198.G20上院議長会議レセプション・・など。

(9月5日更新)

 おとといの夜まで熱帯夜だったが、今日はうって変わって気温が下がった。今夜は10度以下まで下がり、明日の最高気温は16度程度だと言う。この気温の変化は、しかし異常気象でも何でも無い。冷夏でも猛暑でも、また暖冬でも厳寒でも、この地域では春と秋には何度も気温が上昇したり下降したりを何度も何度も繰り返しながら、夏、もしくは冬へと季節が緩やかに移行していく。
 週末は金曜日にG20上院議長会議の歓迎レセプションが当館のカナダホール(例の昔のカナダを再現したテーマパークの様な場所)で行われた。今週はそれ以前に大きなバンケが入っていなかった為水曜から準備に入った。水曜、木曜は一ヶ月ぶりにジョンがミーザンプラスに参加したが、金曜の本番は彼は例によって自分の店があるので参加出来なかった。
 今回はビュッフェ形式だし、昔の町を再現した場所だから幾つもの区画に分かれるから、こちらも相当の人数を用意した。総料理長のマイケルも「俺も残って全体を俯瞰するからデクパージュ(肉の切り分け)はNaki自身でやってくれ」とか珍しい事を言うので、私はメインの肉切り(これがメインだから、要はアミューズブーシュ中心でメニュー自体はカジュアルだった)に徹していた。まあ、マイケルは最近土、日は毎週休んでいるから、金曜の夜だった事も関係あるだろう。何しろ3月の外相級会談のディナーの時でさえ私に丸投げして帰っちゃったくらいだったのだから(苦笑)。
 しかし、あの外相級会談の時ですらそうだったが、今回もまるで特別な警戒態勢はしかれていなかった。つい数日前にテロリストがこのオタワで捕まったばかりだと言うのにだ。警戒しているのは何時もの博物館の警備員だけだった(笑)。勿論館外では厳重警戒態勢だったのだろう・・多分。
 そもそもあの外相級会談で、我々が関わりあうG20は終わりだと思っていたし、カナダ全体として見ても7月のトロントの本会議で終わり、後は次の開催地(韓国だったか)へ移っていくものとばかり思っていたが、上院議長会議なんてものもあったのか。日本からは尾辻秀久参議院副議長が参加していたらしいが、参加者は200人近くはいたので、どの人が何処の国の誰やら考える事も無く、求められるままに肉を切り分けていただけだ。相手が日本語で話しかけてきてくれれば分るが(笑)。とは言え、この会議の最大のテーマは「食料の生産及び流通」と「食品安全」だから、我々にも大いに関係のある話ではある。
 土曜は先月書いた試食会の後ブランチまで食べに来て、下見をしていったお客様がいよいよ本番のパーティにやってきた。こちらもまたアミューズブーシュが中心のカクテルパーティだが、かなり細かい所に拘るお客様だと感じていたので、主だった物は全部自分で作り、そうでないものも、必要に応じて手直ししたりした。別段お客様に出せないようなものを作る様な部下に、仕事を任せる訳もないのだから、手直しまでは滅多にしないのだが。
 案の定サービス責任者のスザンヌが「あれだけ口うるさく事前に何度も電話かけてきたりしてたのに大満足してたわ。さすがNakiね」とか言ってくれた。やはりあの後も何度も営業のアニーからマネージング ディレクターのリシャールに至るまで、うんざりするくらい連絡してきたらしい。
 結婚式とか分りやすいものは別として、バンケを開催するお客様には様々な事情がある。どんな細かい事でも失敗したくない大事なパーティもあるだろう。
 日曜の今日はデーブが帰ってきたものの体調が悪くて朝だけ顔を出して帰ったので、ヒューゴと2人でブランチをやった。


199.スケジュールも天候も。

(9月10日更新)

 気温は相変わらず上下を繰り返している。予定通りと言うか、大分忙しくなりとりあえず10日先まで休みはない。10日後が休みと言う意味ではなく、そこまでしか予定が立ってないという事だ。先週など結局週に3日も休んだので帳尻はあっているが、相変わらずスケジュールが滅茶苦茶だ。変化が激しいのは天候だけではないという事か(笑)。そもそも6月の様に毎日バンケが入っている訳ではないので、休む気になれば休めるのだが、ぎりぎりに支度すると当然配達される筈の食材が来なかったりと言ったトラブルが多いので、余裕を持って準備できるのは寧ろ有難い。明日の土曜日は昼にレストランでG20関連(おそらく官僚による会食と思われる)の昼食会があり、夜は大広間とレストランでそれぞれバンケが入っている。しかもデーブはあれ以来持病の腰痛が酷く休んでいるままなので、日曜のブランチの準備も平行して行わなければならない。ブランチは肉料理3種、魚料理、ベジタリアンなど温製ものだけで8種類、サラダ1つとっても10種類以上、勿論朝食メニューもあるし、アイテムの数が多いのでそれぞれの量は大した事ないが、それなりに時間を取られる。そんな訳でやはり週末は一番忙しい。とは言えマイケルは相変わらず土、日休み・・・と言う事は左程の忙しさではないとも言える。1000人クラスのバンケでも入れば彼も休めないだろうから。
 それにどうせやるなら、ブランチ メニューは自分で書いたものでやる方が楽しいのも確かだ。デーブの事は心配だが。

200.200回記念・・・にでもしようと思ったが。 

(9月13日更新)

 結局ブランチが終わってもデーブは休んだままだ。誰も人がいないので、私がレストランの方も面倒を見ざるを得ない。今更ながらデーブのメニューを引っ張り出して確認しながらやる。数日中には戻ってくれるものと期待しているが、万一長引くようなら私のメニューに変えてもらった方が楽かもしれない。とは言え、今週は水曜に3つ、金曜に1つ、土曜に3つバンケが入っているので本業を優先しなければならない。
 そんな訳で2階のレストランと1階の大厨房を行ったり来たりしながらバンケのミザーンプラス(仕込み)の指示をしながらレストランの営業をやる始末。ジョルジュなら自分でレストランの厨房に立っただろうが、マイケルはル・ムーラン・ウエイクフィールドのパディ同様オフィスに篭っているので仕方が無い。
 バンケはゴードンとラザールを中心にミザーンプラスをやって貰っていたが、2人とも細かい所まで説明しないと分らないタイプだから、私がレストランにいても営業中に聞きに来る。彼等にしても一々面倒だろうが、ゴードンは英語しか話せないし、ラザールはラファエル程ではないが殆どフランス語しか分らないので2人のコミュニケーションが取れていないのも問題だ。私に通訳なんか頼むなと言う話だ(苦笑)。どちらの言語も怪しいのだから。
 今月こそ短くとも回数は更新しようと思っているので更新したが、本来なら「200回記念」として何かスペシャルな話題を書きたい所、単なる日常に終始してしまって聊か情け無い。


201.何故私が翻訳まで・・。

(9月19日更新)

 先週は水曜に500名を頭に100、80と3つのバンケがあり、金曜に1つ、土曜に2つ入っていたので結構慌しかった。ただ、デーブが帰ってきてくれたので、そこは助かった感じだ。いや、正直な所この状況でレストランの面倒まではとても見られない。何しろレストランの方も先週相当忙しかったのだから。因みに500名のパーティはメキシコ大使館主催での記念祝典(スペインからの独立を求める戦争開始から200周年)で中々盛大なものだった。ウエイクフィールドでもそうだったが、このご時勢で大きなパーティを開けるのは圧倒的に政界、官界が多い。何しろオタワ・ガテノーのツイン都市は永田町と霞ヶ関を繋げた様な町(首都と言えば済む話か)なのだから。
 何はともあれ、デーブが帰ってきたお陰で、今日日曜に急遽休ませてもらった。ブランチをやらないのは久しぶりだ。土曜にはまず間違いなくバンケが入るのだから、日曜に早起きしないで済むのは有難い。
 しかし金曜にマイケルから、新しい宴会関係のメニュー候補リストがメールに添付されて送られてきて、これ等を全て検討した上にフランス語に翻訳してくれとの事。休みとは言え、時間が出来たからには早速取り組まなければならなかった。何しろ数が多い。カクテルパーティのアミューズブーシュ(おつまみ)だけでも軽く20〜30種類、ランチ用バンケ メニュー、同ディナー用、ビュッフェ メニュー用、アラカルトで選べる前菜用、メイン用、デザート用・・・と10種類以上のメニューにそれぞれ数十種類の項目があるのだ。まさかこんなに一気に送ってくるとは。
 しかし、副総料理長のマニーや、カフェテリア担当副料理長のイブなどフランス系シェフがいるのに、何も私にフランス語訳など頼まなくて良さそうなものだ。確かに宴会担当が私だからと言うことはあるが、それ以前にマイケル本人がやれば良い話だ(笑)。まあ、日本人の外国語学習の常で、私も喋るよりは読み書きの方がましで、逆にカナダ人のマイケルは喋る方はそこそこ出来るのに読み書きにはまるで自信がないらしい。確かに私も前の店では自分のメニューはバイリンガルで書いていたし、今もミザーンプラス・・・仕込み計画表などは2ヶ国語で書く様にはしている。しかし、くどいようだが数が多すぎる上、時間が無さ過ぎる(1週間弱)のだ。それでなくとも仕込み計画表は連日作成しているのだから自宅で働いている分も勤務時間に考慮してもらいたいくらいだ。
 もっともマニーやイブはともかく、その下の料理人やオフィスの人間にはちょっと任せられないとは思う。料理に対する知識が無さ過ぎて、簡単な用語も理解していないからだ。それよりは私がやって、文法だけ直してもらった方がましかもしれない。エッセイなんか書いている場合じゃないか(苦笑)。


202. シャトー・モンテベロと言えば・・

(9月30日更新)

 結局今月もまた最終日を迎えてやっと5回目の更新だ。それでも少しはましな方か。9月も特に後半は忙しく、週末に集中していた前半と違い、後半はウイークデーの夜も2〜3回(その多くは複数件)入っており、週末と合わせて週5日程度入っていた計算である。当然その日は朝出勤して夜、時に深夜帰宅のパターンで、休みの無い週も何度か復活した。
 ジョンは完全に辞めてはいないがすっかりパートタイムになってしまい、週に1度か多くて2度、3週間まったく来ない事もあるし、元々週末は自分の店があって来られないから正直1人で負担が大きかった。しかしようやく新しくこのポジションに付く人間が見つかったので、少しは肩の荷が下りるだろう。彼はリテッシュ・プーランと言ってシャトー・モンテベロから来た人物だが、ル・ムーラン・ウエイクフィールドで私の前任の副料理長だったイブや、私の下にいたサミュエルとも仕事をした事があると言う。そもそもシャトー・モンテベロはル・ムーランのオーナーが憧れ、理想としたホテルだから縁がある。現在はフェアモント系ホテルであるシャトー・モンテベロは1981年にG7(当時)サミットの会場になった名ホテルで、世界最大級のログハウスでもある。モンテベロはケベック州パピヌー地区にあり、オタワ首都圏の東端、オタワとモントリオールの中間にある町だ。私もカフェ・アンリーブルジェ時代にモンテベロの町にケータリングに行った事があるが、寧ろモントリオールの方に近かった記憶がある。あの時は個人の屋敷だったが、とある大物のパーティで、カナダの警察官よりはるかに重装備の警備員が山ほど配置され、私達のトラックまで徹底的に調べられた。それこそこの間のG20外相会食会より厳しかった(笑)。いや、この話は以前書いたように思うが、子供までタキシードやドレスを着込んだハリウッドの映画の様なパーティだった。フランス料理のコースなのは自然だが、日本人が作っていたのは不自然だった(苦笑)。
 要はこの小さな町が世界的に有名なリゾート地であると言う事だ。リテッシュの話から逸れてしまったが、エッセイなので、やはり仕事の話ばかり日記的に書いているのも如何なものかと思うので。