Essai 2010年12月


210.ノエル雑感。

(12月5日更新)

 去年もそうだったが、12月の声を聞いた途端クリスマスパーティが目白押しだ。先月最後の更新で書いた様にレストランのシェフに移行した体裁だが、少なくともこの週末は宴会と掛け持ちで忙しかった。来る週からは少しレストランに集中出来るかと期待している。と言うより、レストランはレストランでクリスマス特別メニューでのパーティを受け付けるのだから、とても両方はやっていられない。それでも宴会を手伝わざるを得ないのは、複数の宴会が同時進行で別会場で行われたりするからだ。実際土曜日などは数ヶ月ぶりにマイケル自身も大広間の陣頭指揮を取らざるを得ず、マニーやイブも残業してここに参加。リテッシュは戦争博物館を指揮しに行ったので、私はレストランの夜のビュッフェスタイルパーティを1人でやった。大広間及び戦争博物館が共に300人以上。特に大広間はコースメニューだから、僅か50名のこの夜のレストラン パーティそれ自体は楽と言えたが、翌日のブランチの仕込みも全て1人でやりながらだから、結構忙しかった。この日の昼間は昼間で普通にレストランの営業をやりながら、仕込みを開始していたから、私だけは2階のレストランに篭りきりで、全く別の職場で働いていた様なものだ。勿論翌日曜は6時起きで同じ場所に戻って行った。
 大分また仕事の話ばかりになったが、毎回でなければ多少近況報告的でも良いだろう。クリスマスパーティの季節にふさわしく雪の日が多く、そうでなくとも曇った日ばかり。たまに晴れてもこの時季日が短いから、あっと言う間に日没だ。モスクワを抜く世界第二の激寒首都圏の称号は伊達ではない。寒さよりも印象深いのは暗さだ。初めてカナダに来た1986年の冬にもそれを痛感したものだったが、これだけは四半世紀近く経っても全く変わらない感想だ。もっともこうした冬のカナダの状態は結構日本でも想像出来る様で、「冬が大変でしょう」と日本に帰国する度に言われる。
 しかし、夏は夏で今年の様に猛暑になり摂氏40度近くになると言う事は想像され辛い様だ。この寒暖差の激しさこそがこの地の過酷さなのだが。そして明るさもまた冬と夏では180度違う。1時間くらい差を付けて、夏時間、冬時間と分けてもあまり意味の無い事に思える。
 寒さは年が開けてからの方が例年厳しいが暗さは年末がピーク。そんな季節だからクリスマス パーティなどでかえって盛り上がるのだろうか。宗教的意味合いとは別に祭りには祭りの要素があるのだから。
 「Joyeux Noël!(ジョワイュ ノエル=メリー クリスマス)」のカードをいち早くケベッコワ(フランス系カナダ人)の友人から受け取った。冬を逃れて南に行く前に渡しておきたかったそうな。それが正解か。
 


211.人手不足にも・・・

(12月15日更新)

 先週末は前回更新の先々週末に輪をかけて大変な思いをした。土曜は先々週末同様夜は1バンケ任されたたのだが、布陣は驚く程前週にそっくりで、マイケルはマニー、イブと共に大広間、リテッシュは戦争博物館、僅かに私の担当するバンケがカフェ・ド・ミュゼではなく、1階のサロン・ド・ヴォヤジュールだった点だけが違いだ。大広間は百数十名ながらコースメニューで人数が必要、戦争博物館はビュッフェだが約200名と言う状態だから、人手不足の折私の補佐にはヴェズナ1人のみ。このバンケも130数名だからそう小さいとも言えない。最初にセットアップして後は補充するだけのビュッフェなら、まだしも調理場に引っ込んだ時膨大なブランチのミザーンプラスが続けられるが、ローストビーフのデクパージュがあり、しかも他に幾つも温製料理があるにも関わらずこのコーナーに引っ切り無しにお客様が来るのでサーロインの塊が丸々3つ消えていくまで殆ど離れられなかった。勿論僅かに生じた間は料理の補充に当てなければならなかったし。ヴェズナは盛り付けのセンスもあり、極めて真面目でよく働いてくれるのだが、ややスピードに難があるので彼女だけに補充を任せて置けなかったのだ。
 結局バンケが終わっても未だ1人残ってブランチのミザーンプラスを続けざるを得なかったが、更にひどい事にブランチ当日も人がいなくて、朝の準備から営業終了まで100パーセント1人でやった。マイケルはまるで考えておらず、「明日のブランチは誰が手伝うの?」と聞くと「う〜ん、誰もいないな。アハハハ」ときた。クリスマスの時期のブランチだ。そう暇な訳が無い。3人いてもおかしくない所私1人とは。結局5時起きで(勿論前夜も遅かった)何とか間に合わせたが、やはり相当忙しい思いをした。私がブランチを引き継いで以来、何故かオムレツの需要が増え、かつてクレープが8割、オムレツが2割くらいの需要だったのが、今はその比率が逆転。この日はなんと殆どのお客様がオムレツを頼み(最初に開店早々の16名のグループが全員オムレツを頼んだ時から嫌な予感がしたが)、クレープの注文はゼロ。これは流石に珍しい。もっともベルギーワッフルも(これは専用の機械があるので楽)作っているのだから、そっちを食べるお客様が多いという事か。それを言うならしかし、スクランブルエッグも作り置きで出しているのに何も来る人来る人オムレツを頼まなくても良さそうなものだ。勿論オムレツはその語源が"Quel homme leste!″(何とすばしこい男だ!)から来ていると言われる様にあっと言う間に出来るが、それだけやっていれば良いわけではなく、少し離れた所で前日の続きの様にローストビーフも切らなければならないし、温製、冷製料理の補充、管理などやる事はいっぱいある。本来1人でやる仕事ではないのだ。
 ついこの間まではヒューゴがいたので楽だった。何しろ彼は才能がある。味付け、盛り付け、スピードも抜きん出ているし、頭の回転も早い。何よりも他の多くの若者と違って、ちゃんと料理に愛情がある。彼はこの世界の多くの人間がそうである様に短気だが、だからといって丁寧にやるべき所は決して妥協せずじっくりやる。実はこれさえ出来れば、後の技術的なものはそのうち身に付いてくるものだが、これが無ければ何年やっても駄目だと思う。彼は今月の初めの週にタイへ修行に行った。当初3ヶ月は行きたかったらしいが、2ヶ月に縮めて、会社に籍を残してもらったようだから更に成長して帰ってくる事を期待したい。
 ミザーンプラスから全面的に1人で作ったブランチの写真を4連射(1234)で。この所写真をアップしていなかったし。


212.スープの秘密?

(12月21日更新)

 結局先週末のブランチも1人でやる羽目になった。予定ではゴードンがシフトに入っているのに待てど暮らせど来ない。1階に下りて聞いて廻ったら、ルイが「肩が上がらなくて10日くらい休むらしいです」と言う。何でルイが知っていて私に知らされていないのかさっぱり理解出来ない。予約だけで50〜60名入っていたと言うのにだ。ブランチは一々予約しないで来る方が多いので、予約してくるのは大抵10名以上のグループばかり。このくらいの予約が入っていれば満席の可能性が高くなる。満席と言っても100席だが、ビュッフェ形式とは言え1人でやるには随分な人数だ。しかしこの調子で書いているとどんどんまた単なる日記化していくので辞めておこう。ただ、珍しく日本人のお客様がいらっしゃったのは嬉しかった。
 前回「丁寧にやるべき所を妥協しない事が大事」と書いた。日本では殆どの料理人が当たり前にやっている事と思うが、確かにこちらでは、楽をしようとする傾向の多い者が結構なベテランでシェフの立場にいる人にさえいるには残念だ。若者の大半に至っては言わずもがなである。例えば今のレストランメニューに「黒インゲン豆のヴルテ(Velouté d'haricots noirs)」と言うスープがある。最初のミザーンプラスの時にある若い子が「簡単だから僕が作っときますよ」と言うから、任せておいたが、「やはり、こうなったか」と言うのが感想だった。一口食べると豆の皮が舌に絡んでくる。勿論柔らかい皮だしこれをポタージュと呼ぶならまあ問題無い。つぶ餡と漉し餡の違いみたいなものだ。スープにはしかし、幾つかの種類があって、その中でもヴルテと呼ばれる物はビロードの様な滑らかさが要求される。この場合どうすれば良いのかと言うと話は簡単で、何度か丁寧に裏漉しを繰り返すだけだ。と言っても勿論手間だが、豆のヴルテと聞けばその過程が頭に浮かんで「簡単だから・・」とは中々言わない。逆にこれが分っていて簡単と言うなら、大いに見込みがある。
 かのフレンチの神様とさえ呼ばれるジョエル・ロブション シェフのスペシャリティの1つは一見何の変哲もないマッシュド ポテトで、その秘密は5回だか6回だか回数は忘れたが、とにかくしつこいくらい裏漉しを繰り返してスムーズにする事だと聞いたことがある。確かに料理の愛情は「そこまでやるか」と言う事に尽きると思う。こんな基本的な所もすっ飛ばしているくらいだから、使っている玉葱の量も炒め方も不十分で十分な甘みが引き出せていないし、出汁に至ってはインスタントの野菜ブイヨンを使っている。ここではカフェテリア、宴会、レストランで山ほど野菜や香草の屑が出るから、組み合わせと取り扱い次第で実に豊潤なブイヨンが取れるので、私はこれを作って様々な料理に使っている。フォン・ド・ヴォー(子牛の出汁)なら1日がかり、フォン・ド・ヴォラーユ(鶏の出汁)でも数時間かかるが、フォン・ド・レギュ−ム(野菜の出汁)を取るには1時間とかからない。手間とさえ言えないのだから勿体無い話だ。フォン・ド・レギュームは時代にニーズに合っていると言うか、健康上の理由や宗教上の理由で摂取出来ない物が多い人でも大抵の場合OKだし、軽い味わいが期待出来る。ただし単一野菜のポタージュの場合出汁そのものを一切使わず、材料となるその野菜の味を活かすことも多い。
 大体こういういい加減な仕事をしている人に限って「あんたのスープの秘密を教えてくれ」と言い、次に聞くのは決まって「隠し味に何を入れているんだ?」である。名のあるシェフならともかく、私のスープ作りに秘密など何もありはしない。当たり前の過程を省略しないのがコツとでも言うべきか。
 

213. ホリデーシーズン、彼我の差。

(12月29日更新)

 





 何時の間にかクリスマスも終わり、暮れも押し詰まってきた。クリスマスの週は通常メニューとクリスマスメニューの2本立てだったので仕込みの量も若干多かった。クリスマスメニューのメイン コースは七面鳥、鮭など4つも選択肢があったので、かなり無駄が出ると予想したが、それなりに盛況でオーダーも偏らなかったのは良かった。残り物も殆どは転用がきいた。クリスマスもしかし当日ともなると、皆家で過ごすのが普通だからレストランも閉店だった。「日本でもクリスマスを祝うのか?」とはよく聞かれる質問だが微妙な所だ。
 個人的な事を言えば、私は幼児の頃洗礼を受け、小さい時はよく教会にも行ったが長じてからはさっぱりだ。しかし、日本人の殆どがクリスマスを意識しているのも確かだ。クリスマスの日のYahooニュースで、「クリスマスイブの夜にワインを飲んで酔っ払った奈良県の僧が、飲酒運転で民家を破損した」と言う事件を知った。事件そのものより、クリスマスイブに真言宗の僧侶が修行僧と共にワインを飲んでいたと言う部分が記憶に残った。いや、彼等がクリスマスパーティをやっていたかどうかまでは定かではないが、日本のクリスマスに宗教的意味合いが無いのは明らかだ。何度か書いた事だが、日本のクリスマスはこちらの聖バレンタインデーに似ていて、ホテルもレストランもカップルの予約で一杯になる。そして何より違うのはそれ等のパーティも何もかもがクリスマスイブに行われると言う事だ。クリスマスはあくまで25日であって、本来24日のイブはあくまで前日、平日なのだ。ニューイヤーズイブ、つまり大晦日の朝にに新年の挨拶をするようなものだ。
 もっとも「A Happy New Year」・・・フランス語なら「Bonne année!」にもこれまた誤解があって、よく日本で大晦日にハッピー ニューイヤー!と言うと「未だ明けてないよ」としたり顔で言う人がいるが、先の英、仏両語とも日本語の「良いお年を」の意味でも使われる。フランス語の場合1月1日午前零時を誰かと一緒に迎えた時「A la nouvelle année!」と挨拶したりするが、これは確かに「明けましておめでとう」の意味と考えて良いだろう。英語でそれに当たる表現は知らない。
 去年の大晦日はバンケだったし、大晦日の夜は仕事と言う事が多いが、今年は年末にはまるでバンケが入っておらず、バンケットのメンバーをここ10日程見かけない(苦笑)。私がバンケにいるままなら、すっかり手持ち無沙汰になっていた所だ。大晦日も元日も1人で1月2日のブランチの仕込みをするだけの、ごく普通の日常と言う事になりそうだ。もっともレストランが閉まっていて、バンケも無いとなれば、ミザーンプラスに集中するだけなのだから楽ではある。今度のブランチ当日こそは1人ではなくアランが来てくれる・・・筈だし。


214.大晦日・・・と言う名の日常。

(12月31日更新)

 大晦日・・・と言っても前回書いた様に普通に出勤した。例年通り職場で年越しなら寧ろ賑やかなものだが、普段時間が不規則な仕事の癖に、大晦日も元旦も普通に朝サラリーマンが出勤する時間に行くと言うのも皮肉な話だ。
 年末のバンケが全く無いからバンケのメンバーは勿論マイケルもいないし、イブも休んでいる。トック帽は私と仏頂面のマニーだけだ。彼だって家族持ちだから休みたいのだろう。私以外は全員1階のカフェテリアで働いていたが、私が最後に食材を取りに下りていった時は既に誰もいなかった。ニューイヤーズイブなんだから、帰る前に2階にいるあの人に挨拶してから帰ろうと言う常識的な発想をする人間は少なくとも今日のメンバーには1人もいなかった様だ(苦笑)
 レストラン休業だから今日も明日もサラマンジェ(ホール)にも誰もいない。もうやりたい放題だ(爆笑)。こんな風にしてまた1つの年が終わる。まあ、平和で良い。