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  Naki
経歴
1982年...
東京農業大学の付属校を卒業し、駒澤
大学入学。この夏ペンションで働いたのを
きっかけに飲食業に興味を持ち、学生時代
ずっと飲食業界でアルバイトをする。
大学で禅寺院内料理人役である典座に
ついて書かれた「典座教訓」を購読した事
にも影響される。


1986年...
大学卒業と同時にカナダへ渡る。トロントにて
数件のレストランの門を叩いた後、"Restaurant Loons"に見習い採用され、カナダ料理と出会う。

1988年...
帰国

1989年...
ドイツ日本館に採用され、ヨーロッパに渡る。和食の修行をさせてもらいながら、日帰りで行けるベルギーを始め休みを利用してヨーロッパ各地の視察等を通じ、現地の食事情に触れる。

1993年...
イギリスに移り、「Old Thorns Hotel」で飲食部門の主任となる。

1996年...
ロンドンでトロント「Loons」時代のオーナーシェフ、パート夫妻と再会。この時誘われて、彼らの新しいレストラン、ケベック州「Les fougères」に移籍。いきなりパティシェ部門のシェフという未経験分野を任される。
1998年...
永住権申請の為一旦帰国。経堂の「ル.グラン.コントワ」の菅沼シェフから、お台場の「ホテル日航東京」の洋食総料理長(当時)岩城シェフを紹介され、同ホテルで日本滞在中働かせてもらう。

1999年...
ケベック州「Les fougères」(ル.フジェール)に戻り、ガルドマンジェ、アントルメティェ、ソーシェの各部門シェフを歴任。この1999年には英語版のホームページ「Naki's
Page of emulsion」を外国人向けに立ち上げた。(現在は更新停止)
2001年よりカナダシェフ協会会員。
2004年...
創業1922年のガテノー市随一の大型仏料理店「Cafe Henry Burger」(カフェ アンリー ブルジェ)にテレビ等で有名なジョルジュ ローリエ氏が総料理長として就任し、全部門シェフを入れ替えるにあたり、出張、宴会料理担当シェフとして招かれる。調理場だけで30人近い人数の居た所謂グランメゾンで、後にローリエ シェフの指名を受け、スーシェフの一人として前述の部門を担当し続けたが、ローリエシェフはオーナーで前シェフのロベール ブーラッサ氏と意見が合わず僅か1年余りで退社。自身は残ったが、ローリエ シェフとは連絡を取り続けた。

2006年...
1月にカフェ.アンリーブルジェが84年間の歴史の幕を閉じ、閉店。
その後ローリエ シェフが新たに就任したホテル、「オーベルジュ・ル・ムーラン」でtournant(各部門シェフの休みの日に代理を務める助っ人シェフ)を務める。
5月1日。転出した前任者の後を受けシェフ ド ソーシェに就任。
同年10月より2009年8月まで同ホテル副料理長を兼務。

2008年6月
シャルルボアのオーべルジュ“La Muse”鈴木喜信シェフ主催の「ケベック州日系料理人協会」立ち上げに参加。
現在同協会副会長兼オタワ、ガテノー地区代表。

2009年8月
三度ジョルジュ・ローリエ シェフの下でカナダ飲食業界最大手コンパスグループ傘下に入る。現在の勤務地はガテノー及びオタワ。夜の国立博物館(文明博物館、戦争博物館、航空博物館、自然博物館等)を宴会場として活用。

副料理長兼宴会料理長を経て館内レストラン「カフェ・ド・ミュゼ」料理長。

2014年5月
ウエイクフィールドのブラッセリー「ル・イブー(Le hibou)」総料理長に就任。現在に至る。

拠点
ケベック州ウタウエ、ガテノー地区。
在籍してきた全てのレストランはフランス語圏であるケベック州(チェルシー、ウエイクフィールドなど町の名が英語の土地も含め)側にあるが、川一つ隔てた対岸はカナダの首都オタワ市。



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