エッセイ 2010年10月

203.何百回の結婚式の料理を・・・。

(10月4日更新)

 大分紅葉も進んできた。予想通り今年は中々美しそうなのだが、結構仕事のスケジュールは詰まっていてのんびり見物には行けてない。この時季は当然日本から観光で来られる方々がメープル街道の経由地点の1つとして、この地を訪れる。今年来られる方は結構幸運だと思う。毎年見ている者から見て、今年は今ひとつと思われる時でも、無論一生に1度と言う目で見れば、美しいと言う事はあるのだが、桜と同じで見頃の時期もずれてしまうと殆ど紅葉が始まっていない可能性もあるからやはり運に左右されるのだ。先週もレストランの閉店間際に日本からの観光ツアーのお客様が来て、日系人であっても日本語が喋れないデーブがメニューが分らないみたいだから通訳してくれと言うので、行ったが、ツァーコンダクターの方(だと思うが)が「あ、何とかメニュー決めましたから」と言うので、「そうですか、ご利用頂いて有難うございます」とそのまま持ち場に戻った(まあ、忙しかったし)。自分のメニューとか、自分が仕切った仕事なら、挨拶するところだが、そうでない以上別にお客様の方でも要らないだろうと思ったからだ。今時日本人が随所にいても珍しくないのだから。
 しかしそれはそうと、その翌日からそのデーブが無断欠勤でマイケルが10回以上電話しても出ないし、デーブのアパートのすぐ傍に店があるジョンが尋ねて行っても反応が無いと言う。昨日のブランチも急遽私がピンチヒッターに立った。今日月曜日を始め、火、水と連続してバンケは入っているが、良いタイミングで前回書いたリテッシュが参加してくれたので、そっちの仕込みは彼に仕切ってもらった。そんな訳で仕事の方は問題ないが、デーブも1人暮らしだけに心配だった。今日で3,4日は経つので、彼と個人的に親しいマリオット ホテルの寺田さん(まったく日本人が随所にいる)に電話で相談してみた所、即アパートへ行って下さり、大家さんに頼んで戸を開けてもらったそうで、折り返し電話で、アレルギー(花粉症を酷くしたようなアレルギーが持病の1つで、普段でも時々苦しんでいる)が酷くて電話に出るのも辛い程ながら、取りあえず大丈夫だと聞いて安心した。デーブを車で送った事は何度もあるのだが、いつも「この辺でいいよ」という所で降ろしていたので、私はアパートの正確な位置も知らないのだ。寺田さんのお陰で助かった。いや、1人暮らしは人事では無いのだが、有難い事に私は本当に丈夫だ。10代のアルバイトの頃から身体的理由で仕事を休んだ事が1度もないくらいである。デーブは他に(ついこの間もそれで暫く休んだ)腰痛もあるし、満身創痍と言う感じだ。私より3つ年上でもあるし。こういう生活ではやはり健康であると言う事は大変な財産なのだとつくづく思う。
 日本人が随所にいると言えば、今週末の結婚式も花嫁さんは日本人女性だ。日本人社会とまったく関係の無い所で仕事してきた割に日本人(大抵の場合女性のほうだけ)の結婚式もかれこれ二桁はやったのではないかと思う。ケベック州に来て間もない頃フジェールで結婚したカップルの奥さんが日本人で全出席者のデザートにチョコレートで「寿」の形の飾りを付けた事もあった。あのカップルなどもう何回目の記念日を迎えたろう(順調に行っていると信じて)・・・ひょっとして15年近いんじゃないだろうか。そもそも私は何百カップルの結婚式の料理を作ったのか・・・否千回は超えてるんだろうか?1日に数件と言う事だって何回もあるのだから。自分は1度も結婚していないのだから皮肉な話だ。


204.デーブは相変わらず・・・

(10月12日更新)

 先週は休まなかったが、月曜の感謝祭は世間と一緒に休んだ。感謝祭の頃は例年紅葉が最高に達する時季だが、この日当日は普段がらがらのガテノー公園内に幾つもある駐車場が1年に1度の満車状態で警察も来て交通規制するのが通例だから、翌日の昨日、日が沈む寸前の展望台の1つに行ってみた。予想通り今年の紅葉は一際素晴らしい。
 日のあるうちに帰れるのは珍しくなくなってきたし、逆に夜バンケがあれば、ゆっくりめに出勤する様になってきて、やはりリテッシュが来たので格段に楽になった。何しろ彼はシェラトン ホテルで下から始めて、7年で副料理長にまで上り詰めた程だし、大組織で仕切るのは私など比べ物にならないくらい慣れているから、仕切りは彼に任せてしまった方が良さそうだ。仕込み計画表とかは相変わらず私が作っているが、そういう風に分担しておけば十分だろう。彼がかつていたシェラトンは博物館の斜め前だし、真正面はかつてカフェ・アンリー・ブルジェがあった所。そんな縁でカフェ・アンリー・ブルジェにも一時期いた様だ。マイケル、マニー、私も皆カフェ・アンリー・ブルジェの同窓生と言う事になるが、それ自体は驚くに当たらない。首都圏で現在活躍するシェフの多くはここに在籍していた経験がある。あんな閉め方をしたとは言え、日本が大正時代だった頃から84年間に渡って首都圏を代表するグラン・メゾンで、歴代首相の全てがひいきにした程であったのだから、やはり幻の名店とは言える。在籍した日本人とて私以前に何人かいたと聞く。ただし、私が最後の日本人ではあった訳だ。
 宴会部はそんな訳で楽になったが、相変わらずデーブは休み続けている。10月になって1度も顔も見ていない。結局ブランチは先週も私がメニュー作りから準備、本番まで担当した。何の事はない、後で聞いたらデーブのアパートの大家もジョンなのだそうだ。それだったら、何故ジョンがドアを開けて見に行かないのだと訝ってジョンに連絡したら、彼はトロントに行っていて不在だったのだそうだ。そのお陰で寺田さんにまでご迷惑をおかけしてしまった訳だ。トロントから帰ってきてからは何度か見に行って、少しずつ回復はしているそうだ。ジョンはデーブと20年来の付き合いだから、アレルギーの事もよく知っていて心配ないだろうと言う。しかし、今回は流石に長すぎると思う。ろくに食事もとれない様だから体力も衰弱してしまうだろうと思うと、やはり心配だ。


205.四半世紀分のパスポート。

(10月21日更新)

 先週から昨日の夜までのスケジュールは久しぶりに無茶苦茶だった。睡眠時間は毎晩長くて5時間半、土曜の夜など3時間も無かった。デーブは今もって連絡が無いので、流石にこのままでは首になってしまうのではないか。皆心配しているのに寺田さんや、ジョンが行った後もまるで連絡してこないのだから。3週間以上も電話すら出来ないとは思えない。
 そんな訳でブランチもあるし、普通にバンケが沢山入っている中、昨日、一昨日と去年もやったコンパスグループの全国大会が文明博物館で今年も開催され、朝食、昼食、夕食と毎日趣向を凝らしたものを出していたし。戦争博物館にも仕事があるしと。こうなると、シェフクラスが何人いても足りないくらいなのに1人足りないのでは。
 今日はようやく休み。さすがに良く寝たが、パスポートが6月で切れたままになっていて、最近日本から戸籍抄本をおくってもらっていたいたので、やっと大使館に申請に行った。10月10日も休みだったが、祝日だったから行けなかったのだ。
 私が最初にパスポートを取得したのは1985年だが、考えてみると以来1度として日本で書き換えていない。ドイツのデュッセルドルフ領事館・・・イギリスのロンドン大使館・・・前回の10年パスポートへの書き換えもこのオタワ大使館だったが、それからでも既に10年とは・・・。月日の経つのはやはり年を追う毎に早く感じられるようだ。


206.何時ものように季節は移ろい・・・

(10月31日更新)

 結局デーブから何の連絡もないまま10月も終わってしまった。前々回書いたようにジョンから回復に向かっているようだと聞いてからでも三週間近く経つ。今もって電話1つ掛けられないとは思えないから本人は戻ってくるつもりがないのだろうか。あまりに彼らしくないとは思うが・・・。
 会社の方は少なくとも10月いっぱい忙しかったが、私の負担は大幅に軽減され、宴会がある限りフル稼働という事はなくなった。毎日の勤務時間も朝から晩までと言う事はここ10日程まったく無い。11月はまた仕事自体少し暇になると思う。勿論その後はクリスマスの12月が控えている訳だが。
 宴会の負担が減った分、しかしブランチ等はすっかり当たり前の様に私の仕事になってしまい、デーブの事を話題にする人すら減ってきたのは寂しい限りだ。
 こんな風にしてまた1つの季節が変わっていく。来月は少し仕事と関係の無い話題を書いてみたいが、毎月こんな事を言っている感じだから、どうなる事やら。