば、こっちも休憩状態だから、一銭も払わずに最高スポットで花火を見る役得に恵まれ、写真も大分撮ったが、先々月述べた事情で、写真の様な重いデータをアップするとサイトの容量を超えると思うので紹介できないのが残念だ。近々何とかしたいと考えているが。
 そもそも1日の朝はあの英国のウィリアム王子とケイト王女のカップルが来るかも知れないと言うので、博物館の駐車場まで閉鎖して大変な騒ぎだった。ヒューゴなど興奮して「来ますよ。女王(王女だろ)、このレストランに。日本-伝統と革新-メニュー頼んで、シェフに会いたいとか言って、Naki一気に有名人ですよ」などと言っていたが、「かけてもいいが、博物館はダミーだ。あっちこっちにそれらしい警備をしいて、全然別の所へ行くだろう。万一来ても、ジャンプすれば辛うじて見れるくらいの距離で見れればラッキーだよ」と答え、実際全く来なかった。いや私はある筋からここには来ないと言う情報を得ていたのだが、さすがにそれについてはここで書けない。
 2日は勿論翌日は平日となる連休最終日の日曜のブランチさえ100名を超えるお客様で賑わった。3日間天候にも恵まれ、お客様達にとっては良い週末になったと確信している。皆気分がハイになっているので、料理へのお褒めの言葉も随分頂き、我々としても嬉しかったが。


238.メニューを考える時。

(7月12日更新)

 今はとにかく平日が毎日忙しい。先週はとくに水曜日以降は連日ランチ40名を越える盛況。夜のパーティも何軒か入った。夜はともかくとして昼は例えば52名お客様が入ってその内予約は4名のみ。つまり予約なしが48名。町場のレストランではまずあり得ない事だが、これはツーリストが客層の中心である事を意味している。実際世界各国から来ている様だ。まさに一期一会。旅の思い出で食事が占める割合は少なくない。また宗教的、文化的、体質的に食べるものに様々な制限もあるので色々工夫も必要になってくる。
 今日は9月の宴会の試食会もあったのだが、日本食メニューだった。実際の所日本食だからレストランで担当するのではなく、相変わらず試食会は我々がやっている状況だ。先週など忙しい日に2件も試食会があり、準備は宴会のハイディが責任持ってやるからとマニーに聞かされていたのに、当日朝出勤すると、見事に何も準備していない。前日のうちに作っておいたのはデザートのマンダリンオレンジ風味のクレムブリュレのみだと言う。結局殆ど全て私とヒューゴで準備したが、何といざデザートを出す段階になってヒューゴが「Naki、これって・・・」と絶句しているので見ると、何とそのクレムブリュレが表面はカラメリゼ(砂糖をかけてその場でキャラメル化させる)する前から茶色に焦げている。まあカラメリゼすれば隠れるからと砂糖をかけてヒューゴが器を傾けるとクリームも傾くと言う状態。「え?」と私も驚いて余分に作ってあった分を逆さにしてみたら完全に液状だった。つまり全くカスタードにすらなっていないのだ。表面は茶色で中は液体のままと言うのは余程の初心者でもやらない最悪の火加減で作った事を意味する。後で本人に問いただすと、「努力はしたんだけどね」と言うおよそシェフと言う立場の人間の台詞とは思えない回答が返ってきて唖然とした。何れにしてもまさかスーシェフクラスがこんな基本的なデザートを失敗するとは予測していなかったから、この段階で気付いても間に合わず、そのまま出さざるを得なかった。勿論奇跡は起こらずお客様からしっかりクレームが付いた。マニーに言うと「全く、給料分の仕事をしない奴っているもんだよな。え?Naki」と慨嘆していた。
 話は逸れたが、今日の試食会は和食と言う事で、これはどう転んでも私の仕事だろう。メニューも私が作った。伝統的日本料理をと言う注文だったが、80名のグループでお客様自体は日本人では無く、今回の「日本-伝統と革新展」に出資しているモバイル機器のブラックベリー社の関係だそうだ。
 ターゲットの客層と、何を求めているか等で大きくメニュー作りは左右される。今レストランで提供している「日本-伝統と革新メニュー」の場合、“Théme menu”(テーマメニュー)と銘打っているので伝統の部分を残しつつ革新的な点も打ち出す為フュージョン的になっている。前菜の寿司に米以外にキノアを加え、合わせ酢にバルサミコを加えて、海苔と大豆のラップの両方で包んでみたり、メインの天麩羅には甘酢ソースがかかっていたり、デザートは抹茶や餡を使ってもクレムブリュレにしていたりといった具合だ。先月日本大使館の方々が4人で来て全員このメニューを注文されたが、「日本人向けに作ったものでは無いのですが」と苦笑して説明した。これが今回の様に「伝統的日本料理を試したい」と言われれば、もっと割烹経験を活かしたメニューになるのは当然だが、相手が日本人でないとなると多少考慮すべき点は変わってくる。寿司はやはり入っていないと納得してもらえないので、突き出しに、ただし内様はごく普通の巻き寿司として。二番目はお吸い物につみれ・・・これは日本に行って、会席料理を食べた事がある様な人も当然いるだろうから、「そうそう、和食のコースはこんな感じだった」的な納得はしてもらいたいし・・・とか色々考える。勿論いつもこっちの考えどおりに運ぶとは限らないが、迷って出すのは一番味に出てしまうから、自分の考えで作っていく。特に試食会の場合、お客様の希望は食べてもらってから出してもらえば良い訳だから。
 宴会営業担当のアニーが「箸を用意しておいたから」と言うので見ると中華料理の箸。お客様からも「これは中華の箸だ。本番では和食の箸を用意してもらいたい」とクレームが付いた。今時の世界のビジネスマンは和食も中華も結構通なのだから、こんなごまかしは効かない。


239.ジョルジュ・ローリエ氏の帰還。

(7月17日更新)

 ここの所また暑い日が続いている。今日も最高気温31度だが、来る週特に木曜日には予想最高気温38度まで上昇するそうだ。当然夜も熱帯夜となるだろう。ただ今年も猛暑の夏と言う訳では無いので、暑さがずっと継続する事は無く、何日か暑い日が続けば、また少し涼しくなったりの繰り返しだ。
 去年同様7月は戦争博物館の中庭で行われるブルース フェスティバルの出店。宴会メンバー達はそちらに行きっぱなしで、文明博物館では小さな宴会はあるものの、マニーや私達が引き受けている。
 何とつい先程のニュースで今晩の雷雨の影響でブルース フェストの大舞台が崩壊したと言う。幸いそれ程の大事故には繋がらなかった様だが、勿論怪我人は随分出ただろう。まったく何処で何があるか分からない。

 ところで正式に決まるまではと思って書かなかったが、一昨日空席になっていた総料理長のポジションにジョルジュ・ローリエ シェフが来月帰ってくる事になった。マニーは家族が第一と言う男で、今でも一時的に無茶なスケジュールで働いているのにストレスが溜まってるようだし、彼も一日中自分で調理場に立ちたい様な人間だから引き受けないとは思っていた。今の宴会部門はかなりがたがただし、ジョルジュの強力なリーダーシップは歓迎すべきだろう。彼は(ウエイクフィールドの時もそうだったが)「もう料理を作るのは疲れた」とか言ってRationalに転職した訳だが、何れこの仕事に戻るだろうと思っていた。ジョルジュの様な天性のシェフにとって、この仕事は麻薬の様なもの。しばらくすると禁断症状が出ると分かっていたからだ。しかし、博物館に戻ってくるとまでは思わなかった。
 因みにアランもこのポジションに応募していたと言う。ヒューゴが、「彼は料理のセンスがイマイチですからね。シェフ経験は豊富で仕切るのは問題なくても、採用されないで正解ですよ」とか嘯いていた。別にアランと仲が悪い訳でも無いのに、事料理に関してヒューゴは手厳しい。確かに単なるハッタリではなく、才能が光ってはいるが。
 そう言えばアルゴンキン調理師学校からの研修生の1人が、「ヒューゴが、この博物館で《料理の鉄人》形式の勝負するなら、ちょっと勝てないかもと思うのはNakiとマニーだけ、と言うから、アランは?と聞いたら、アランなら何時でも勝負してやるとか言ってましたよ」とか言っていた。日本人のとんがった職人みたいな奴だ。マニーと私は強敵と見てくれて光栄だが(笑)。
 ヒューゴは本当アジア好きで2度もタイに研修に行ったり(当然タイ語もかなり堪能)、中国や周辺国も随分訪れて、日本にも修行に行きたがっているくらいだから大分考え方も影響を受けているのかもしれない。忙しくなれば、休みゼロで出勤するのも厭わない所もカナダ人(彼等フランス系は比較的料理には真面目な子が多い点は考慮しても)らしくない。
 しかし先週、今週とヒューゴには2連休を取ってもらうことにした。本人はそれこそちっとも希望していないが、残業時間が長すぎて会社、組合がうるさいのだ。私自身だってここではあえて年棒で契約していないから、休めるものならもっと休むのが望ましいのだろうが、事実上難しいだけだ。


240. 久々に大宴会を仕切ったが・・・

(7月25日更新)

 土曜に行われた中国人カップルの伝統料理による結婚式は2度の試食会を私がやった事でもあり、私が担当する事になった。そもそもご当人達にも「本番は貴方が仕切ってくれるのですか?」と聞かれて「はい」と答えてしまっていたし(苦笑)。
 それにしても12コースにも渡る中国の伝統料理なんて、中華の経験ゼロの身には厳しい。確かにチャーハンなどは日本の料理の一部になっていて鉄板焼きなどでも作っていた事があったし、デザートの小豆のスープは要するに汁粉と同じ。その他の料理も含め少なくても他のスタッフよりは馴染みがある事は確かだ。
 しかし170名20テーブルと聞いていたので、中国式に各テーブル大皿2つずつで用意したのに、最初の豚の丸焼きとクラゲの冷製を出した時点で「2皿足りません」とサービスが言ってきた。「そんな筈は無い。20テーブル分ちゃんと作ったぞ」と言うと「21テーブルです」との返事。大広間を使っての宴会だが座席表を見ても20テーブルしか書き込まれていない。別の宴会を仕切っているマニーに無線で連絡を取ると「俺は10回も20回も確認したんだぜ」との返事。通常の宴会なら当然料理を多めに作るのだが、今回は原価率が異常に高く、極めて儲けの少ない宴会。最初のコースの豚の丸焼きもだが、鶏を丸ごと揚げる料理も足りない。更にぎりぎり予備を用意してあった鮑の缶詰も全部使ってどうにか足りた程度。そもそもこの鮑、異様に高価でフォアグラより余程高い。何故ならカナダでは種族保護の目的で生の鮑の流通が違法とされているからだ。最初のコースである豚の丸焼きは言うまでもないが、鶏も一部のテーブルは2羽の所1羽半ずつにしてもらうしかなかった。この宴会全体の責任者であるコンパスグループのマキシーンが「Naki、俺が鶏を買いに行ってきても駄目かい?鶏は未だ大分後のコースだろ。」とか言ってきたが、丸ごとの鶏を切り分けもせず(1回目の試食会で切り分けたものを出したら、「伝統と違う」と言われたので)出すのだ。5分やそこらで作れる訳が無い。から揚げじゃあるまいし。鮑についてもサービスを集めさせ、私が「皆プレッシャーをかける様で申し訳ないが、鮑は非常に高価で、テーブルが増えた緊急事態から予備も無くなった。落としたりした人は今日はただ働きだと思ってくれ」と宣言した。勿論私にサービスの給料を云々する権限など無いのだが(笑)、せめてこれくらい言っておかないと危なっかしくて仕様が無いのだ。
 サービスも酷いが、なるほど宴会調理場スタッフも噂通りだ。ハイディは数日前についに更迭され、今回もう1人のスーシェフ、デービッド・ブラウン以下10名が私の指揮下に入ったが、デービッドは今回は私の仕切りだから遠慮していた事はあるだろうが、その他のスタッフは一々指示しないとボーっと突っ立てるだけと言って良い。去年からいるスタッフは皆マニーの宴会に廻った為、10人全員初めて私と一緒に働く者ばかりだったから、誰がどれだけの力量を持っているかは知らないが、率直に言ってデービッド以外はどんぐりの背比べと言う印象。これではヒューゴやムサが呆れる訳だ。
 こっちはブランチの準備もあるし、他の子たちが昼過ぎにのんびり出てきたのに対し、早朝から出勤し、また深夜近くまでやって翌朝も早朝出勤だと言うのに、疲れさせてくれる。久しぶりに大きな宴会を仕切っても高揚感はゼロだった。
 正直な事を書くと、中国の伝統料理なら中国のケータリング会社に頼んで欲しかった。場所だけ提供して外注と言うのは問題なく、数年前までは外注率も高かったと聞く。多少の事なら外国料理も作るし、和食なら任せてもらって構わないが。事前にマニーにその事を言うと「全くだよな。Nakiが日本式の料理で結婚式やるとして、フランス料理の店に頼むか、普通?」と言っていた。何でも引き受ければ良いってもんじゃない。


241.カナダの料理人にあえて言いたい事。

(7月31日更新)

 今年はブランチの今日が私の誕生日だった。去年は大広間の結婚式で朝から晩まで働いたから、それに比べれば楽ではある。しかし明日の月曜日が市民の日で祭日だから予約は日曜の朝の時点でも未だ50名弱ではあったものの当然忙しさが予想されたから朝は一段と早かった。実際約100名のお客様がいらっしゃったが、何故か前半に集中し1時以降は殆ど新しく来る方はなかった。外のテラスも全開でありながら100名弱だった事もあって多少はテーブルに余裕があるままで、実感としては70名程度の喧騒だった。誕生日に来てもらう?には十分な人数である事は言うまでもないが(笑)。
 まだまだ去年に比べてサーヴィス陣の手際が悪く、毎週調理場の仕事は早めに済ませ、サーヴィスの方をチェックし、必要な所は自分で手直ししたりしている。これもあって朝早く始める必要があるのだ。そうかと言ってあまり私がやり過ぎると尚更進歩しないので、気付いた点はどんどん言って彼女等にやってもらう様にはしているのだが、実際それでは間に合わないので止むを得ない。
 もっともレストランのスタッフは人間は皆良い子ばかりだから、今日も仕事終了後に私の誕生日を祝ってくれた。ヒューゴはプレゼントまで用意して、カードに「シェフNakiの下で働けて本当に光栄です。毎日新しい事を覚える様です」と照れる様な事が書いてあった。普通なら歯の浮くような・・と苦笑する所だが、彼は事実首都圏で一番待遇が良い事で有名なカジノのヒルトンホテルを始め、3件ほど博物館よりはるかに待遇が良い所を蹴って、勉強したいからとこっちに来てくれたのだから真実味がある。私で教えられる事は全部教える義務があると思う。大体彼はお父さんもシェフで子供の頃から調理場に入っていた事もあって、才能では私など全く敵わないだろう。
 それにしてもカナダ人の料理人なら10名に9名は目先の条件で仕事を選んでいると思うが、ヒューゴの様に先の目標の為に勉強しようとする料理人を見ると安心する。前にも書いたかもしれないが、私も若い頃当時の料理長から「今のおまえ程度でも倍以上の給料を出すと言う店はある(*この頃はまさにバブル最盛期だったから本当にそんなおいしい話がいくらも転がっていた)。しかし目先の条件で他所に移ればおまえの成長はそこで止まる。後はその大したこと無い技術のまま、そこまでの職人として生きていくしかない」と言われた事があった。その時は大袈裟な・・と思ったものだが、今のカナダの料理人達を見ると成るほどとこの言葉を思い出さざるを得ない。私と大して年齢も経験年数も変わらない(時には私以上の年齢、経験年数の人も含め)料理人でも、ある時点で止まったままの技術で限られた料理を特に新しい工夫もせず引退まで作り続ける人達が本当にいる・・それも少ない数ではなく。
 私など日本に帰れば、よくこの程度でシェフでございと言っていられるなと馬鹿にされる様な能力しかないだろう。そんな人間がカナダでは有能なごとく扱われてしまうのもこの為だ。日本の料理界は町の定食屋さんや洋食屋さんは言うまでも無く、立ち食い蕎麦だってちゃんと出汁から引いたりするくらいレベルが高い。東京のミシュラン三ツ星レストランの数がパリより多いのには理由がある。