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- 14.観光地の夏
- (8月23日更新)
- 8月の後半、今週辺りから少しは客足が落ち着いてきたが、勿論未だ未だ忙しい。9月に入って学校が始まる頃になれば一端静かになると思うが、その後は世界的に有名な紅葉の名所故に又一騒動。葉っぱが完全に散る頃には雪に包まれているであろうが、スキーなどウインタースポーツの舞台となって、それなりにお客さんは来る。勿論そうでもなければこんな田舎の古い洋館のホテルなど維持していけないだろうが。殆どのお客さんは自家用車、レンタカーなどで来る訳だが、観光バスも来るし、何よりこの季節はハルの町から蒸気機関車が毎日やって来る。カフェ アンリーブルジェ時代は週に1〜2度train
de saveur(「味わいの列車」。英語版ではSunset
dinner trainというまるで違うタイトルが付けられているが、当時の仕事の性格上、このフランス語版のタイトルで表記しておく)と言ってフランス料理のコースメニューを味わい、生演奏の音楽を聴きながらのんびり列車に揺られてウエイクフィールドまで行くというその列車のコースメニューを作る仕事もしていた。勿論列車内にそんな大量のしかもフランス料理のコースを作る設備など無いから、全部店で作り巨大なトレーラーを走らせて列車を追いかけて供したりしていた。今でもこの「味わいの列車」そのものは存在するが、フランス料理の店ではなく、出張料理専門の会社がやっているようで、やがては機関車の会社が自前のキッチンを作って外注は取りやめるとか聞いているが、はたして今どんな料理を供しているのか寡聞にして知らない。何れにしても今度はその列車の終着駅の方で待ち構えていてホテルで食事を供する立場なのだから面白い。当然このホテルは蒸気機関車の会社からも指定を受けている。http://www.steamtrain.ca
- この列車は私が10年前から居住している地域を経由していくし、日本人という余所者であり、こちらの人と婚姻関係等で親戚になった訳でもなんでもないのにここまでどっぷりとウタウエの一角に根を下ろした人は今までいなかったのではないだろうか。その私のお勧めとして、別に自分の勤める場所等を宣伝する訳でもなんでもなく、この蒸気機関車で訪れ、170年近くの間過酷な風雪に耐えてきた洋館ホテルに泊まる旅は一押しできる。そんな場所に毎日通う気分はどうかと思われるかもしれない。しかし日本でもサービス業や、観光地で働いた経験がお有りの方ならお分かりだろうが、一度職場となり、裏口から入る生活が始まれば、風光明媚な観光地も東京の雑居ビルも全く変わらないものだ。実のところ私はかの蒸気機関車に客として乗った事もないし、今いるホテルに泊まった事もない。何れ機会があればどちらも試してみたい。そんなものなのだ。
- 15.季節の推移に連れて
- (8月31日更新)
- 明日から9月。御存知と思うが欧米の殆どの国では9月から学校が始まる。つまり日本の4月に当たる入学の季節だ。当然ながら世間の夏休み気分も終わりとなる。日本のように国が連休を設定する訳ではないが、誰しも学校の休みにあわせ、家族中心の休みを取ろうとするからだ。勿論世の中学校に行っている子供を持つ親ばかりでは無く、引退した老夫婦もいるし、我々のようなサービス業であれば休みをずらして取る事も多いだろう。又日本など海外からの観光客にとっては必ずしも関係があるとは言えない。しかし体制としては観光客を中心としていてはオフシーズンの経営に向けて対応しきれない。単なる調理場の責任者ではなく、飲食部門の総支配人も兼務するローリエ シェフの方針は非常にシンプルで、既に8月の終わり、つまり今週からホテルの企業会員を最低でも1日一組、多ければ4〜5組誘致し、既にこの1週間例外なくスケジュールが入っていた。夏休みの終わりイコール企業の本格的始動である訳だから非常に論理的だ。このホテルには会議室もあり、閑静な森の中にありながら個人の部屋でも全て高速インターネットが敷かれ、尚且つ首都オタワから30キロ程度しか離れていないから何かあればすぐオタワに向かう事も、泊まって直接出勤する事さえも可能なわけだ。オーベルジュに泊まり、そこで会議を行い、ゆったりspaに浸かってフランス料理を食べ、夜は部屋でインターネットに接続して必要な仕事をこなしたり、テレビの衛星放送を楽しんだり、バーでのんびりするのもいい。そして翌朝はそのまま首都まで30〜40分で出勤...ちょっと日本の事情では難しそうだ。長年世界一住み易い国に選ばれてきたのもこういう点からかもしれない。我々のような仕事では日本でやっていてもあまり変わらないと思うし、実際日本で働いていた頃を想起してもその通りだが、サラリーマン社会は大分違うと思う。勿論日本に比べ厳しいところも多々ある訳だが。それはともかく1年を通じて暇な時期を限りなくゼロにしようとするローリエ氏の手腕は流石だ。カフェ アンリーブルジェ時代も、レストランの暇な時期は私が責任者だった企業向けのケータリングを強化してシーズンオフを乗り切った。「いかなる部署の人間も調理場全員(30人ほどいた)Nakiに協力体制をとれ、彼のケータリングが無ければこの店はつぶれるぞ」と演説していたのを思い出す。実際ローリエ シェフが去った後どっちつかずのような体制でシーズンオフが乗り切れず閉店の憂き目をみたのだから、先見の明があったと言う外無い。一方で私個人としても11月前にスーシェフが辞め、私がその任も兼務する事になっており、ただ調理場でソーシェを務めて料理だけに集中する訳にも行かなくなってきたので、8がつの頭から事務的な仕事も引き継ぎを始めている。まだまだ暇にならないどころか、益々忙しくなりそうだ。
Harb
徒然なるままに
essai