エッセイ2008年5月



78.冬は終わったのか?
(5月1日更新)
今日から5月。今月こそはとりあえず1日から更新しようとはりきってみた。それは良いのだが、今朝の気温はマイナス5度、窓の外は濃い霧がかかり、完全な冬景色であった。部屋の前の駐車場に行くと全ての硝子にびっしりと氷が張っており、雪まで降ってきた。昼過ぎには太陽が出てきたが、それにも関わらず寒い。まるで冬の日差しだ。室内も暖房を必要とするくらい。春先と秋の初めのエッセイには毎回同じような事を書いているが、この時季寒くなったり、暑くなったりをあたかもメーターが冬と夏の間を行き来するようにして春には最終的に夏へ。秋には最終的に冬へとメーターの針が倒れこんでいくのだが、それにしてもこの冬は何と長かった事か。否先週は暖かかったが、今も冬が終わったと言う感じがしない。
今日は50人ほどの団体が昼間入っていたが、昨日の時点で99パーセントキャンセルという連絡がバンケット マネージャーから来た。しかし、某国の政治家達が500パーセントだ、1000パーセントだと怪しげな数字を駆使するのと同程度にあてにならないので一応準備は進めるよう指示していたら、案の上やはり来ると言う事になった。何でも「料理がおいしいなら行く」とか挑戦状をたたきつけるような事を言ってこられたと言う。しかし前日に50人キャンセルになったとしても企業会員となるとキャンセル料も発生しないらしい。とは言え、企業会員のお客様はこの辺のエリアを中心に活躍する大物ばかりで、50人がそれぞれ家族や友人を連れて1年以内に個人的に利用してくれるだけでもかなりの数になるのだから、挑戦状(笑)を送られたら無視もできないので、それなりに趣向をこらしたブッフェ メニューを組んだ。特に肉料理は丁度新鮮なほろほろ鳥があったので、胸はディナー用にロメインに譲り、腿の骨を完全に抜き骨のあった部分に5種類の野生の茸で作った詰め物をした。この茸は、地元のきのこ生産者であるLe Coprinから取った物だが、ここのクリストフ・マリノーは日本の茸も椎茸など割合手に入りやすいものばかりでなく、シメジやエノキなども作っている茸に関しては右に出る物のない生産者である。ソースも外した骨からじっくりと時間をかけて取った出汁を基にしたプロヴァンス風のソース。見た目には骨付きの腿をそのままロティにしてソースを下に敷いた様にしか見えないのに、ナイフを入れると・・・と言うサプライズ効果も去ることながらやはり地元のおいしい食材(茸やほろほろ鳥ばかりでなく、随所に使っている)が売りの勝負皿である(いや別に勝ち負けは無いのだが)。その甲斐あってブッフェ全体「よく食べたなあ」と感心する程残りが無く、魚料理のいずみ鯛のサフランソース添えもあわや足りなくなるかと言う寸前だった。キャンセルしないで良かったと思ってもらえたようなのでひとまず成功だ。勿論他のお客様も。冬が消えきっていないような天候でも毎週確実に忙しくなってきている。
79.新たなるシーズンに向けて。
(5月2日更新)
中々ブログの日記のように毎日更新などはとても出来ないが、先月は更新が少なかったのでたまには2日連続で更新してみる事にした。今日は金曜日。昼間の団体は企業会員の小グループが18名の他、8名のテーブルを筆頭に全部で40名程の予約が入っていたので、ブッフェにした方がサーヴィスへの負担も調理場も楽だし、十分採算も取れるところだが、あえて第二メートル・ドテルのミッシェルの反対を押し切ってア・ラ・カルト メニューで行く事にした。人数も揃っていたし、夏に向けて昼間のシフトを中心にやっていってもらう予定のジェレマイアやアレクサンドルにそれぞれのポジションで今から慣れてもらう必要があるからだ。2時間ほどの間にレストランだけで50名ちょっと、これに加えて2階のラウンジ、バーのオーダーがあると言うのは私にすれば大した忙しさではないが、慣れていない身には結構大変だ。しかし皆よくやってくれたようだ。すったもんだはあったが、昼のア・ラ・カルト メニューも一応夏に向けて変えることになった。カジュアルとファイン ダイニングの中間というのが最終的に私が提案したコンセプトで、前のメニューの前菜で人気のあったものはラウンジ、バーの専用メニューとして残した。また例のそのまま日本食の「豆腐と野菜の揚げ出し」は、オーナーの奥さんが食べて「こんなおいしいべジタリアンの料理は食べた事が無い」と鶴の一声を発した事もあるし、実際今までのベジタリアン料理と違い、ベジタリアン以外のお客様もよく頼まれる事からそのまま継続する事になった。これは今は夜のメニューにも載せている。先月など5連泊したベジタリアンのお客様が滞在中4回もこの揚げ出しを注文されたのには流石に驚いた。勿論私としてはその度に「こんなのも出来ますよ」と色々他のベジタリアン料理をお勧めしたのだが、余程気に入って頂いた様で、やはりそれが良いとおっしゃった。私がこれをメニューに載せたのは日本人は豆腐をこう使うという事を紹介する意味と、もう一つは大根卸しと生姜卸しのつけあわせがソースに混じるとこう変わると言う事を知っていただきたい為だ。実際カナダでは日本レストランで天婦羅を頼んでも大根卸しはほんの申し訳程度にちょこっと付いて来るだけだが、日本の天婦羅屋さんのように大根卸しのおかわりを頼むくらい大量に使う事でまるで別のソースの様においしくなる。せっかく大根は割合簡単に手に入る時代になったのだから、料理に使うだけではなく、卸す事でまるで別な物に変質する大根の魅力を伝えたい。夜の調理場のスタッフにもサーヴィスのスタッフにも大根卸しと生姜卸しは気前よくつけ、お客様には必ず食べる前に混ぜていただく様に説明する事を徹底しておいた。日本人にとっては当たり前の事だが。
今度牛のサーロイン ステーキをフィレ ミニョンと同じようなメダイヨン(メダルの様な形と言うのが原義で要するに丸型)に切って昼間出す(夜はファイン ダイニングにはかかせないフィレ ミニョンのステーキを勿論これからも出していくが)事にしたが、その掃除の課程で薄い牛肉の塊が出る。業者の話では他所のレストランは大抵これをサンドイッチとかに使っているようだが、丁度前菜にも「一品は日本的な物を」とリクエストがあったので軽く燻製をかけて八幡巻きにして出そうと思っている。肉に関しては今や8つの業者から3つに絞り込んで品質と値段を見ながらとっかえひっかえ使っているような状態だが魚は結局同じような物を2つの業者から取っているに過ぎない。本当は前から言っているようにモントリオールのTrue World Foodさん辺りの和食の刺身にも使えるクオリティの魚も使ってみたいのだが、予算があるので、やはり肉のほうに重点を置かざるを得ない状況だ。野菜でさえ4つの業者(勿論前回書いたLe Coprinのような茸専門といった業者は別として)から取っているのに寂しい状況だ。魚そのものは人気はあるので2品はメニューに載せる必要があるのだが。私としては譲れないのが毎日「本日のシェフのお勧めメニュー」を入れる事で、パディは「Nakiがいない月曜日とか他の子達で大丈夫なのか」と難色を示したが、休みの前に私が指示しておくからと言う事で強行した。忙しい夏の昼のメニューは全体的にある程度簡素になるのは否めないし、一方ブッフェはあまりやらず、ア・ラ・カルト中心でやっていく事になる(だからこそ皆を今から訓練しておく必要を感じたのだ)のだから、無駄を出さないでせっかくの良い食材を全部お客様の胃袋に納めていただくためにはこれ以外いい方法が思いつかないからだ。
まあ夏のメニューのスタートは2週間ほど先になろうか。とりあえず来週は毎日ブッフェという事にした方が良さそうな予約状況でもある。
80.異常気象と人間のカレンダーの間で。
(5月8日更新)
5月も1週間以上過ぎれば、例年だともうすっかり夏と言う感じになっている頃だが、未だ朝晩冷える様な状態だ。おとといは雪もちらついていた。5月半ばまで雪が降る可能性があると言うから「4月の雪」どころの騒ぎではない。いくら北の国カナダとは言え、これはあまりにも以上だ。しかし地球温暖化は進行している様だから夏は一気に暑くなるのだろうか?天候も予測がつかず、ガソリンも高騰する一方。我々以上に官庁や大手の会社で構成される企業会員のお客様方も予定が立てづらいらしく、突然キャンセルになったり、来ても会議時間を短くしたり、1日早くオタワに戻ったり、逆に前日にかなりの人数で予約を入れたりと猫の目の様に変わるので、その度に対応するのは中々頭が痛い。ただやはりパディが帰ってきてくれて事務の仕事は大方引き受けていてくれているので、その点では楽だ。
来週から3週間はしかしロメインのヴァカンス。忙しくなる時季なので大変だが、彼は私以上に休みを取らず頑張ってくれていたのでゆっくりしてきてもらいたい。彼がいない間夜のソーシェをパディがやると言う。前に書いたように彼がソーシェに立つのはまず見たことが無いが(つまり立つことがあっても私のいない時なので)、勿論可能ならそれに越した事は無いと思う。と言うのも幹部はともかく、若い子達はソーシェに立たない総料理長を見て「果たしてこの人自分で料理を作れるのか?」と言う邪推をしがちだからだ。しかし当然ながら彼の体調は未だ本調子とは言えないので、「未だきついようだったら私が朝から晩まで通しでソーシェをやりますよ。私の留守中はロメインがカバーしてくれましたし」と言うと、「そうか、Nakiよく言ってくれた。助かるよ。それじゃスケジュールを組みなおしてみる」との返事だったので、まあ折半と言うのも変だが、2人のうちどちらかがいれば問題ないだろう。ソーシェだけならサミュエルで十分勤まるが、トラブルは水商売にはつき物なので、誰かしら責任者がいないと難しい。ふと気がつくと今週の日曜日はもう母の日だ。母の日は1年で最も忙しい日の一つだが、そればかりでなくだいたいこの日を堺に本格的に夏モード、シーズン モードになって行く。自然が気候を変えても、人間は自分が作ったカレンダー通りに生きていくものか。
81.仕込み場とラインと。
(5月11日更新)
母の日である。例年にも増してル・フジェールの予約は昼間だけで180名近く。予約無しで何とか隙間に入り込んできたお客様を入れて200人ほどになったろうか。勿論本業のル・ムーランの方も200名を越したはずだが、あちらはブッフェ形式だからミザンプラス(下準備と言うか仕込みと言うか)をしっかりやっておけばどうと言う事は無い。そういう訳だから昨日は残業してその点を確認しておいたので心配ないだろう。いやそれはそれで大変だった。既にシーズンと言う事で土曜の夜は忙しく、夜の準備を進める組と翌日の準備を進める組とが入り乱れ、更にその間店が閉まっている訳では無いのだから今のオーダーも処理していかなければならない。全員出勤とは言わないが、12〜13人ほどで同時に仕事をする羽目になり、パティスリーや、メインの調理場とパティスリーの間のスペースを使ってもこの人数で動くには決して広い調理場ではない。30人一緒に働いても十分だったカフェ・アンリーブルジェのサッカー場みたいな広さの調理場が懐かしい。さてそっちはそっちで準備を進めておいて、さあ今日はル・フジェールでア・ラ・カルトとなれば、全部その場で処理していかなければならないから、まるで2日続けて母の日をやっているような気分だ。流石に終日ア・ラ・カルトをやると無茶苦茶になるので試行錯誤の末(勿論私はこの試行錯誤の間10年くらいは散々な目にあったが)2年ほど前から、9時〜12時は全メニューを出し、12時から4時までメインが肉、魚、ベジタリアンの3つのコースメニューのみにしぼって出すと言う形式に変えたので、寧ろ大変なのは短距離走の様な前半3時間だった。
実はル・フジェールのスーシェフだったジンは家庭の事情で先月で辞め、以来マリオが1人でスーシェフを勤めていたが、今日から元スーシェフだったクリスチャンが戻ってきてくれる事になった。クリスは元々洗い場として雇われ、そのうちに他の仕事を探すつもりであった様だが、私達の仕事を見ていて料理に興味を持ち、ル・フジェールで仕事をしながら料理人学校に入りなおし、その後わずか5年ほどでスーシェフになった才能ある男で、私がル・フジェールのソーシェをやっていた時は脇でアントルメティェを勤めてくれていた。日本でも「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言うが、こういう才能ある人間ほど謙虚で、今日からスーシェフとして復帰すると言うのに昔のように私の脇でアントルメティェをやり、私に向かって「はい、シェフNaki!」なんて言ったりしていた。大して仕事が出来ない人間に限ってすぐ偉そうな態度を取るのとえらい違いだ。それは良いのだが、今日はマリオもチャーリーも出勤して来ていたのに、2人とも(マリオは4時にあがった私と交代したが)レストランの横にある店に付随したキッチンで足りなくなった材料を補給する仕込みに専念してわりとのんびりしたもの。このレストランで総料理長のチャーリーと2人のスーシェフが勢ぞろいするなんて1年に1回か2回あるかないかだと思うが、その3人がいるのに今やトゥールナン(助っ人)に過ぎない私がソーシェに立つと言うのもどうかと思う。ここは逆じゃないかと思うが、「日曜のお客さんは長年Nakiのお客さんだしな」とかうまく乗せられた感じがしないでもない。まあ私はラインに立っている方が好きだから別に文句を言っている訳ではなく、寧ろ有り難い位のものだが。ドイツで和食の店にいた時、一時期その名も「仕込み場」と言うポジションを任され、直接お客様の口に入るわけでも無い下準備の為、1日中(文字通り朝の6〜8時から夜の12〜2時位まで!)魚や肉をさばいたり野菜の下処理をしたり、料理を作ると言えば従業員のまかない料理くらいだった生活をしていた頃はむなしかったのを今でも思い出す。勿論その頃の経験が今にして思えばどれほど役に立っているか分からない程ではあるのだが。
82.夏のメニューは始まっても。
(5月18日更新)
金曜から新しい昼のア・ラ・カルト メニューを始めたので、この1週間余りはその準備に忙殺された。パディとも何度もミーティングを重ね、まあまあイメージ通り、つまりカジュアルなビストロ風昼食でありながらもそれなりにフレンチ レストランの昼食として通用すると思われる程度の物にはなったと思う。私が譲らなかった「本日のお勧めメニュー」は結局メニューには載せないが、基本的に毎日やるという事で折り合いをつけた。これには値段も内容によって違うので、メニューには載せにくいと言う意味もある。昔は値段は日替わりで・・・で十分メニューに載せられたが、要はオーダーをパソコンに打ち込んで調理場に送られてプリントアウトすると言う今のシステムだと、メニューに固定されていて毎日値段が違うと設定できない為だ。メニューには載せないで、パソコンのプログラムの中には「お勧め」の項目をインプットしておいてもらい、価格は一々サーヴィスの人達に打ち込んでもらう以外無い。この手のシステムはまだまだ開発途上だなと感じる。他にも様々なパッケージ料金のお客様に関して、後で値段の調整を記録する為、営業時間が終わるとサーヴィスの人達は全部で2台しかないオーダー専用のパソコン前に並び、順番にキャンセルと再入力を繰り返すが、これが全部調理場のプリンターから弾き出されて来る。せめてこの種の記録はプリントアウトしないで済む様に設定できないものかと思うが、この記録を元に税務署に申告するらしく、少々詳しい人間がいても勝手に(業者を呼ばずに)設定を変えることはできないらしい。ル・フジェールでも、かつていたカフェ・アンリー・ブルジェでも皆このシステムを採用したが、ル・フジェール等の様に単独のレストランであればホテルの様な複雑なパッケージ料金が無いから未だしも楽な様だ。
前菜なら海老のカクテルや、山羊のチーズのナポレオン仕立て(層を積み上げてタワーにする)、メインなら鶉のソテー サラダ仕立てと言った定番的メニューにそれぞれ八幡巻き、野菜と豆腐の揚げ出し(共にそのままの名で)が並んでいるのは寧ろ日本人が見て異様な感じがするのでは無いだろうか。八幡巻きは前述した様に、肉屋の人に来て貰って講習を受けた特殊な捌き方で取った牛の背肉の一部を冷燻製にかけた後熱々の鉄板で一瞬だけ焼いてソースを馴染ませて巻いたものだが、八幡巻きと言えば京都八幡の牛蒡を(元は鰻で)巻いたものが語源だけに牛蒡はやはり外したくなかったので、所謂西洋牛蒡であるSalsifisを野菜のブイヨンで炊き、人参、アスパラと合わせ、キャベツのサラダと生姜風味のCrème fraîche(固さの濃い乳脂)を添えたら結構フランス料理な外見にはなる。
スープもパディは夏らしくガスパッチョとかに固定しようと言う意見だったが、お客様の中には夏でも暖かいスープしか欲しくないと言う人も多く、中でも暖めては
台無しになるガスパッチョは不向き。結局私が主張を通し、基本的に毎日冷製スープではあるが日替わりと言う事にした。第一未だ完全に夏になりきっていないのだ・・・と思っていたら何と昨晩は夜中に空が赤く染まり(夕焼けでは無く、夜である。過去にも一度見たことはあるが)、碁石のような雹が降ってきた。当然今も朝、晩の気温は4〜6度と信じられない低さ。5月の半ばを過ぎた今頃、例年なら夜は熱帯夜になっても不思議では無いというのに。
金曜からこのメニューを始め、普段はそんな事はしないがその日はパディと一緒に全テーブルを挨拶して回りながら感想を聞いた所、幸い反応は上々だった。来週から昼間の為にもう一人雇おうと決まったくらい作業の多いメニューでもあるので金曜、土曜と忙しい思いをした後、今日は例によってル・フジェールの日。明日の月曜が祭日である為、またお客様の数が100人に達した。先週の200人に比べて半分じゃないかと思うかもしれないが、調理場の人数も半分(メインキッチンは私の他もう1人のみ)で終日ア・ラ・カルト メニューであるから先週より余程疲れた。何しろ相棒は若いくせに終わり頃には「気分が悪くなっちゃいました。ちょっと休んで来て良いですか?」とか言い出した程だ。忙中にあって身体の調整を図れるようになるのも経験がいるから、解らないではない。それにしてもたった2人で1皿、1皿納得の行く物を出すには100人は多過ぎる。せいぜい70人くらいまでだろう。それも時間帯が集中しないという条件でだ。
83.機関車の来ない夏
(5月28日更新)
ロメインが休暇中なので今週は休みもないが、前回の更新から既に10日も経っているし一応更新しておくことにした。新しい昼のメニューは営業中の作業が多い事は前回書いたが、当然ながらミ・ザンプラス(仕込み)も多い。それは良いのだが、まだまだ企業会員の団体を制御する所までいっていないので週の半分はブッフェをやっている状態で、平行してブッフェの準備もしなければならず、やる事が山ほどある。材料の新鮮さを保たせる為、ブッフェとア・ラ・カルトの食材に共通性を持たせつつ変化も出さなければならない。パディが復帰したお陰で料理に集中できるのは良いのだが、やはりパディからもなるべく私自身で色々やらず、皆に任せて最終的にお客様に出す前にクオリティをチェックする方向で仕事を進めるように要求されるのでその辺も難しい。
昨日郵便局の私書箱を覗いたらチラシが入っていた。「当店の新メニューをお試し下さい」とあるので、「ほうレストランのチラシか珍しいな。近くのレストランかな」と思って、メニューを見る前にレストランの名前を探したら、何の事は無い、「ル・ムーラン・ウエイクフィールド」・・・うちのメニューである。上述のようにパディが事務は一切引き受けていて経営会議とかにも私はこの所まったくタッチしていなかったので、そんなチラシを作ったことも知らなかったが、全ての私書箱に入れる為にこうして私の所まで来るのが何かまぬけだ。これは夜のメニューなのだが、夜は普通にフランス料理のメニューになっているのにベジタリアン向けに「Agedashi-tofu」が入っているのは強烈な違和感がある。いや、自分で入れておいてこんな事を言うのもなんだが、そうかと言ってフランス料理的名前に変えるのも嘘くさい。まあこれは私が日本人だから気になるのであって、大抵のお客様は別に違和感を感じていないとは思うが。
ベイフィールド「リトル・イン」の重田まり子さんからのメールで昔ル・フジェールで働いていたジョセフ・ワッタ−ズ(通称ジョー)がリトル・インのシェフに就任したと聞いた。ジョーは当時コルドン・ブルー・オタワ校の研修生としてやってきて、そのまま暫く残って仕事していた。コルドン・ブルーでは主席クラスの成績だったが、いかんせん未熟な頃で結構ドジだった。前回のエッセイで日曜日のル・フジェールのパートナーが余りの忙しさに最後には気分が悪くなったと言う話を書いたが、ジョーも初めてこの悪名高い?日曜の私のパートナー(何時の頃からか新人の登竜門のような役割を持ち、スーシェフに復帰したクリスもここから始めた)をやってもらった時は始まる前こそ「Nakiと仕事が出来て楽しみですね」とか殊勝な事を言っていたが、やがて「うー、気持ち悪くなってきました。うー、吐きそうです・・」とか言い出す始末だった。しかし彼は「俺は絶対シェフになる」と言う強い意気込みを感じさせる男で、当時から近い将来化けるなとは思っていた。フランス修行を視野にフランス語の教室にも通い、実際に渡仏するとあっと言う間に某レストランの部門シェフに出世し、その後あの三ツ星レストラン「ラ・メゾン・ドゥ・マルク・ヴェラ」で修行して、念願かなってリトル・インのような名店を任せられるようになったのだから脱帽だ。一方でル・フジェールを辞めたジンもリトル・インに戻るらしいと言う噂も聞いている。それにしてもオタワ・ガテノー エリアからヒューロン湖のほとりのベイフィールド(名前こそウエイクフィールドに似ているが)までどう考えても600〜700キロ
は離れていると思うが、この世界は狭い。
ところでウエイクフィールドが蒸気機関車の終点として知られる町である事は再三書いているが、今年は長すぎた冬によるダメージから線路復旧の目処がつかず、何時から走らせるか不明・・・と言う話だったが、会社のオーナーが高齢である事もあり、線路復旧の費用も負担できないと判断した結果、ついに会社そのものが売りに出された。買い手がつけば良いがこのまま廃線となれば、この町の歴史そのものに関わる一大事だろう。
商売的なことを言えばル・ムーランには特に影響は無い。ここのお客様は基本的に車か、貸切バスで来るからで、そもそも機関車は往復である為、帰りの時間までの余裕のなさからとてもまともなレストランでゆっくり食事をしている暇などない(1時間30分ほど滞在時間があるが、町を散策したりするので)のだから。しかし、駅周辺の軽食店、アイスクリーム屋、土産物屋などは壊滅的な打撃を受ける事は間違いない。何よりも町の活気が失われる懸念はある。手動で列車の向きを変えるパフォーマンスは長くこの町の夏の風物詩であった。カフェ・アンリー・ブルジェのフランス料理のコースを食べながらの夜の列車も今は昔。グラン・メゾン「カフェ・アンリー・ブルジェ」の終焉からわずか2年かそこらで、今度は蒸気機関車そのものが危機にさらされているとは・・・。最近の時代の移り変わりの速さは驚嘆するばかりだ。