エッセイ2010年7月


190.小さくても首都。

(7月5日更新)

卒業パーティもジューンブライドも7月1日の建国記念日も終わったので、最多忙期は脱した。とは言え勿論暇になった訳では無い。しかし今日は久しぶりに休みを貰った。昨日は普通にブランチをやっただけだったので4時前に仕事を終え、今日と合わせて1日半連休?と言うところか。朝から晩まで休日も無しが当たり前の日々が続いていたので1日半休むのが凄く有難く思えるから不思議だ。宴会は一段落したが、火曜からはオタワのブルースフェスティバルへの出店など夏のイベントは未だ目白押しだ。
1日寝ていたいところだったが(十分半日以上は寝ていたが)、郵便局には郵便物が溜まっているし、このところ古くなってまたぞろ順番に故障していく車は朝修理工場に置いて夜タクシーで帰宅した後工場の外部駐車場から合鍵で受け取ったまま先週の水曜からそのままになっていたので(何しろこっちは毎日仕事でも向こうは4連休だったから)そっちも支払いに行ったりした。いや、他にも支払いは溜まっているし、冷蔵庫の中も当然寂しいので買い物もある。そう言えば昔住んでいたトロントの様な大都会には24時間営業のスーパーマーケットがあったりして夜中の2時にスーパーに行ったりもしたものだった。今は日本にもあるのだろうが、当時スーパーマーケットで24時間営業と言うのはやはり北米は凄いと感心したものだ。何しろ四半世紀近い昔の話なのだから。
結局のところ東京で生まれ育った私には都会の便利な生活の方が馴染みがあるのは確かだ。何しろ生家は新宿ヨドバシカメラ本店の真裏にあったくらいで、都会の喧騒が嫌で静かなこの地方に移り住む人からは理解を超えているに違いない。しかし、いくら小さくてもオタワ・ガテノーは首都圏。イベントの中心地にはなる点は聊か矛盾しているかもしれない。

191.6月を振り返って。

(7月7日更新)

余裕のあるうちに早めに更新しておくが、まあ今月はそう無理はないとは思う。昨日から始まったオタワ・ブルース フェスティバルはこれからが本番。会場が我々の膝元である戦争博物館の特設野外コンサート ホールであるから、常時出店しているのは当然として、ほぼ毎日特別料理の注文もある。とは言え野外で食べるのだからバーベキューだとか簡単メニューが多いし、人数も30〜40人程度。何より宴会では無いのだから、私が仕切る訳でも無く、精神的に楽である。
実際先月は宴会一色で、普段の何倍もの人員(この時期だけ雇ったスタッフも10名以上)を投入して、宴会料理長の私を中心に廻っていた感があった。こう書くと何だか偉そうだが、元々大勢の上に立って仕切るのは得意ではないから、正直疲れた。しまいに悟ったのは、こういう状況下ではなるべく自分でミザーンプラスをやらない様にすべきだと言う結論だった。
特に卒業パーティは毎日メインコースは鶏で付け合せも野菜は全て同じ。僅かにソースと付け合せのFéculent(芋類や穀類などの澱粉野菜)が違うのみ。なぜかと言うと、事前に全ての学校関係者を一同に集めた総勢50名の試食会で、Féculentと、ソースだけ5種類ずつ供して選んでもらうシステムにしたからだ。ソースは5種類とその時その場で言われて、深く考えもせず大量に作ると仕込みに時間のかかるガストリック系のソースなどもつい入れてしまったが、まあ味に妥協し過ぎない為にはそれで良かった。実際このソースを選んだ学校は多かったが、一校だけソース無しと言う唖然とする注文をした学校もあり、これから社会に出て行く若者達への食育上如何なものかと思った程だし。
ともかく、こんな状態で一晩に3校の卒業パーティと言う事も何度かあったから、当然あっちのものとこっちのものが5箇所の大型冷蔵室の中で混ぜこぜになってしまっている事態。結婚式はともかく、卒業パーティはミザーンプラスは皆に任せ、私は冷蔵庫を整理して、何が後どれだけ足りないのか、逆に多すぎるのかと言う事を把握して、食材の手配や仕込みの指示をする交通整理の様な立場に立つ事だと結論に至った次第だ。結婚式をビュッフェでやるような場合でもお客様の前でやるデクパージュ(肉の切り分け)などはそれなりに包丁の使える子に任せ、全体を俯瞰するしかなかった。とは言え、同じデクパージュでも鮭のグラブラックス(生の鮭を漬け込んだだけのもの)などの場合、ちょっとした薄作りの刺身並みに切らなければならないから、そういう時は自分でやった。また、意外なところでは三段から五段のウエディングケーキを参加者(大体三百人から五百人程度)の人数分に切り分けるのなども経験が無いと難しいので自分がやったりした。先々週だったか、初めてこのウエディングケーキの切り分けでケーキが足りなくなる事態に立ち至った。勿論何時ものように計算して切っていたのだが、何と外注の三段重ねのウエディングケーキの真ん中の段が発砲スチロールだったのだ!
全体を同じアイシングシュガーでコーティングされていて、何時もそうする訳では無いのに、この時は計算上、一番上の段を最初に切り、次に一番下、最後に真ん中を切り始めて、真ん中の段のアイシングシュガーの中身が発砲スチロールだったと気付いたが遅かった。
それにしても酷いパティシェもいたものだ。結婚式と言うハレ舞台だ。七段も八段もあるなら強度が心配(それも技術的にどうかと思うが)と言う事も考えられなくは無いが、僅か三段。お客様がコストを抑えたとしても、私なら少々損しても、こんな馬鹿なケーキは作らない。この時損したって、地元のケーキ屋なのだから、今後の付き合い(全出席者を含めた)を考えれば妥協出来る話ではない。料理は愛情という精神と対極にある様なこの種の同業者は許しがたい。

192.専門外の料理でも・・・。

(7月14日更新)

6月に比べると格段に楽なスケジュールで先週に続き今週も月曜は休めた。とは言え、本来週休2日が建前の国で週1日休んでるだけだから勿論暇になった程ではない。毎日のスケジュールも早朝から深夜までが当たり前だった先月からの流れだから楽に感じるだけで、何となく朝から夜まで仕事している事に変わりはないのだし。
しかし、ここの所殆ど毎日のファンクションはブルースフェスティバルがらみだ。今日もかなりの規模のカナッペとアミューズブーシュの出前があり、私は昨日からずっとそのミザーンプラスにかかりきりだったが、相変わらず現場・・・つまり、ブルースフェスティバルの会場である戦争博物館前の特設ステージには足を運んでいない。先週の火曜日、フェスティバル初日には一応私も会場を見ておいた方が良いだろうと言う事になって、一瞬顔だけ出したが、それ以来一度も行っていない。常に次のファンクションの準備があるし、送り出してしまえば後は人数さえいれば良いからだ。もっとも今日は明日大して大きなファンクションが入っている訳でもなく、大掛かりなカナッペだから様子見に付いて行っても良かったが、せっかく夜7時前に仕事が終えられるのだから、そのまま帰宅した。しかし、今日はフェスティバルの目玉であるサンタナのコンサートが入っているから、ファンならタダで聴けるチャンスだろう(笑)。去年はKissが来て大騒ぎだったそうだ。カルロス・サンタナ氏は数日前にシカゴのコンサートで公開プロポーズしたばかりで話題性も十分。しかし数日前までアメリカ各地、昨日の晩はケベック市のフェスティバル、今晩はオタワと売れっ子は忙しい。いや、大きな声では言えないが、今回のフェスティバルで私が名前を知っているのはサンタナくらいのものだ。もっとも私はちっともその世界に詳しくないからあてにならない。イギリスにいた時そのホテルの定連だったクイーンのドラマー、ロジャー・テイラー氏が初めて見えた時もクイーンと言えば亡くなったフレディ・マーキュリー氏の名前くらいしか知らなくて失礼した程だ。そのイギリスのホテルでレストランの通常営業を閉めてバーベキューとカラオケ(笑)をやった日にもたまたまロジャー・テイラー氏が来て、「バーベキューなんか何時でも食べられるじゃないか。僕はいつものメニューが食べたいんだよ」と言われて私がバーベキューのグリルの上で何時ものメニューに近いものを作った事があった。調子に乗ってウエイトレスが「カラオケで歌ってください」ととんでもないお願いをしたが、「僕は仕事で音楽をやってるんだ。彼の料理と同様にね」と私を指してごく当然の答えを返してくれた。それはそうだろう(苦笑)。
ここ数日でブルース・フェスティバルがらみ以外の普通の宴会となると、先週土曜にあった結婚式くらいだった。この結婚式はメニューが無茶苦茶だった。アミューズ・ブーシュ数種類に続いて、チーズとジェリーをマティーニ グラスに入れたものを出し、中東のフムス(ヒヨコマメのペースト)をカナッペにして出し、その後ビュッフェ・・・その内容は七面鳥のデクパージュ、三種類のパスタ、そして寿司バーと言う首を捻る様な組み合わせだった。当然のごとく私は寿司バーに立ったが、以外にもカナダでお客様の前で寿司バーに立ったのは初めての経験だった。まあ日本人の料理人だからって寿司が握れると決め付けられるのがおかしいのだろうが、外国に住んで日本人で、料理人で・・となると、やはり出来ないと馬鹿にされる。たまさか私は一応昔指導を受けた事があったので助かっている。ネタを引く練習の為にわざと切り難いこんにゃくを使ったり、ライターを掌に乗せて手首の返しを訓練したり、オムレツに負けないくらい厚焼き玉子の練習をした思い出もある。とは言え、寿司そのものは素人レベルである。ただ、料理として見た場合酸味の利かせ方とか、色々料理人として工夫出来る点はある。それとオタワ辺りの多くの寿司バーではせっかくカウンターを置いていても実際には前もって握って冷蔵庫に入れているケースが多いが、本来カウンターで寿司を握るのは微妙に暖かいシャリの温度に美味しさの秘訣があると言う事は日本人として分かっている。この点はせっかくの機会に是非現地のお客様にも味わってもらいたいと、シャリを炊くタイミングには気遣った。出来る事はそれくらいだったと言う事でもあるが。


193.このカップルの結婚記念日は・・・

(7月31日更新)

今月は頻繁に更新するつもりではあったが、結局今回最終日にして4回目で終わってしまった。今日は私の誕生日でもあるが、今の職場も何時の間にか一年以上居る事にもなる。
大体何時も誕生日は忙しいが、今日もまた大広間のビュッフェスタイル結婚式で朝から晩まで仕事だった。ビュッフェ形式だと温製料理の出来立て感が甘くなるので、色々工夫してみた結果、料理に対して非常に高い評価を受けた。因みにメインは魚料理が鮭のポシェ、ポルト酒とポロねぎのソース。肉料理は若鶏の胸肉、野生のキノコソースだった。
大広間が会場とは言え、僅か130名強のパーティであったればこそ可能な方法だったが、一方で調理場の人数はぎりぎりだ。何しろ今は夏休みの時期。総料理長のマイケルもレストラン シェフのデーブも、バンケットのもう1人のシェフ ジョンも皆休暇中。副総料理長のマニーも週末は休み・・第一彼は基本昼間の仕事だから私の仕事にはせいぜい食材の注文くらいしか関係していない。因みに彼の娘の誕生日も今日なので、今週末は特にちゃんと休まざる得ない様だ。今のシェフ陣で子供もおらず、全くの独身なのは私とデーブだけだから、皆色々大変な様だ。
そのデーブもしかし、今は2週間の休暇で家族のいるニューファンドランドに行っている。ご両親は健在な様だ(彼の誕生日も数日後だから、彼は私より丁度3つ年上だ)。
デーブも明日には帰ってくるが、この2週間の日曜のブランチは私がメニューを書いたので、久しぶりに色々お客様に食べさせたい物をお出しする好機であった。先週などデザートまで凝って以前大使公邸で作った抹茶のクレム ブリュレ小豆餡入りを出した程だ。
何はともあれ、今日の結婚式はお客様に喜んでもらえて良かった。やはり人間感情の動物であるから、自分の誕生日をこれから結婚記念日とする事になるカップルには特に幸せになって頂きたいものだ。
携帯に重田まり子さんから「誕生日おめでとう」のメールが来ていたが、家族以外に誕生日を覚えていてくれている友人がいたとは(笑)。いや有難い。