エッセイ2011年6月
235.去年とは違い・・・
(6月20日更新)
6月になって全く更新しないうちに20日になってしまった。6月は確かに最多忙期ではあるが、実際は去年に比べて大した事ない様だ。近くに大きな宴会場が出来た事も影響しているのだろう。去年は毎日あっちに600人、こっちに300人、更に別の会場で150人と複数の宴会が入っていてほぼ全員参加の状態だった。しかも当時の私は宴会の責任者。最も忙しい立場で6月は休みなしの上週4〜5日は早朝から夜遅くまでというスケジュールだった。
宴会部門も前回の更新後ようやく2人の宴会担当スーシェフ、デービッド(勿論私の前任レストラン料理長のデーブとは別人)、ハイディがやって来たが、見たところ2人ともそれほど大きな宴会の経験は無い様で、Rational調理器に頼れる文明博物館内はともかく、戦争博物館の大宴会などでは2人ともまだまごついているらしい。こればかりは場数を踏んで身につけるより無い。ともあれ、宴会部門を仕切る人間が2人もいる以上私はレストランに集中していれば良いのだから5月より余程楽だ。勿論レストランも連日忙しい。前にも書いたが博物館内にあるレストランと言う性格上、特にシーズン中は予約をしないお客様が多い。予約無しで10名、15名と一般のフレンチレストランではあり得ない様な入り方もする。大きな宴会には私は参加しなくてもヒューゴを手伝いに廻したりしているから、その分もカバーしなくてはならないし。しかしそれをひっくるめても今月はレストランの方がはるかに楽なのは間違い無い。まあ、宴会も前述した様に去年とは比べ物にならず、大きな宴会が入ってもその晩はそれ1件ということが殆ど。まったく宴会が入っておらずミザーンプラスのみと言う日も結構あって2人の宴会シェフも去年の私と違い十分休んでいる様だ。私も週1日はほぼ休めるようになった。本来は週休2日だが、日本人としては週に1日休めれば十分だ。夜残る時も大抵自分のミザーンプラスの為のみに残るのだから何ということは無い。こうなるとカフェテリア宴会共用の大調理場と隔絶してレストランの調理場が別の階にあるのは寧ろ有難い。ただ大調理場はエアコンが効いているのはちょっと羨ましいが。
特筆する事はないが、いい加減更新しておかないと6月が終わってしまうので。
236.Trop cuisiniers gâtent la sauce.
(6月30日更新)
本来最多忙月として連日4〜5件の宴会で賑わった去年とはうって変わり、複数の宴会が入るのは週2〜3回程度だった。それでも宴会の調理場スタッフの数はともかく、シェフが足りないからと言って夜残って1件仕切らざるを得ない場面は結構あった。ヒューゴも別な宴会の手伝いに廻されたりしていたので、レストランの我々としては本来の仕事と合わせ十二分に忙しかった。
ヒューゴが戦争博物館に手伝いに行った時、前回書いた新スーシェフのデービッドとハイディが一緒だった様だが、相当酷い目にあった様で翌日しきりに憤慨していた。この夜は800名の卒業パーティだった為アランも居たが、デービッド、ハイディ、アランが3人それぞれに別々の指示を出し、スタッフは迷走。しかも合理的な指示でない為現場(戦争博物館の場合大きな調理場は無いので、大宴会の場合宴会場の一部に仮設作業場を構築し、盛り付け作業等を行う)の設営からして混乱。結果無駄な動きが多く、かえって仕事が遅くなったと言う。確かに話を聞いているだけでその状況は想像出来る。専門用語で言うとサービス動線が悪いと言う事だ。そもそもの問題はスーシェフ2人と言っても、本来どちらかが宴会料理長となる訳だが、2人とも最近ほぼ同時に来たばかりで誰が責任者かはっきりしていない事だ。この為存在アピールもあって無理やり自分が仕切ろうとする為こうなるのではないかとヒューゴは言っていたがそうかもしれない。「船頭多くして船山に上る」に似たこちらのことわざに「Trop
de cuisiniers gâtent la sauce(料理人が多すぎるとソースを台無しにする)」と言うのがあるが、これではそのままで洒落にならない。私が「2人とも戦争博物館のシステムに慣れていないだろうしな」と言うと、ヒューゴは「いや、2人とも宴会そのものの経験が全く無いとしか思えませんよ。デービッドなんかしきりに“皆機械になったつもりで早く動け、早く動け”と怒鳴っているだけで、何をどうしたら良いのか具体的な事は何も無い。あれじゃ経験の無い若い子達は動きようが無いでしょ」とにべも無い。この卒業パーティはヒューゴの年の離れた妹も出席者の1人だった事もあって、余程頭にきたらしい。
別な機会に私が引き受けた宴会で一緒に働いたムサも「宴会そのものもだけど、ミザーンプラスからして出鱈目なんだ。仕込みのリストも出来てないし、聞きにいけばそれぞれ“次はこれやれ”って言うだけさ。俺はマニーにもはっきり言ったよ。去年Nakiが宴会料理長だった時は仕込みのリストは勿論、誰がどの仕事をやるかまで細かく割り振っていたって。」
確かにその通りとすれば問題だ。いや、皆が同じ様にやる気もあり、ある程度他所で経験もありと言うのならどうという事は無いのだが、未だ始めたばかりの研修生や、調理師学校卒業したての子達の場合、最初に与えられた仕事を何時までものんびりやっていて先に進まない事になる。結果ムサやヴェズナなど、去年からのメンバー(ゴードンなど去年から居ても、その時点では一番のサボり魔で、それでも今となっては中心の1人となっているのをタイから帰りたてだったヒューゴは呆れていたが)が殆どの仕事を負担する事になるからだ。ある程度の全体的青写真を示し、見本を見せて新しい役割を任せれば、元々この仕事を志した若者なら大抵役に立つようになってくれると思うが、今は他所のセクションである以上そこまで口出し出来ない。別な指示を出す人間がこれ以上増えても混乱するだけだ。まあしかし去年は倍以上忙しかったと言っても私は優秀なスタッフに恵まれて楽だった。ムサなど私よりはるかに年上だし、ヒューゴだって30は過ぎていて私が不在の時はソーシェもやるし、カジノのヒルトン、シャトー・カルチェなど大きな宴会の経験を十分積んでいるのだから、こんなのなら自分が仕切った方が良いと思うだろうし、事実そうじゃないかとも思う。
私自身はデービッドともハイディとも一緒に仕事をした事は皆無で伝聞でしか知らないのだから、批判するつもりはない。ただ言える事は、新人の子達を単なる労働力と捉えるのでは無く、次々に新しい仕事を覚えさせてあげる様にした方が付いてきてくれる。これは彼等よりはるかに長くこの仕事を続けてきた私の率直な感想だ。