エッセイ2010年1月
169.年を越える新郎新婦。
(1月1日更新)
昨年末は結局クリスマスの更新が最後になってしまった。出来れば大晦日に更新と行きたかったが、年を越しながらの結婚披露宴が一件だけだが、入っており例年通り仕事をしながらの年越しとなった。と言っても実際には日付が変わる前に仕事は終え、職場を出た。帰宅して車から出た時時計を見たら、正に12時丁度だった。しかし深夜の田舎町の事、カウントダウンの声も聞こえず、雪も降っていたので花火が上がる事も無かった。
旧暦を使う中国の様に元日そのものがずれる事はあるが、何処の国にとっても年が変わると言う事についてはそれなりの感慨はあるものだと思う。しかし、その捉え方は様々だろう。日本でも時代が変わって正月が昔ほど特別な期間では無くなった感がある。風習についても、どんどん略式になって来たと思う。昔の日本の感覚だと、年を越しながら、つまり2年がかりの結婚式など有り得ないだろうが、今の感覚なら結構受け入れられるかもしれない。
まあそれはそれとしても、夜の7時からカクテルパーティで、8時(実際にはもっと遅い開始で、食事前から歌ったり踊ったりしていた)からスープが出て、サラダが出て・・・なんて始まるのは日本では未だ珍しいのではないだろうか。日本なら2次会、3次会と言う発想になると思う。
スープにしてもこういう特別なパーティだから殻だけでなくオマール海老をまるまる使ったビスク ド オマールを作った。こういう贅沢なスープは作ってる方も楽しい。カフェテリアから手伝いにまわったマシューとパトリックが味見して「ああ〜旨いですね。Nakiのビスク・・」とか感心していたが、別に私が作ったから旨い訳ではない。この材料を使って、一応の経験を持った料理人が作れば旨い筈だ。
考えてみると今回はサラダ以外のスープ、メインコース(ベジタリアンも含め)とその付け合せ及びソース、デザートのクレム・ブリュレ(ウエディングケーキはお客様持参)まで殆ど私が1人で作った。数百人規模のパーティでこう言う事は流石に珍しい。前後に大きなパーティが入ってなかったから可能だった。
2009年から2010年に跨って結婚披露宴をしたと言うのは確かにカップルにとって特別な思い出になるだろう。御本人達はどんな料理が出たかなんて思い出せないとしても。
しかし私は1度も結婚した事が無いのに、世界のあちこちでいったい幾つの結婚披露宴で料理を作ってきた事か。何時もそう思うが、こういう節目の時には尚更だ。
2010年はどんな年になるのだろうか。元日に言うのも気が引けるが、また多難な様な予感がしてならない。
170.暇に任せて博物館へ。
(1月10日更新)
別に忙しかった訳でも無いのだが、何となく更新しないうちに10日になってしまった。いや、暇だから特筆する事もなかった面も否めないが、何も日常の事を書く必要は無く、寧ろそれ以外の話を綴るのに丁度いいとも言えたが、中々ぱっと思い浮かばないものだ。
ブログなら例えば「こんなテーマで書いて欲しい」みたいな書き込みもあるかもしれないが、こういう一般サイトで迂闊に掲示板を作ると、全く無関係な書き込みでパンクしてしまう事がよくあるようなので、やはり自分で考えるしかないだろう。メールで意見を送ってくれる人がいればい良いのだが。
実際年が明けてからは暇で、今の所大きなパーティは無い。ただ普通に人手が足りないので、カフェテリアを手伝ったりしているが、自分が責任者でなく手伝うと言うのは気楽だ。ましてやカフェテリアのメニュー、複雑な物などある筈もない。
未だ明るい内に仕事が終わったりするので、久しぶりに博物館に寄ってみた(寄るも何もその中で仕事している訳だが)。アフガニスタンの秘宝展も未だ3月まで続いているので、じっくり腰を据えて見てみた。カナダホール(例の古いカナダの町を再現した場所)も毎度の事ながら行ってみた。ストライキが終わったので、町並みに合わせ、一昔前のコスチュームに身を包んだ人達が色々パフォーマンスをやっている。ガイドの代わりに警備員が立っていた物々しい雰囲気が無くなっただけでも良かった。2つの博物館合わせて420人もの人達が帰って来たのだから、何かしら差を見せて貰わないと(笑)。
1月中の宴会で最大のものは28日。これは500人以上のパーティだ。2月も割と暇で3月からまた忙しくなる様だから、2月上旬にでも休暇を取りたいと思っている。しかし、私が休暇の予定を立てるとまた何か起きそうで不安だ(苦笑)。
171.ブランチな時間〜VIPは身近な所に?
(1月17日更新)
また少しずつ忙しさもぶり返してきた。金曜は試食会が一件。これは時々やるのだが、要するに大規模な宴会を計画している人達にうちのメニューを試食してもらう為に来て貰う。幹事級の人を呼ぶので、いつも4〜6人ぐらい。今回も僅か5人だった。主旨が主旨だから全員違う物を作るケースが多いが、今回は5人で2種類、しかも前菜はサラダ系だったので楽だった。前回など6人に5種類のスープを出すのは難儀だった。メインコースなどは、全員違った物を作ったとしても、普通にレストランで供するのと変わり無い。しかしスープは普通6種類も用意する事は無い。2,3種類はレストランとカフェテリアに廻す事を考慮して多く作る事は出来る。しかし6種類となると、3〜4つは1人前ずつ作るしかない。スープ1人前作ると言うのは(味見を考慮して2〜3人前としても)何となくまの抜けた感じがしてしまう。勿論試食会の後は色んなセクションの手伝いをして過ごした。
正月の2週間休んでいた(まるで日本みたいだが)レストラン「カフェ・ド・ミュゼ」が前月曜から再開しているので土、日はそっちに廻った。日曜のブランチも久しぶり。カスレなど3種類の肉料理と1種類の魚料理は多少凝った物を作った。このスープは人参を使ったが、店の定番としては生姜風味のスパイシーな人参のポタージュであるのに対して、あえて甘みの感じられるクリーム仕立てにしてみた。何処のレストランでもそうだが、日曜のブランチは普段来る事の無い子連れの家族が週に一度どうどうとレストランに来られる日。当然の様に子供が多い。そこを考慮した。ようやく離乳食を食べ始めた赤ちゃんにお母さんが、このポタージュを食べさせて、その子がきゃっきゃきゃっきゃと喜んで食べていたので嬉しかった。中々狙い通りに行く事は少ないのだ。
月曜の夜は久しぶりにカナダホール(くどいようだが、昔のカナダの町を再現した例のパヴィリオン)で小パーティがあった。人数は30人以下だが、VVIPだと聞いたので誰かと思ったが、何の事は無い。文明博物館の幹部達だった。メニューは決まっていたが、アミューズの盛り合わせはシェフにお任せと言う事だった。ベジタリアンも含まれているので、温製のアミューズは全てベジタリアン。冷製も野菜の寿司盛り合わせを入れてみた。握りはアミューズなので通常の半分以下のミニチュアサイズ。ふわっとなる様に握るのが難しかった。何しろ専門外だ。握りなどまともに作れるものでは無いが、日本人シェフと聞けば絶対相手は期待しているので止むを得ない。外国で現地修行で和食を覚えた職人さんの中には一部、「巻物は難しいけど、握りは御飯の上に乗せるだけだから簡単だ」などと暴論を展開する人もいるが、日本の寿司職人さん達が聞いたら激怒しそうだ。巻物から次のステップである握りに進むまで、彼等がどの位の時間を費やすかを知れば、そんな事は口が裂けても言えまい。まあ、あえてフランス料理の技術を活かしているとすれば、野菜の下味の付けかたにある。鮪の漬けの要領だが、漬けのソースは完全に和とはかけ離れている。
何れにせよ、アミューズは勿論、スープ(今回は数種類の野菜をローストして、大人の味に仕上げた)、メイン、デザートと感嘆して頂いたので面目は躍如出来て良かった。
この後は木曜の中規模なパーティ(70〜80名)ぐらいが今週の大口だが、来週は例の500名強を始め、相当忙しい。その翌週も忙しいので、休暇はその後に取れれば・・という所だ。
172.この時期には・・
(1月28日更新)
先週から結構宴会が復活してきて、今日は前述した様に今月最大の500名超のVIP大宴会だった。諸事情からまたジョルジュがいなくなり、総料理長不在の状態(またこの時期にこれか)だが、副総料理長のマイケルがいるし、マニーやイブも手伝ってくれたので造作なかった。しかも、先週末の土曜日からデーブが帰って来たので特に私は楽だ。更にこの大宴会の為に2日前から、恭子(きょうこ)さんも久しぶりに来てくれている。前回(11月27日)来てくれた時、「1月半ぶりくらいに来てくれたが、次回もまた1月くらい先かも(苦笑)」などと書いていたが、1ヶ月どころか2ヶ月ぶりである。
それにしてもデーブは結局約3ヶ月いなかった訳だが、要するに自分でレイオフ(一時解雇)を選び、尚且つ失業保険(何しろ普段の給料の7割以上もらえるらしいので)をちゃっかり受け取っていて、その間一切仕事をせず戻ってきた事になる。前に書いたかどうか定かでないが、デーブは日系人でファミリーネームはババ(勿論「馬場」だろうが)。しかし、日本語を喋る訳でも無いし、この発想は完全にカナダ人のもの。日本人なら自分で自分を一時解雇にしてもらおうとはまず考えまい。第一そんな事をして、しかも3ヶ月仕事をせず、失業保険だけ受け取っていたとなったら帰って来ることなど難しいのではないだろうか。要は社会のシステムが全く日本とカナダでは根本的に違うのだろう。
何にしても彼が帰ってきてくれたお陰で、休暇も取りやすくなったので、早速今日申請して2月14日から、2週間程休む事にした。普通のレストランなら14日、つまりバレンタインデーから休みでは顰蹙ものだが、逆に皆がカップルでレストランに行く日だから宴会場は暇な筈と言う計算だ。
500人超とは言え、食事前のカクテルパーティには、おつまみを伴わないし、前菜、メイン、デザートの3コースのみだった。加えて調理場の人数も十分だったのでスムーズなのは当然だった。それに準備の時間も十分取れたし。しかし言うまでも無くサービス陣も50人近くいたので、賄いを作るだけでも1グループと言う感じではあった。
メインコースはこちらではよくある、魚と肉を一皿にまとめたもの。実際には仔牛とオヒョウの組み合わせだった。
173.安全優先とは言え・・
(1月31日更新)
2010年も明日で2月め。今週は木曜の大パーティの後、土曜日に200名足らずのパーティが1件あったくらい。木曜に手伝いに来てくれた恭子さんと、同じくその時久しぶりに手伝いに来てくれた私の旧友ジョンの甥セバスチャンの2人がこの土曜日も手伝いに来てくれたのでこの2人プラス、ルイと私の4人で行なった。この日はデーブも出勤だったが、朝一で出勤して夕方まで主に日曜ブランチの準備をして帰った。正直逆の立場より、本来のバンケに専念出来て良かった。私の休暇中はデーブに頼らなければならないし。
実際このパーティは珍しく予定の時間通りに進行したし、何度も2人だけで組んでやった事もあるコミのルイに加え、セバスチャンも恭子さんも仕事が出来る人達だから楽だった。やはり自分が仕切った方が思ったように進行出来るのも良い。
翌日曜の今日はすっかり定番の仕事?になってきたブランチをやった。前述の様に準備は昨日デーブがやっといてくれたので、これも楽だった。もっとも3種類の肉料理(大抵肉類2種類、禽類1種類、魚料理1種類と言ったパターンが多い)のうちの1つ「仔牛と白隠元豆の煮込み」は、前回書いた50人近いサービス陣の為に私が作った賄い料理の残りだった。以前書いたように、一度お客様の前に出された料理は雑菌混入の危険があるから廃棄するが、逆に内輪で作って出した物ならその危険は無い・・とは言え、賄いの残りとは(苦笑)。
しかし、今日のブランチは先週とうって変わって、凄く暇だった。暇でもここのブランチはお客様の前にずっと出ていなければならないから、レストラン専従のジャン・セバスチャンと2人、持て余し気味のシフトだった。それこそ、終了後の廃棄食品も多く、無駄を出さざるを得ない事は料理人として心も痛む。安全優先の為とは言え、この量の食料があれば、飢えている国では助かる命もあるかもしれないなどと考えてしまう。